諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】「法学の社会科学性」について。

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以下の投稿で「社会科学は(それ自体は定義不可能な)社会そのものから数学的構造を抽出する事によって成立する」と大口を叩いてしまった関係上、証明義務が生じてしまいました。まずは掲題にある通り「法学の社会科学性」について。

Mycin(マイシン)の様なルール駆動エキスパート・システムを想定する。

スタンフォード大学1970年代初めに5、6年の歳月をかけて開発されたエキスパートシステムである。Lispで書かれ、ブルース・ブキャナンとエドワード・ショートリッフェが開発した。Dendralから派生したものだが、かなり修正されている。

  • システムは伝染性の血液疾患を診断し、抗生物質を推奨するようにデザインされていて、患者の体重のために供与量を調節する。名称の由来は、抗生物質の多くにサフィックス-mycin」がつくから。
  • かなり単純な推論エンジンを使い、500程度の規則からなる知識ベースを持つ。医師に対して、単純な「はい/いいえ」で答える質問や何らかの文章で答える質問をいくつもして、最終的に犯人と思われる細菌名のリスト(確率の高い順)とそれぞれの信頼度、なぜそう推論したかという理由、推奨される薬物療法のコースを示す。
  • スタンフォード医学部での調査によるとその診断結果は65%の正しさであり、細菌感染の専門でない医師よりはよい結果だが専門医の診断結果(80%)よりも悪かった。
  • 現在では人工知能の講義などで、アドホックな確率的フレームワークを作ってしまう事への警鐘を示す例とされることがある。確信度係数システムによってノイズが混入するため、推論の深さが制限されてしまうのである。この問題は、ベイズ推定などの厳密な確率的フレームワークを採用することで防ぐことができる。

実のところ現場では決して使われなかったが、これは性能が劣っていたせいではない。スタンフォードの医学部で試用されたときにはむしろ高評価を得たくらいである。問題はむしろ倫理面や法律面にあり、コンピュータを医療に使って間違った診断を下した場合、誰が責任を取るのかという話が持ち上がってしまったのだった。また、人間の専門家がそのようなものを受け入れることへの抵抗もあった。

こうして専門家の知識を引き出して規則にすることの困難さが明らかになった事が知識工学誕生の契機となる。

その発展形としてAkinatorの様な「学習能力を備えた検索エンジン」が登場してきた訳である。こちらは商用なのでアルゴリズムが公開されていない。

(Low)Pに含まれる任意の条文(Article)pは、ルールデータベース(Rule Database)Qに含まれる任意のルール(Rule)qには、「先例などと付き合わせた上での最新情報を反映させる演算(Operation)g(x)を経て射影(Projection)されるものとする。

Q(p \in P,q=g(p),q \in Q)

  • かかる処理の2path化は、問題が発生した場合の倫理的/法的責任の主体を明らかにしやすくする上、作業の分業化にも貢献するであろう。
  • またルールデータベースQは複数の法Pを射影される事によりその全体集合を興成する。そしてこの事により「集合自体は集合の元に含まれない」なる集合論のパラドクスを回避するのである。

③ルールpは要件集合Xの元xと効果集合Yの元yの組み合わせによって構成される。

p(x \in X,y \in Y)=\\(x_0,y_0)\\(x_1,y_1)\\(x_2,y_2)\\…

要件x_nは、例えば「殺す(人,人)」の様な文法で定義される。例えば論理演算言語Prologで実装すると以下の様な感じとなる。ちなみにPrologの論理演算空間においては(Rows)がor演算、(columns)がand演算に設定されている(数十年ぶりにPrologを触ったが、項目に確率論的揺らぎを持たせられない辺りが致命的に駄目)。

Prolog入門と演習

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ここまでは何て事はない、以下の法学入門記事の引き写しに過ぎない。

条文の中でもわかりやすい刑法199条で見てみましょう。そこでは「殺人」について「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」と記載されています。この条文を法律要件法律効果で分けると…

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  • 法律要件」…①客体が「人」であること+②人を「殺した」こと。
  • 法律効果」…被告人は、死刑、無期、5年以上の懲役に処せられる地位に立たされる。

ただ、実際にこの法律要件を満たすかを検討する際に、「」に当たるかどうか微妙なことがあり、このような場合に「」という文言の解釈が必要になります。言葉の意味は厳密に1つとは限らず、一定の範囲を持ちます。

場合によっては法律要件それぞれが解釈の幅を持ちます。そして、それら全て満たす場面こそ、当該条文の適用範囲となっていくのです。

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上の図で言えば、○の内側が「」に含まれ、①の法律要件を満たすことになり、①の外は「人」に含まれず、条文も適用されないこととなります。この○の線を引く作業こそ文言解釈であり、その線の位置こと規範というものです。

  • 当然に「」に含まれるAは13歳の少年40歳のおじさん、83歳のおじいちゃん…です。
  • これに対して、円の際、Bは胎児です。胎児はいつから「」になるのか、殺人罪の客体として保護されるのかが問題となるわけです。
  • 同じく、反対側の円の際、Cは例えば脳死状態の場合です。脳が死んだら「」でなくなるのか、心臓が止まったら「」でなくなるのか、その基準を明確にしなければいけません。ただ、ここでいう「」はあくまでも刑法199条の「」の意味合いでしかなく、生物学的な人とはイコールではありません。
  • 明らかに「」に含まれないDとは何でしょうか。例えば、動物のペットやロボット、人工知能です。

では、ここで「動物といっても、ペットは家族と同じで命もあるのだから、もし命を奪われたら殺人罪に問うべきだ!」という意見があったとしましょう。確かに、ペットも「」の○の中に含める必要性はあるかもしれません。しかし、この中に含めるには、やはり無理があるでしょう。

条文には「」と書かれており、立法者もあえて「」という言葉を選んでいるわけです。ペットをここに含めて考えることは解釈論の限界を超えています。これは法律解釈ではなく必要性(立法事実)のみを指摘した立法論に過ぎないわけです。

法解釈と言えるには、むしろ、Dが○の中に含まれる正当性、つまり法解釈としての許容性の指摘が不可欠です。

その許容性の代表が文言です。「条文の文言が××となっている」という解釈として許容される旨の指摘はとても大切です。

このような考え方こそが、法律の適用のために必要な、立法論とは一線を画する「正しい法律解釈です。

④こうして抽出される「」「殺す」といった法律上の諸概念の各ルール間の重なり具合が「(それ自体は直接定義が不可能な)社会そのもの」を社会科学的多様体(Social scientific Manifold)とするアトラス(Atlas)を構築する。

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  • 数学上の多様体(Manifold)の定義は「ユークリッド空間と見なせる局所の集合」なので、本来なら離散的に存在する名義尺度集合に過ぎない法概念集合を含める事は出来ないのであくまで考え方のみの導入である。現時点ではこの考え方を導入する事によって経済学社会学も同じ社会科学的多様体=(それ自体は直接定義が不可能な)社会そのものを共有する別アプローチのアトラスとして統合し、さらにその重なり具合を探っていけたら嬉しいな、などと考えている(これまでの経験から、当初の目論見通り事が進む可能性は極めて低い)。

  • ところで正多面体(Regular Polyhedron)自体の定義自体ならいくらでも思いつくが、それがユークリッド空間に実在する為にはオイラーの多面体定理(Eulerian Polyhedron Theorem)「Vertex(頂点数)-Edge(辺数)+Face(面数)=2」の条件を満たさねばならず、実際そういう立体は2面体(Dihedral、コインの様な表裏ある円盤)、正4面体(Regular Tetrahedron)、正6面体(Regular Hexahedron)、正八面体(Regular Octahedron)、正十二面体(Regular Icosahedron)、正二十面体(Regular Icosahedron)、球面(Sphere)の7種類しか存在しない。

    同様にここに述べた様な法概念集合は、それぞれの法解釈としての許容性がもたらす揺らぎ幅に関わらず法と条文の内容に拘束される上、その効果の有効範囲が「(その在り方を保証するに足る十分な火力と機動力を備えた常備軍や警察を中央集権的官僚制が徴税によって養う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)及びその国際協調体制」の実証主義(Legal Positivism)の実効範囲(Effective Range)に留まるという特徴を有する。かくして成文法による裁定(およびそれが及ぼす効果)の有効範囲国家による暴力独占の前提と直結する展開を迎える訳である。

  • また法概念集合も数学的構造上は集合の一種である以上「全体集合に対する補集合に閉世界仮説(Closed world assumption)を採用するか否や」を問われる。

    これについて「法で許されていない事は原則禁じられてる」と考えるローマ法由来の大陸法(Civil Law)の考え方では法解釈上、それの及ばない範囲での振る舞いの一切がすべからず原則としては違法として取締り対象となり、かかる制約を撤廃するには(これを正当化する)立法化の手続きが必要とされる(訳語「自由」の原語の一つたるLibertyの原理に対応)。

    その一方でジョン・スチュアート・ミル自由論(On Liberty,1859年)」で提唱された「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、これを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」なる理念から出発した古典的自由主義(Classical Liberalism)の大源流たる英米(Common Law)は「法で禁じられていない事は原則許されている」と考え「公益(Public Interest)に反する」と判断された範囲にのみ法による規制を追加していく(訳語「自由」の原語の一つたるFreeの原理に対応)。

    この二つのアプローチは「全体集合の補集合をどう扱うか」という観点からすれば表裏一体の関係にあり、全体として科学実証主義(Scientific Positivism)や実証主義のさらなる大源流たる実証主義(Positivism)を構成する。

法学については全くの素人ですが、とりあえずこんな感じにまとめてみました。こんなやっつけ仕事の叩き台でも、それなりに全体像の見通しをよくしてくれた気がします。間違いが発見されたら、随時修正を加えていく予定。そんな感じで以下続報…