今回の投稿の出発点はこの投稿…
そして…
神木隆之介にいつまでも高校生役をやらせているあたりも、今の日本映画の引き出しの無さに限界を感じる。 pic.twitter.com/5G7WERn42X
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
若い役者、いくらでもいるだろ。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
90年代から役所広司に頼りきってきたのと同じだな。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
役所広司も神木隆之介も素晴らしい役者だけど、使う側の引き出しが少な過ぎるから、色んな作品に出ても似たり寄ったりに見えてしまう。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
「刑務所帰りの中年男の再生物語? 役所広司でいいんじゃない?」
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
「高校生が主人公? 神木隆之介でいいんじゃない?」
「とりあえずリリー・フランキーで脇固めとけばいいんじゃない?」
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
「渋い助演が欲しい? とりあえず國村隼でいいんじゃない?」
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
こうして味のない金太郎飴みたいな日本映画が出来上がる。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
韓国は人口が少ないから役者の数も少ないのか、主演から脇役まで日本以上に同じ役者をよく見るけど、それでも一人ひとりの役者にものすごい振れ幅があって、見ていて飽きない。先述したように役者の総数が少ないから、一人の役者が色んな役を器用にこなせないと現場が回らないのだろう。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
例えば、マ・ドンソク…
役者も器用だし、使う側の引き出しも多い。「この役ならこの人だな」という固定観念や先入観が生まれにくい。主演もやれば脇もやる。善人から悪党まで、同じ俳優が何でもやる。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
キャスティングを鉄板で固め、さらに役者に演技の振り幅を許さないであろう制作側にも問題がありそうな気がしますね。Jホラー末期にも感じた「金儲けにこだわり過ぎて、かえって全財産失う」あのパターン。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月7日
役者の人は与えられた仕事を全うしてるだけで、作り手側の、特に企画段階からの大きな問題がありますよね。監督の良し悪しというより、もっと根本的なところで死んじゃってるというか。
— わがままコブラ (@wagamamacobra) 2022年3月7日
「(嬉しい裏切りも含めて)観客が何を求めてるかからの逆算」が全然出来てない気がします。「リップヴァンビンクルの花嫁」におけるCOCCOのあの役での抜擢。ああいう博打がドキドキ感を産むわけで…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月7日
そして…
「エイリアン」が国際的にヒットした時「人間の身長の1.5倍程度のゴジラが街に無数に現れる話」が企画されたものの、稟議書を通すには回覧先の意見全部を取り入れる必要があり、結局「いつものゴジラ映画」にしかならかったという話を聞きました(どのゴジラか失念)。日本って、こういう話多過ぎ?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月8日
この話1990年代に聞いたのですが、いかんせん古い話なので元となったエイリアンが1(1979年)だったか2(1986年)だったかも定かではありません。https://t.co/Hntogjcy2l
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月9日
それはそれとして強く印象に残ったのが、その話をしてくれた関係者が「かくして既存類型から絶対抜け出せない展開」を「このままじゃゴジラ映画は駄目になる」なる批判的文脈ではなく「そうやって世界に誇るゴジラ映画は再生産され続ける」と肯定的に語った違和感。https://t.co/HFDpyI2prX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月9日
その一方で「シン・ゴジラ(2016年)」は「我儘過ぎて既存システム踏襲を拒絶する」庵野秀明の個性の到達点。そうウォルト・ディズニーやスティーブ・ジョブズと同じ「民主主義の敵=善良で革新的な独裁者」タイプが引き起こしたパラダイムシフトだったのです。https://t.co/IgWmO5jETz
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月9日
もちろん「独裁者の善良性と革新性」はしばしば1代(もって概ね3代)限りのもので、すぐに逸脱して弊害しかもたらさなくなるから「民主主義の敵」な訳ですが…今やそうした全体像をも視野に含めた再構成が必要とされているという事かと。https://t.co/9N5gdlSQ68
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月9日
そんな感じで以下続報…