実はベクトル、すなわち現象を基底の一時結合で表す表現法が普及するのは意外と遅く19世紀末以降だったりします。
空間とはなにか - 日本数学会
ところで国際的に(大衆の仮面を被った)俗流モラリストが振りかざす「自由主義は必然的に古典的自由主義(個人主義的)→社会進化論(帝国主義的)→社会進化論(社会主義的)と段階的に発展していく」なる歴史観に特定の提唱者も思想の系譜も見つからない問題を辿っていったら、なかなか壮絶な歴史が浮かび上がってきました。
科学史的側面のピックアップ
なんでこんなにも「群盲像を撫でる」状態になってしまったかというと、こうした時代にはまだ統計学やベクトルの概念が普及しておらず、その部分を哲学的(形而上学的)アプローチでなんとかしようとしてきたからなのでした。全体像を俯瞰してみると、意外や意外「戦前日本を代表するマルクス理論家」戸坂潤がマルクス主義的弁証論に「論理は情緒による補正を受ける」なるタルド理論を援用してる辺りが当時の時代制約を受けたなりの最先端。そう、これ基底の一時結合のの部分、いわゆる「重み付け」概念そのものなんですよね。流石は元物理学者…
ところで線形代数は連立一次方程式の解法に特化しているので式を式の繰り返しとしてしか解く事が出来ず、ここに「順番の問題」が生じるのです。
- 因子分析や主成分分析の様な次元数(基底数)操作演算では、この「重み付けの量」によって次元(規定)の順番を入れ替えたり(成分の小さい次元/規定を黙殺したり)する。
- ところがその一方で、この手の演算の順序は概ね非可換だったりする。
まぁ上掲の「提唱者も系譜も不明な言説」も、この辺りの闇を漂う過程で育った模様。人文学復活の突破口はこの辺りにあるのでは? そんな感じで以下続報…