実は以下の投稿で引用した岩明均「ヒストリエ(2003年~)」の名場面、そこだけ抜き出すと本来なら「文明の出発点だった家母長制をギリシャの家父長制が塗り潰した」「人類は家母長制の復活によってのみ救済される」と主張するバーバラ・ウォーカー流ウルトラ・フェミニストが快哉を上げる様なシーンだったりします。
バーバラ・ウォーカーの「神話・伝承事典(大修館)」はじつに興味深い書物だが、たわごとも多い。そのたわごとの検証。
それがどうしてこうなった?
ジェンダー系の先生たちの表現論が見当違いなのは本当にどうにかして欲しい
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年2月5日
その一点で不信感がすごい。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年2月5日
作品を確認せずに発言した例も多々あり、しかも未確認を明示しなかったりもあるので、そもそも不誠実なのですが、それを問題視しない界隈の学問的ディシプリンもまったく信用できないですね。
— 松代守弘(告知用) (@matsushiromori) 2022年2月5日
BL好きと女子アイドル好きの集いならそれだけやってて下さいって……いやホントに……(興味ないならないで別にいいんですが、立場のある人達が立場から降りずに適当を言うの本当にやめて欲しい)
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年2月5日
いっちょ噛みのかまってちゃん以外のナニモノでもないんですが、肩書きの権威はフルに活用するっていやらしさがね😩
— 松代守弘(告知用) (@matsushiromori) 2022年2月5日
別筋でこういうやり取りも。
「私の嫌いなものは男性目線、私の好きなものは女性目線!」みたいな雑な決めつけで内輪できゃっきゃされても困るのである。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年2月5日
実際、連中は我儘なだけです
— 豚足 or ~まるねこ~ (@catpullpull) 2022年2月6日
殴りやすそうなもの、気に入らないものに対して言い訳を作っているだけにすぎないのです
いっそはっきり言えば良いんですよね。「私が気に入らないから否定する」って。感情を理論武装するから、辻褄が合わなくなる。
— 結城真之介。 (@SinYuki) 2022年2月5日
内輪できゃっきゃで済まずにクレームやら実力行使で攻撃なさるからタチがわるいのですよね。
— 中村P子【公式】(本格派バーチャル爆乳アイドルシンガー) (@baku_pko) 2022年2月6日
ぞして…
あの方々は昭和のオッサンが「女の浅知恵」と蔑むのと同レベルです。
— 晴雨堂ミカエル 言論人の端くれとして今後も生きてまいります。 (@seiudomichael) 2022年2月5日
憎んでいた筈の対象と同類に成り下がる自覚が無いのが恐ろしいです。
そりゃ大体30越えてる昭和の残りカスが腐敗して出来上がったのがあの連中だもんなぁ。文字通り間近でそういうおっさん見てきたから自ずとトレースしてる事を理解できない哀れな生き物ですよ。
— スクリュー・てばイダー (@Chicken_Impulse) 2022年2月6日
男の体育会系のノリと女の学級会のノリ、いい加減大人の社会に持ち込むの禁止にして欲しい気分。社会はお前等のオモチャじゃない
— 御蛙 (@jyo2nd) 2022年2月5日
— ぼっふん (@bohhun) 2022年2月6日
ここに乱入。
「表現論」と言われて、咄嗟に行列式が浮かんでしまった私をお許しください…正直、自分でも焦りました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
表現論(Representation Theory)とは、ベクトル空間の線型変換として代数構造を表現することで代数構造上の加群を研究する数学の一分野である。本質的には、表現は抽象的な代数的構造を、その元と演算を行列と行列の和や行列の積で記述することで、より具体的にする。この記述で扱われる代数的対象には、群や結合代数やリー代数がある。これらの中で最も優れているものは、歴史的にも最初に現れた群の表現論であり、群の演算が行列の積で、群の要素が正則行列で表現されている。
表現論は、抽象代数学の問題を良く理解されている線型代数の問題へと帰着させるので、強力なツールである。さらに群が表現されているベクトル空間が無限次元になることやヒルベルト空間になることも可能であり、その場合、函数解析の方法が群の理論へ適用可能となる。
表現論は物理学でも重要であり、例えば、物理系の対称群が、どのように物理系を記述する方程式の解へ影響するかを記述する。
す、すみません。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年2月5日
いや、それ自体は私の脳内バグ問題に過ぎず、新たなデバッグの課題が手に入ったので喜んでいるだけなのですが…それはそれとして「ジェンダー系インテリの表現論はどうして見当違いの方向に向かうのか?」について。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
これもしかしてJインテリが「北朝鮮=地上の楽園」と信じ、軍人大統領時代の韓国を「一刻も早く滅ぶべき米帝の傀儡国家」と思い込んでいた頃の振る舞いと重なるかもしれません。当時の彼らは「韓国について知るべき事は何もない」と断言し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
いかに韓国については適当な事しか思いつかないか競い合うゲームを楽しんでいたのです。そう「平家物語」冒頭で公卿達が斜視(すがめ)の平忠盛を伊勢の特産品「酢瓶の瓶子」と馬鹿にし、鹿ケ谷の陰謀における密会で瓶子を倒して「平氏倒れたり!!」とキャッキャ喜んでいた「遊び気分のいじめ」そのもの。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
伊勢平氏で初めて昇殿を許された。『平家物語』では武士である忠盛が殿上人となったことを憎んだ公卿たちによる闇討ちが企てられるが、忠盛は銀箔の木刀によって公卿たちを脅す機転によって防ぎ、鳥羽上皇から賞される(殿上闇討)。
また、鳥羽上皇の前で舞を披露した際、忠盛が斜視(すがめ)だったことから、公卿たちに伊勢の特産品「酢瓶の瓶子」と囃し立てられたが、見事な舞踏を演じて逆に賞されたという話も残っている。
なお、内昇殿は武士では摂関期の源頼光の例があるものの、この当時では破格の待遇だった。中御門宗忠は「この人の昇殿猶未曾有の事なり(『中右記』3月22日条)」と評した。
『平家物語』によれば、成親が立ち上がって瓶子(へいじ)が倒れ、後白河が「あれはいかに」と問うと成親が「平氏(瓶子)たはれ候ぬ」と答え、俊寛がそれをどうするか尋ねると西光が「頸をとるにしかず」と瓶子の首を折り割ったという。
その後の公卿の凋落と武家の台頭を予兆するエピソードとして知られます。
例のルドルフ氏の振る舞いを見て真っ先に思いついたのがそれ。多分当人は圧倒的精神優位に立った上で「遊び気分のいじめ」を楽しんでいるだけのつもり。「所詮俺達にとっては遊びに過ぎないんだから、お前らの様な下賤の輩にとやかく言われる筋合いじゃない」と言いたいだけかと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
安倍さんもそういう扱いされてたっけ。 https://t.co/WwuFAYOUiQ
— nishin (@nishin_8) 2022年2月6日
一連の「アベいじり」、おそらく1980年代に「ナチ曽根いじり」で左翼陣営が一丸となれた成功体験に由来してるんじゃないかと思われ。まさしく「平家物語」の公卿衆と同種の振る舞いですね。https://t.co/E3uB29skPt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
ちょび髭つけたり重機でマスクをつぶしたり、あれで気勢を上げてるのも、乗ってる人は楽しいのでしょうけれど、側から見れば滑稽なものですよね。
— nishin (@nishin_8) 2022年2月6日
例えばこの辺り。
石坂啓「安穏族」2巻「気分はもう戦前」。1984年頃。何度か同じこと言ってるけどこれがヤングジャンプに載ってたのが今じゃ信じられない…。当時の読者の反応が知りたい。(私は大人になってから読んだ) pic.twitter.com/yXAWGOADeR
— 坂井恵理*ドラマ『シジュウカラ』1/7~ (@erisakai) 2016年7月11日
石坂啓「茶番劇」には「ナントナクジミントウ」という短編も。ホワイトカラーよりブルーカラーがエリートとされ、国数英社理が得意な子は落ちこぼれ扱いの世界。そこでのエリートは卒業後、社会の第一線(最前線)で軍人として活躍する…というお話。 pic.twitter.com/SkszvRxT6h
— 坂井恵理*ドラマ『シジュウカラ』1/7~ (@erisakai) 2016年7月11日
リアルタイムで読みました。当時、中曽根(漫画ではナチ曽根だった気がw)の軍拡路線には危機を感じていた人が多かった気がします。また、「漫然たる戦争への不安」に対して、今のように「サヨク」というレッテル貼りが無かったんですよね。だから、普通にYJに載っていた。
— Mighty Jack (@Mightyjack1) 2016年7月12日
果たして「二匹目の泥鰌」は釣れたのでしょうか?
そういえばヒストリエのパフラゴニア編にもそういう場面がありましたね。ギリシャ人の傲慢な領主が村人の作戦に引っ掛かって単身包囲された時「イーリアス」の一説を朗唱して「蛮人ども、文化の力の前にひれ伏せ!!」と一括する場面(村人はその続きまで知ってて一切動ぜず、面倒臭くなって殺す)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
たまたま先日別スレで「当事者が不勉強なだけで(あるいは怖くて目を背けているだけで)時代遅れの旧勢力はむしろそういう愚行を繰り返しながら滅んでいくのが自然の摂理」という話をしました。参考まで。https://t.co/YDt34YjySM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月5日
「ヒストリエ」のあの場面…これですね。今回もまた繰り返されてしまう? pic.twitter.com/qs5uXu9cto
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
フェミニストの扱い、そろそろこれでいいのでは? https://t.co/BT2Qm2mD7l
— 豚足 or ~まるねこ~ (@catpullpull) 2022年2月6日
日本人は優しいから、現時点で回覧されてるのはこの程度? pic.twitter.com/c8CHOhxRc0
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
この話題からの分岐。
'70年代は子供にまでこれ吹き込まれてた。北は日本海側の子供はうすぼんやりと拉致事件めいた注意をされ、こわいひとがいるところと認識していたが、南は南で「軍事独裁国家」と怖れていた。いつ頃無くなったのかははっきり覚えていない。 https://t.co/025q8rdqUa
— Osahiro Nishihata (@_Osahiro) 2022年2月5日
当時の軍事政権下の韓国についての日本人の知識はT.K生「韓国からの通信(1973年~1988年)」辺りがソースだったりしました。著者が亡くなったの今年だったのか…https://t.co/W6ak65oh8s
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
「T・K生」とは、雑誌『世界(岩波書店)』の1973年5月号から88年3月号まで、実に15年ものあいだ「韓国からの通信」を書き続けた人物のペンネームである。
朴正煕および全斗煥体制下で、いかに人権が抑圧され民主化運動が弾圧されたか、日本からの在日韓国人留学生がいかにスパイ団として「デッチ上げられて」きたかなどについて、この匿名通信は詳細に報告した。雑誌連載分が一定の量になると、それらは次々と岩波新書としてまとめられ、私たちは、この時代の韓国軍事政権の「実態」を、この報告を読みながら把握できたと思い込んでいたと思う。
私は、当時の時代状況からいって、これが匿名で書かれていることは仕方のないことだろうと考えてはいた。また連載が回を重ねるにつれて、記述に伝聞・推定の部分が多く、街の噂話も拾われていることが気になり始めたが、それはむしろ、すべてを「真実」と捉えるよりも、韓国社会の鼓動が伝わってくるものとして考えればよいとする立場であった。
ただ80年代に入って翻訳・紹介が格段に進んだ韓国現代文学のいくつかを読みながら、「韓国からの通信」の重要性は認めつつも、それが基盤としている「軍事政権の独裁支配」というキーワードだけで、現代韓国をすべて理解したと思ってはいけないと自覚した。
連載最終回は88年3月号だったが、T・K生はそこで大韓航空機爆破事件に触れた。
「韓国の民主化勢力の間における共通の認識」として、「韓国にとってはオリンピックを前にそのような(北の仕業といい得るような)事件が必要である」とか「(北の工作員を)泳がせておいて、大事件にして北を孤立させるのに使おうとした」などの見解が示されていた。
北朝鮮指導部の方針に対する批判がいっさいないままに、謀略史観に基づいて事態を分析する方法には大きな違和感をおぼえ、「韓国からの通信」はその使命を終えるべくして終えるのだと思った。
いつの間にか「我々は一貫して韓国の味方だった」と言い出し、その癖南スーダンでの韓国軍への弾薬貸与の件では一瞬昔に立ち戻って「弾薬が切れたらテコンドーで戦え。我々を巻き込むな!!」とか言い出すのもJインテリ仕草の一貫。韓国人もその一貫性のなさに気付いてる人間は気付いてますね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
'70年代に知識人だった人は、今韓国の味方面してても信用しないのが安全ですね。四十年前は韓国の人たちを敵扱いしてたわけですから。
— Osahiro Nishihata (@_Osahiro) 2022年2月6日
自分が生まれてない時代に新潟で拉致事件あったのは判ってたけどさ、帰すタイミングで考えたら航空機や万景峰号で帰路させる手段もあった筈じゃない?あの頃、中央埠頭の近くに朝鮮総連もあったんだし。
— 舞雪@オンラインゲームでコスプレ中 (@mayuki_kiryu) 2022年2月6日
やってないので信用されてないのです。
— Osahiro Nishihata (@_Osahiro) 2022年2月6日
そもそも彼らが手本としてる「フランスのインテリゲンチャ」がそういう存在なので仕方のない側面も。ただし三百家と呼ばれる本場のそれは「革命の時代」を生き延びただけあって「目立てば殺られる」自覚が半端でなく、上手く隠れて立ち回る事を知ってる訳ですが。https://t.co/SzIdooNqv4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
そもそも日本人「三百家=権力に到達したブルジョワ」問題を知らない?
実際ゴーン氏が逮捕された時、フランス人が「フランスではあり得ない事だ。ドンドンやれ」とコメントしてました。https://t.co/ckU9UjvRZp
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
ここで引用したギエドレ(GiedRé)「百獣の王( Le Roi Des Animaux,2016年)」がまた鮮烈な反体制(すなわち現在の特権階層たる三百家への庶民のルサンチマン)ソング。MVも強烈で当時世界中で回覧されたものです。
「百獣の王(Le Roi Des Animaux)」歌詞
Les tigres tuent les belles panthères
虎は美しい黒豹を餌食とします。Les poules zigouillent les vers de terre
雌鶏の餌食となるのはミミズです。Les lions massacrent les jolies gazelles
ライオンのガゼルの屠り方は残酷です。les chats dépouillent les oiseaux de leurs ailes
しかし小鳥の羽を毟って弄ぶ猫ほどでしょうか?Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?
Nous on tue des lions, on tue des loups, et on tue des agneaux
私達はオオカミもライオンも子羊も見境無く殺します。Les poules trop fastoche on les butte par vingt dans leur cageot
檻の中の雌鳥だってまとめて蒸し焼き。On tue des hommes, des femmes, des vieux, des enfants à gogo
女だろうが、幼児だろうが、老人だろうが見境なし。On peut tuer tout ce qui bouge, alors c'est qui les plus costauds ?
視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証なの?Les girafes s’empiffrent de feuillage
確かにキリンだって食べられるだけ食べます。les vaches engloutissent des pâturages
放牧中の牛だって食べられるだけ食べます。les lapins se bourrent de carottes et de choux
ニンジン畑やキャベツ畑に放たれたウサギだって同じ。les koalas se goinfrent de bambous
竹林に放たれたコアラも同じ。Mais de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Mais de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?Nous si on veut on peut vider les océans
私達には海を空っぽにする事だって出来るんです。Couper les arbres et brûler tous les champs
森を伐採し尽くす事だって出来るんです。Nous si on veut on peut même faire fondre les glaciers
氷河を溶かし尽くす事だって出来るんです。On peut dégommer la planète qu'ils arrêtent de s'la raconter
地球の外に飛び出して、他の惑星に到着する事だって出来るんです。Oui de tous les animaux, c'est qui les plus forts et de loin ?
それでは百獣の王って何でしょう?Oui de tous les animaux les plus forts c'est nous, c'est les humains !
人間に他ならないんじゃないんでしょうか?
何故か日本のアニメ調…
前に行ってたネトゲで隣の城主がそれっぽい人だった(リアルでお城まで行かないけど結構な会社持ち)のですが、ネトゲでさえ別の元気な人をギルマスにして「有能な補佐官」をやってましたね。控えめな振る舞い方が身に着いてる感じでした。
— Osahiro Nishihata (@_Osahiro) 2022年2月6日
「カイジ」の帝愛会長じゃないですが「本当に平等である必要はないが、不平等感の自分に対する爆発を許したら助からない」勘所を知り尽くしてるんですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
実際、一歩間違えばこれモンですから…https://t.co/87lFICJspV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月6日
向こうの人ら、何かあると石投げたり火を点けたりしますからねえ……。
— Osahiro Nishihata (@_Osahiro) 2022年2月6日
本当に最近のJフェミやJインテリの振る舞い「百獣の王」の歌詞にある「On peut tuer tout ce qui bouge, alors c'est qui les plus costauds ?(視界に入る全てが屠殺対象。それこそ最強の証?)」を黙々と実践する暴走殺戮マシーンと化してしまった気がしてならないのですね。そんな感じで以下続報…