以下の投稿において「ニーチェ の仏教への言及」を契機に「19世紀末欧州におけるオカルティズムの流行」について触れる機会がありました。
一方日本で「仏教」「オカルティズム」というとこの話…
類似宗教学者(あくまでも自称)の吉永進一先生も当事者である「1970年代オカルトブーム」における「密教」の位相を研究したいという院生希望者がいまして、「近代仏教」を理解する上での「戦後」の重要性を前々から訴えている教員側も、その指導に向けての勉強を開始いたしました。
今月は多くの一次資料(歌川大雅、中岡俊哉、桐山靖雄などのテキスト)に加えて、横浜国立大の一柳廣孝先生による複数の研究書も入手しました。第一印象としては、1973年に刊行されるコリン・ウィルソン『オカルト』の中村保男による日本語訳の影響が時代的に、どうも大きかったようです。
コリン・ウィルソン(COLIN WILSON)「オカルト(THE OCCULT)
わたしが読んだのは平河出版社からのハード・カバーの本で、1985年初版。ただし作品自体は1971年の作です。650頁を超す大著で、モノ凄くブ厚くて重い本でした。
むかしの新潮文庫みたいなちっちゃな文字で2段組み、ギッチリ詰まって600頁。久しぶりに読んでも読んでも終わらない本に出会いました。わたしはケッコウ飛ばす方なんですが、それでも約2週間拘束されるボリュームです。
え~とおそらくではありますがこの本は、1971年当時の集大成あるいは要綱として書かれたのではないかと思います。ナゼなら50作品くらいのネタ元というか、ダイジェストの連続だからです。かと言って内容が破綻しているワケではないので、センセの膨大な著作物の索引みたいに考えるとよろしいのではないかと。
タイトルがズバリなんで何やらおっとろしい本を想像される方もいらっしゃると思いますが、実はこの作品はいわゆるオカルト本ではありません。特定の人物や思想に思い入れするコトもなければ、アタマから信用してるワケでもなく、非常に中立な立場をとっているんですね。
ウィルソンちゃんのエラいトコロは、何に対しても一定の距離を保つその姿勢。オカルトも化学も物理も政治さえも、人間ひいては宇宙のナゾを解き明かす、一個の素材として考えているんです。ただそんなスバラしい志なのに、どうして最終的にいつも同じ本になってしまうのかは、ご本人しかわからない神秘の領域ですネ。
で、この本はオカルト本でもないクセにそのタイトルだけで、当時のオカルト・ブームに乗っかって、20万部以上を売り上げたらしいですよ。まあタイトルのみで買っちゃう読者も読者ですが、タイトル一つでスゴい荒稼ぎですね。
これに続いたのが(バイオレンスとエロ満載の)伝奇小説と伝奇漫画のブーム…
そして角川春樹の「ハルマゲドン」概念布教の延長線上に起こった1990年代中旬のオーム真理教事件…
般若心教における「色即是空、空即是色」の該年が示唆する「存在と非存在の境界線として広がる確率論的揺らめき」は、その一方で1979年創刊の「月刊ムー」の飯の種だっったりしてきた訳です。
新海誠ワールドにおいて「月刊ムー」が象徴的に担わされている役割。その(あえてどのヒューステリック的発想をも放棄しない)非科学的アプローチゆえに理論値に程遠い段階で事後確率の更新がすっかり滞ってしまっているにも関わらず、読者層はその停滞に苛立つどころか、むしろニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra、1883年〜1885年)」におけるロバの宗教儀礼の様に嗜好品的に「実存不安の解消」に役立てているという…
そんな感じで以下続報…