ふと思い出したのがカップヌードルCM「魔女の宅急便 青春編(2017年)」のラストシーン
ここでキキちゃん、魔女の力でトンボさんを自力では決して降りられない高所に追い込んだ末に「私の事好き?」と聞く訳ですが、これって暴力じゃないの?
今回の投稿の発端はこの投稿…
極めて残酷な話ですが、メンヘラ食いの(狂)氏とは違い、「暴力性を出せない」人はメンヘラ食いにはなれず、メンヘラ女子に限界まで好意と人生の時間を搾り取られて力尽きてしまうんですよね。私は共感性高い人には厳しいから無理せんほうがええよという。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月22日
穏やかな関係を長く続けたいと思ったら、安定した人を選ばないといけないし、そういう人は不安定な人間関係を避ける分、どんどん遠回りになる。いや、ジェットコースターみたいな関係をやりたいのです、という人は好きにしたら宜しい。
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月22日
フェミニズム史的に辿るとまず米国心理学者ダン・カイリー「ピーターパン・シンドローム(1983年)」と「ウェンディー・ジレンマ(1984年)」辺りが出てきます。
この系譜は(異性への思いに振る舞わされない)ティンカー・ベルの境地への到達を理想視するのですが、その考え方自体が後世に継承される事はありませんでした。
いずれにせよ和製コンテンツ「家父長制概念からの脱却」という点で20世紀のうちに物凄い成果を上げた印象があります。第三世代フェミニストがネット上の論争で「聖書」として信奉し引用しまくるのもむべなるかなという感じ。
そして次に現れたのが倉田真由美「だめんず・うぉ〜か〜(2000年~2013年)」の世界。
ここで乱入。
「ベティブルー(ぼそっ)」。完璧版公開により「彼氏がその後も元気で生き延びる」エンドと判明して人気凋落。https://t.co/XanDbMNxHO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
浅井いにお「うみべの女の子」「おやすみプンプン」。海外のゴス系女子がセットで読んでて「駄目男には見切りをつけよう」「治療はちゃんと受けてお薬もきちんと飲もう」という結論に至る。そんな教育的な内容だった?https://t.co/W0tTyxV8Bl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
この辺りの話ですね・
まぁ男子も「危険に近づく前に」鑑賞しておいた方が良い作品群?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
プンプン駄目男枠なんだ……(それはそうだと思うんですが、その視点はありませんでした)
— ヤヤネヒロコ ⋈⚡️ (@chat_le_fou) 2022年3月22日
「駄目男は見切りをつけよう」は「うみべの女の子」の方ですね。まぁプンプンもかなり駄目男でしたが「最後まで見捨ててもらえなかった」とも言える訳で。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
「ベテブルー(完全版)」と「うみべの女の子」は「(メンヘラの)美味しいところをつまみ食いして逃げ切るという点で性別逆転関係にあるのですが、その筋の女子が前者の「僕は今日も彼女の事を書き続ける」という(確か原作小説通りの)結末に「続けて自殺したと思ってたのに‼︎」と悪態をついたのに対し…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
なんかこう中島みゆき「別れうた」みたいな世界観…
後者の「あんな危ない男が魅力的に見えたのは自分も危ない精神状態にあったから」と気付いて距離を置き、忘れてしまう(男はその後も暴走を続け勝手に破滅)という結末については「まぁそんなもんじゃない?」と容認的だったのが印象的でした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
これは「SMのMの側は飽きやすいし、飽きたらもう不可逆的に駄目なんです」という話にも繋がってくる話ですね。
一方「プンプン」の愛子ちゃんは彼女らに「(こんな最後を迎えるくらいなら)ちゃんと治療を受けてお薬もちゃんと飲みます‼︎」と叫ばせる力を確実に備えてましたね。逆に「メンヘラを娯楽として消費したい」勢は国際的にドン引きする域まで突入しましたが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
ちなみに「安定したメンヘラ」は「聲の形」の西宮結弦に共感を感じて「アレは希望?それとも奈落?」みたいな話をしてるイメージ(アレが何か分かったら「こちら側へようこそ」と仲間にしてもらえる)。そういえばwikiに「物凄く苦しい説明」が…https://t.co/fB0WHLkCeb
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
具体的にはこの辺りですね。
西宮硝子
作者曰く「西宮は優しいからああしているわけでも、強いから、弱いから、といったわけでもないんです。彼女は、彼女なりにたくさん考えた結果、ああするしかない、というだけなんだと思います。」とのこと
西宮結絃
趣味は写真撮影で、いつも一眼レフカメラを首から下げているが、撮影するのはもっぱら動物の死骸ばかりである。その理由は硝子が小学生時代にいじめを苦に自殺を考えていたことに対し、動物の死骸の写真を見せることで自殺を思いとどまらせるためであった。市のコンクールで優秀賞を受賞した(単行本5巻 第41話「みんな」で母親は「県のコンクールに写真選んで応募しておいた」と話していたが、単行本6巻 第60話「何者」で将也の母親は「市のコンクールで優秀賞だって」と話している)。
クリエータを志向するなら、ここから先の話が本番です。
「失礼ね。私達が私達である理由をそんな風に勝手に探して勝手に納得するなんて!!」そう、そこから先にもう終わりなんてない…ピエール瀧「くっ、こんなのちゃんとお薬飲まなきゃついていけねぇぞ!!」いや「お薬」をそんな使い方しちゃ駄目だってば!!https://t.co/Bl8yfb5fWn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
別役実「どこまでも…どこまでもずっと一緒だよ、ジョバンニ…」今から聞き返すとYMOで一番狂ってたのは細野晴臣だったってはっきり分かるんですよね。当時はそこまでちゃんと聞き取れてませんでした。https://t.co/Cq3s4aXZPY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
そういえば当時は「1/fの揺らぎ」なんて流行語もありました。で、何故かこの曲を聞くと私はこの曲を連想してしまうという…これ「犯人の心象風景」というだけでなく「脚本家が図書館でこの作品を執筆してる時の実風景」でもあったというのが恐ろしくて。https://t.co/oWe0RZU4iP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月22日
パワー(スペクトル密度)が周波数 f に反比例するゆらぎのこと。ただし f は0より大きい、有限な範囲をとるものとする。
ピンクノイズはこの1/fゆらぎを持つノイズであり、1/fノイズとも呼ばれる。自然現象においても見ることができ、具体例としては人の心拍の間隔、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音、目の動き方、木漏れ日、蛍の光り方、扇風機の設定、スカートの揺れ、髪の揺れなどがある。また物性的には、金属の抵抗、ネットワーク情報流が例として挙げられる。
そんな感じで以下続報…