諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】20世紀サイバーパンク文学における「Jack In」概念について。

今回の投稿の出発点は士郎正宗攻殻機動隊(1989年)」のこの場面。

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この表現にたどり着くまでの歴史。

デヴィッド・クローネンバーグ監督スキャナーズ(Scanners,1981年)」概要

主人公は過去の記憶を失い「他人の考えが自分の頭の中に入ってくる」症状のせいで真っ当な生活の送れない35歳の浮浪者。超能力者(スキャナー)研究所に保護され、謎の鎮静剤エフェメロルを注射されて初めて「人間の神経系統と神経系統を融合させ、相手の心拍数も呼吸量も記憶も思いのままにする能力」が制御可能となる。

  • スキャナー同士だと、能力の高い方が相手を好き勝手に出来る。そして主人公は最高級の素質の持ち主。https://49.media.tumblr.com/a4257719c9ed69e63c3e0e14e6459592/tumblr_muyo3ueBUE1rxam8fo1_250.gif

この能力は電話回線網経由でも相手に影響を及ぼす事が出来る。それにモデムで接続されたコンピューターに侵入してハードディスクに記録されたデータを盗んだり、CPUを暴走させて大爆発を引き起こす事も可能。

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 K・W・ジーターDr. Adder(執筆1974年頃、刊行1984)」概要

この世界においては、TVに映る映像は全てデジタイズ化された上で電脳世界で再構成された電子的存在。そこを支配するのは他人の潜在意識を読み取ってその精神を支配下に置く能力に長けたサイコパス気質の天才科学者であり、取り込んだ人間全てを全人格的に隷属化に置いている。「純粋なる正義の体現者」を目指す偏執狂でもあり、それ故にまずは自ら去勢し、次いで肉体そのものを放棄して現在の形態に至る。

  • これに対抗するのは同じサイコパス気質の悪徳医師。彼の片手は神経が直結して自在に動かせる義手(フラッシュグラブ)であり、これを介してテレビ放映網経由で電脳世界に侵入する技術に長けた「生まれつき盲目の少女」と「薬物」の助けを借りて電脳世界への没入(Jack In)を果たす。
  • 生まれつき盲目の少女」はおそらく「最初の電話回線無断使用者(Phreaks=Phone+Freaks)」ジョイバブルことジョセフ・カール・エングレシア・ジュニア辺りがモデル。生まれつき全盲だった彼は電話回線網を流れるアナログ信号の構造を必死で解析し、遂には口笛だけで基幹回線に到達し海外電話まで掛けられる様になったという。

  • 一方「薬物ADRは人間の意識と意識を直結させる効果があり、意志力の強い側が弱い側を全人格的に従えたり、その心の中を覗いたり出来る様になる。

脱稿直後にフィリップ・K・ディックから「これまでこの世界でにおいて執筆されたどんな小説よりも猥褻」「これで足の裏に毛の生えた小人ばかりの世界から脱却出来る」などと絶賛する序文が寄稿されたが、この作品を特徴付ける性描写と暴力描写の過激さゆえに、出版してくれる出版社を見つけるまで約10年の歳月を必要とした。

ここでいう「ダビング人格」はある意味「(当時、宗教右派のTV宣教師が全国ネットを利用して流して信者拡大に利用していた様な)TV局が恣意的に編集した洗脳的プロパガンダ番組」の比喩で(ヒッピー社会と異なり)「誰かにとっての究極の自由主義は、それ以外に対する専制の徹底によってしか達成し得ない」ジレンマが悪く出た結果「(ヒッピーが理想視する)カリスマ的人格」を頂点に戴く(上意下達を絶対の旨とする)ピラミッド型階層社会=家父長制(Patriarchy)への完全従属を強制されています。要するに「(第二次世界大戦を戦い抜く為の挙国一致体制がもたらした)プロテスタント(旧移民)カソリック(新移民)の強制和解がもたらした新秩序の保守化が進んだ成れの果て」。

だが実際にはヒッピー社会もまた、その理念が顕在化すればするほど「誰かにとっての究極の自由主義は、それ以外に対する専制の徹底によってしか達成し得ない」ジレンマを抱えており、その結果無数のカルト教祖を誕生させてしまうのです。そして「実は両者は本質的に同じもの(「自分がやればロマンスだが他人がやれば不倫(スキャンダル)」というアレ)」という気づきこそがK.W.ジーターのニヒリズム文学の中心的課題であり、この方面における陰鬱な考察は(まさしく「記憶の恣意的編集を主題とする」)独特の段落構成で知られる「グラス・ハンマー(THE GLASS HAMMER,1985年)」において、より深められる形を取りました。

1970年代~1980年代におけるサイキックからサイバネティックへの流れの境界線」というと、ガンダムにおけるニュータイプ概念もそうなんですね。

この傾向は同時代の他の作品にも見受けられます。

ウィリアム・ギブスンローム襲撃(Burning Chrome,1982年)」 粗筋

サイバースペース(cyber space)上に存在するマトリックス(データシステム相互関係の抽象表現にして「人類の神経」)へのアクセス自体は万人に保障されている。ただし重要なデータ(暗闇の中に一際明るい島宇宙を形成している)ほど強力なICE(Intrusion Countermeasures Electronics:侵入対抗電子機器)に守られている。迂闊に没入(Jack In)すると問答無用で脳髄を焼かれて死に至る場合すらある(Black ICE伝説)。

  • 発表自体は「記憶屋ジョニー(Johnny Mnemonic、1981年)」の方が早いが、残念ながらこの作品にサイバースペースへの没入場面はない。代わりに麻薬中毒のサイボーグ・イルカによる「記憶屋」の記憶のサルベージ作業があるのみ(しかも数行)。映画版となる「JM(Johnny Mnemonic、1995年)」はこの部、完全差し替え。

だが、主人公達はたまたまニューヨークの故買屋でソ連製の高性能な軍事用プログラム(見た目は自動小銃の弾倉そっくりで、一度スロットに突っ込んで使うと溶けて跡形も無くなってしまう)を入手した。それで必要な負荷に耐えられる特製の操作卓(Console)を厳選した部品で組み上げ、一世一代の賭けに出る。

結末は意外とビターエンド。

大企業に対する不信感」自体はそのまま継承されたものの、それと戦うのは落ちる所まで落ちたただの負け犬という構図。

×21世紀○20世紀。

当時登場したサイバネティック情報工学(Information Engineering)とは「いかなる意味合いにおいても全体を超越的に統制する中心を持たない自由な情報網の無制限拡大状況において局所的に現れるフィードバック・メカニズム(Feedback Mechanism)」に注目した情報理論。フィクションの世界においては当初これを「サイボーグ(Cyborg)=人間の身体能力の機械による部分置換」なるフィジカル概念として受容したが、提唱者たるノーバート・ウィナーが志向したのはあくまでコミュニケーション(通信と制御)オリエンテッドな新たなる社会学であり、サイバーパンク運動はそれを受けたものとも。「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマゆえに(スターリンいうところの)マルクスレーニン主義教条主義(というより指導層の意思のフィードフォワードしか認めない民主集中制)との両立が不可能だった事もあり(共産主義圏ではイデオロギー的に言及し難かったという説もある)コンピューター技術の停滞が始まる。

ちなみにスターリン死去1953年で、以降共産主義圏でもフルシチョフによるスターリン批判(第一回1956年、第二回1961年)を契機に政治の世界ではマルクスレーニン主義教条主義に対する自己批判が始まるが、その影響がアカデミズムの世界まで及ぶにはさらなる時間を要し、このギャップへの鬱屈がスタニスワフ・レムソラリスの陽のもとに(Solaris,1961年、映画化1972年、2002年)」やストルガツキー兄弟丘の上のピクニック/願望機(1977年)」における「人間の思惑が一切届かない神秘的存在としての異星人」概念の提起を通じての「神人同形論(Anthropomorphism/アントロポモルフィズム)」批判へと結びついていく。

この流れも後にTV系サイバーパンク運動へと合流しK.W.ジータードクターアダー(Dr. Adder、執筆1974年、刊行1984)」における「(如何なる手段を用いてもコミュニケーション不可能であるが故に救世主として崇拝される)狂った瀕死のエイリアン」、ウィリアム・ギブスンニューロマンサー(Neuromancer、1984)」における「ニューロマンサー(Neuromancer)と冬寂(Wintermute)の一対の人工知能(人類の邪魔を乗り越えて最終的に合体を果たしアルファ=ケンタウリに同族を求めて旅立つ)」および士郎正宗攻殻機動隊(GHOST IN THE SHELL)シリーズ(1989年〜)」における「人形使い主人公草薙素子と融合し広大なネットの海そのものへの永劫回帰を果たす)」などを登場させた。同様に20世紀末を席巻した悲観的ガイア仮説の流行とも重なってくる。

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そして日本ではまた別の展開が。

ここで角川映画(1976年~1993年)配給を手掛けた「天才プロデューサー角川春樹の功罪について言及しないといけません。

まぁここまで全体構造を俯瞰して初めてやっと「米国ヒッピー運動が迎えた顛末」と重ねられるという話なんですね。

まさしく「狂乱の1980年代」。

その攻殻機動隊の一場面。

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ユングの原型論、ホログラフ論、量子力学の融合…

そんな感じで以下続報…