諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【社会進化論(Social Darwinism)】①欧州における「デモン・モデル」の発達。

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Wikipediaでも最もその内容にいかがわしさが感じられる項目の一つ。

社会進化論(Social Darwinism)は、ヘーゲルコントなどの社会の進歩についての議論をベースに、生物学において広まりつつあったさまざまな進化論をとりこんでつくられた社会理論の一種である。その理論は多様であり、目的論的自然観に基づく方向性のあるものから、チャールズ・ダーウィンの進化論にヒントを得て、方向性の定まっていないものまで含まれる。しかし、今日の英語圏では単なるイデオロギーの一つとしてとらえられており、本来のダーウィンの考え、またはその他の科学による議論からは逸脱するとの説もある。

順を追って確認していきましょう。まずは実証主義(Positivism)や実用主義(Pragmatism)の起源とも目せるカンブリア爆発(Cambrian Explosion,5億4200万年前~5億3000万年前)の風景にまで遡ります。

 まさに「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」ハードボイルド路線。この様な過程の説明に「創造主の意思の介入」を想定する必要があるでしょうか?「ある」と考えるのが近代半ばまでの有識者の常識だったのです。

ラプラスのデモン(悪魔)1812年

ニュートン力学が、適切な初期条件さえ与えられたなら、世界の諸物体の運動を一義的に決定できるという決定論的な性格をもつことを際だたせるために持ち出された工夫である。

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ラプラス確率の哲学的試論(1812年)」「ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかのもっとも大きな物体の運動も、またもっとも軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つ存在しないであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう」。

「マクスウェルのデモン(悪魔)1870年頃

熱力学を気体分子の運動に基づいて再構成しようとしたマクスウェルは、均一な状態にある気体(温度差がないのでエネルギーを取り出せないはず)を、仕事を費やさないでエネルギーを取り出せる状態に戻す「マクスウェルのデモン」を使って、分子運動の法則と熱力学の統計的法則とが異なるレベルの知識に振り分けられると論じた(1870年頃)。

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このデモンは、気体容器を二分する壁につけられた小さな窓を開閉して、速度の大きな気体分子を一方の部屋へ、速度の遅い気体分子を他方の部屋へ通過させるという役割しか果たさない。マクスウェルは、分子の速度を見分ける能力があれば、このように熱力学の法則に反する事態を実現できるはずだから、熱力学の知識は、われわれ不完全な人間の無知がある程度混入した不完全な知識だとして、分子レベルでの厳密な知識とは区別しようとしたのである。

ダーウィンのデモン(悪魔)1842年~1859年

生き物の世界、生命あるものたちの世界は実に多様で複雑なので予見はそもそも不可能とも考えられるが、ダーウィンの進化学説が初めて書きとめられた1842年の「スケッチ」と呼ばれる鉛筆書きの原稿(40枚たらず)にそれをこなすデモンが描写されている。ダーウィンが飼育栽培のもとでの変異と人為淘汰による品種の改良について述べた後、自然状態での種の変化について論じ始める箇所である。

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ダーウィンスケッチ』第1部2節(1842年)「しかし、もし植物や動物のどの部分も変異するとしたなら、そして人間よりも際限なく賢明な(ただし全知の創造者ではない)存在者が何千年もの間にある目的にかなう変異をすべて選んでいくとしたならどうだろうか。例えば、ある地方では野ウサギが増えているので、あるイヌ科の動物が長い脚と鋭い視覚を備えたなら栄えるであろう、とこの存在者が予見したなら、グレイハウンドが生み出されるであろう
この引用のつづきでは、水生動物の水掻き、蜂を呼び寄せる植物、鳥に果実を食べてもらうことで種子を別の樹木の幹に運ばせる植物(おそらくヤドリギ)などが出てくる。「自然淘汰」の原理が導入される直前の箇所である。このデモンは、1844年の200ページあまりに拡充された「エッセイ」でも繰り返し現れ「種の起源(1859年)」でも女性形に変わった「自然」の名のもとで生き延びている。

それぞれのモデルの比較

ダーウィンのデモンがこなす役割は、マクスウェルのデモンの役割とよく似ている。ラプラスのデモンが世界の初期状態を与えられ、法則によって過去や未来の状態を計算するだけなのに対し、マクスウェルのデモンは速度の大きい分子、速度の小さな分子を選んで窓を開閉し、二つの部屋に振り分けるという選択の役割を果たす。速度の大きな分子を左の部屋、小さな分子は右の部屋と入れる場所を決めたなら、デモンは窓の開閉によって、この区分に合致する分子は通し、この区分に反するような移動は禁じる(窓を閉じて反転させる)だけで、気体分子の速度を増減させる力はない。これほど単純ではないが、ダーウィンのデモンの役割も選択のみにあって、選択の対象となる変異(脚が長いとか短いとか、あるいは花が分泌する液の味や量の多少など)を生み出したりコントロールしたりする力は与えられていない。ただし、長大な時間をかけて選択を積み重ねることができるのである。

では、「人間よりも際限なく賢明な」という能力、知性あるいは予見能力は何に使われるのだろうか。簡単に言えば以下である。

  • 微小な変異、あるいは人間の目ではわからないような体質や能力の差違の判別
  • それらの変異の判別に基づいておこなわれる、普通の因果関係に基づいた(長期にわたる)生死や繁殖の予見

この点について1844年の『エッセイ』において次の様に語られる。ダーウィンは、ガラパゴス諸島をモデルにしたような、比較的新しい火山島にたどり着いた生物群がどうなるかという思考実験に読者を誘うのである。

ダーウィンエッセイ』第1部第2章(1844年)「では、人間にはまったく知覚できない外的および内的組織の違いを見分けるに十分な能力を備え、前述のような状況のもとで生み出された生物の子孫を、何百年にもわたって注意深く観察し、どのような目的についても選択できるような存在者を仮定してみよう。わたしには、彼が新しい目的に適応した新しい品種を作り出せない、などというどんな理由がありうるのか、まったくわからない。・・・十分な時間があれば、そのような存在者は、ほとんどどんな結果でも理にかなって目指すことができよう

この存在者が「選択する」というのはどういう意味かといえば、ある生物がもって生まれた変異(形質や能力)ゆえに、与えられた環境のもとで「生き残りやすいか否か」「子孫を増やしやすいか否か」という「生死および繁殖のふるい」にかかるということで、これがすなわち「自然淘汰」の比喩的な表現になっているというわけである。この選択が基づいている予見は、ラプラスのデモンのような決定論的な予見ではない。ダーウィンのデモンは、自分が選んだ個体がいつ死ぬか、子孫をいくら残すか正確に予見する必要はない。ただ、統計的な見込みとして、そのような結果に至るであろう程度の差(統計的な規則性)を見抜けばよい。その「程度の差」が個体数の差になって現実の結果になるかどうかは、複雑な因果関係と長大な時間が解決してくれる。

かくして「種の起源」第4章では、デモンはいまや女性形の「自然」となって、次のように記述される。

ダーウィン種の起源」第4章(1859年)「人間は外的で目に見える形質にのみ働きかけることができる。自然は、見かけには、それがある生物にとって有用である場合を除いて、かかわらない。彼女[自然]は,どのような内的器官にも、体質のどのような小さな違いにも、また生命の機構全体にも働きかけることができる。人間は自分自身の利益のためにのみ選択する。自然は彼女が面倒を見ている生物の利益のためにのみ選択する。…自然のもとでは、構造や体質のわずかな違いでも、生存闘争においてうまく釣り合っていた天秤を傾かせて、そのわずかな違いが生き延びることになる。人間の望みや努力はいかに移ろいやすく、彼の時間はいかに短いものであろうか!そこで、また、自然が地質学的時代のすべてを通じて積み重ねてきたものに比べて、人間が生み出したものはいかに貧弱なものであろうか

次のように言ってもよいだろう。自然淘汰は、毎日、毎時間、全世界にわたって、すべての変異を最も小さなものについても入念に調べ、悪いものは捨ててよいものはすべて保存し集積している。静かに、目立たないように、機会がある時と場所では常に、各々の生物を、その生活が依存する有機的および無機的条件との関係において改善しようと務めている。われわれは、このように進行している緩やかな変化を、時間の針が時代の長い経過を指し示すまで見ることができないし、しかも、遠い昔の地質学的時代についてのわれわれの知見はきわめて不完全なので、生命の諸形態が現在は昔と違うということしかわれわれには見えない

壮年時代のある期を境に完全に無神論(ダーウィン自身の言葉では「唯物論者」)となったダーウィンにとって「造物主」にも「永遠」という言葉にも大した意味はなかったはずである。しかし、自然が歩んできた長大な時間、そしてこれからも歩み続ける長大な時間が「永遠」の代替物となったのであり、それがまたダーウィンのデモン(女性形)の仕事場ともなったのである。

何故現代人にこうした考え方が奇妙に映るのでしょうか? それは我々が19世紀後半から20世紀前半にかけてゆっくりと進行した「統計革命」、すなわち「平均を中心とする分散」なる概念が常識化した世界観に生きているからです。それまでは「誤差函数」の発見者たる数聖ガウスですら「測定誤差」の認識までしか辿り着いておらず、しかも天文学の研究には十分それで事足りていたのです。そう「統計革命」が起こるには、まず数学的観測の主要対象が「天体」から「人の集団」に推移する必要があったのでした。

まさにこの大転換を成し遂げたのが「統計学の祖ナイチンゲールや「馬上のサン=シモン皇帝ナポレオン3世の「都市整備計画」だったという…

ここでWikipedia社会進化論」序章に目を向けてみましょう。

政治体制が封建制絶対王政共和制へとかわり、一方で産業革命による産業構造の変化によって不安定な立場に置かれた労働者階級ブルジョア階級という新しい階級構造が誕生した19世紀。一方では科学の発達によりニーチェのように無神論的な考え、個人主義自由主義的な思想もまた誕生していた。そういった社会状況において「種は不変の存在ではなく進化する存在である」とする生物学的な考えと「政治体制は変わっていく」という歴史哲学的な考えが同時代に現れ、この二つの思潮が合流したものが社会進化論となったのである。

なんて大雑把な説明でしょう!! まず真っ先に注目すべきは2月/3月革命(1848年)を契機に「国王と教会を頂点とする権威主義体制の絶対視が終焉した事」でなければなりません。特に最大の仇敵(そして解放によって農奴という味方)を失った革命家達は存続の危機に立たされ、とりあえず「労働者階級と資本家階級の対立を煽るマルクス主義路線」で運動を再建するまでひたすら苦境が続ける展開を迎えたのでした(ただしパリコミューン蜂起は失敗に終わり欧州における運動全体が「修正主義」に手痛い敗北を喫する結末に)。

こうした時代の混乱、特に伝統的な集団単位や共有価値観の喪失に対する恐怖ゴビノー伯爵の人種エントロピーニーチェ永劫回帰の様な「距離のパトス(Pathos der Distanz)」論を生んだともいえましょう。

そしてこうした思想的空白を埋める形で「1859年革命」が勃発したというのが私の考え方だったりします。

ただしこれまでダーウィン種の起源」の影響までは触れられなかったので、それについて迫ろうというのが今回の投稿の主旨となります。

その一方で市場貨幣経済の浸透産業革命の進行は容赦無く伝統的共同体を崩壊させていき、その最前線だったフランスやドイツに「そもそも社会とは何で、いかなる変化を遂げつつあるのか」を専門に研究する社会学なる分野が成立するに至る訳です。「社会進化論」はそういう時代に広まった概念だったのですね。

 まず全体としてはそんな時代だった事を確認した上で以下続報…