しめしめTwitterからはてなブログの過去投稿への誘導に多少は成功した様ですよ?
当時必死で集めた重厚な作品リスト自体は今でも私の貴重な財産となってますが、問題は最後の方で拙く援用を試みてる数理の部分。最近は線形代数の再勉強にまで足を踏み入れる羽目に陥ってます。とはいえまだまだ旧カリキュラムで高校生が習ったレベルの過程にしか踏み込めてないし、計算自体はコンピューターに丸投げで全然「数学力」みたいなものは育ってなかったりもする訳ですが。
- そもそもセカイ系における「世界そのものの危機を人間関係が救う」なる発想、16世紀~18世紀にかけての近世欧州に「(国体を保つのに十分な火力と機動力を備えた常備軍や警察を中央集権的官僚制に立脚した徴税で賄う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)間の国際協調体制」が成立するまでの歴史感覚の主流だった。
- 実際、明治維新期の岩倉使節団(1871年~1873年)もこれを「欧州発展の原動力」と聞かされているが19世紀に入ると次第にその座を統計技術に立脚する計画科学に明け渡していく。ここで主役となったのは(正規分布概念などに立脚する)統計的推論。
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その一方で産業革命導入の過程で伝統的地域共同体が崩壊し、新たなる社会を再建する為に社会学が発展する。紆余曲折あったものの、現在最先端は「(グラフ理論などを駆使する)インターネット社会学=関心空間論」を含むシミュレーション工学。
- 一方、ヒッピー運動や学生運動の延長線上に現れたGAFAはあっけなくマルクス主義を切り捨て(開拓者精神の伝統に由来する)超越主義や(人より大きな欲望を抱えた絶対者が既存の欲求解消体系を破壊して新世代のそれを再建すると考える)古典的自由主義の延長線上に(数もプライオリティも適正な基底の一次結合として構成される)ベクトル力学を行動指針とする様になった様に見受けられる。
これ勢力関係の均衡に重きを置く「人間関係論への回帰」というより、その発展的解消を重視するラディカルさこそが本質だから話がややこしくなってくる。
とはいえ実は欧州ウェストフェリア体制(1648年~1815年)そのものに「太陽王ルイ13世やプロイセン大帝フリードリヒ2世やフランス革命や皇帝ナポレオンの暴挙にそれなりには共同して対応する(あまり当てにならない)寄せ合い所帯」に終始した側面もあったといえなくはなかろうか。
まぁ同じ数理でも全部分野が違うので幾何学的統合に苦労してる訳ですが、この観点から全体像を俯瞰すると…
- (2000年代前半に流行した)セカイ系評論独特の視野狭窄は革命理論喪失によって彼ら自身が「個人と社会を結びつける方策」を失った事に由来するとも見て取れる。
- 同様の問題は21世紀的社会学の主流をなしているとされる公共社会学も抱えている。特にフランスにおけるアソシアシオン(Association=市民団体)概念を色濃く受け、「(数理と関心空間論導入を主軸とする)インターネット社会学革命を否認する立場からネット上での振る舞いが非合理的な形に終始しやすい側面を有する。
トクヴィルにおけるアソシアシオンの概念
とりあえず、そんな感じで以下続報…