最近のロシア・ウクライナ戦争によって現代社会は以下の様な制約を備える事を改めて再確認させられる事になりました。
- いかなる形而上学的概念も法源としない法実証主義(Legal Positivism)は「(その有効範囲を保つのに十分なだけの火力と機動力を有する常備軍と警察を中央集権的/文書行政的官僚制による徴税によって養う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)の国際協調体制」によって担保される必要がという事。
- さらに資本主義社会におけるあらゆる諸概念は、いかなる形而上学的概念をもその存在根拠とし得ないが故に経済実証主義(Economical Positivisn)、すなわち「それ自体採算が取れているか、何らかの形でパトロネージュを受けている」必要があるという事。
- さらにそれら諸概念は科学的ないしは文化的である為に科学実証主義(Scientific Positivism)ないしは文化実証主義(Cultural Positivism)すなわち「何らかの形で固有のパラダイムを共有する人々によって保守運営されている」必要があるという事。
ただしここでいう実証主義(Positivism)は「いかなる形而上学的概念にも寄らず科学的に経験可能な範囲によってのみ構成されている」なる科学主義的俗流でなく「限界効用逓減(Diminishing Marginal Utility)の超克、統計学的分散範囲維持による多様性確保、絶えず新要素が追加され続ける事に対するパラダイム保守過程などを(建前上)超越した一貫したスタイルで捌き続ける事」なるフランス伝統主義的原義によって定義されるものとします。そしてこうした全体構造こそが「(ヘーゲル流にいう)現代の時代精神」であるという信念によってのみ人類は「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制(土地運用だけでなく資源や交易権の排他的独占によってもこれに類する権威体制は存在し得る)」と文化実証主義や(その部分集合としての)科学実証主義に依らずその正当性を説明しようとするあらゆる陰謀論や疑似科学の類をその枠組みの外側に排除出来るのです。
例えばYoutubeという産業形態についてこの概念の適用範囲を探ってみましょう。
①まずはYoutube配信そのものがインフラとしては当然(産業革命段階における鉄道網と航路整備に併設される形で広まった電信網に由来する)法実証主義(主権国家体制の国際協調体制が担保してきた国際的インターネット網の発達とこれを構成する各国の取締り範囲)」の制約を乗り越えて成立。
②さらにYoutubeは「一定以上の参照数をキープし続けるアカウントに相応の収益還元を行う」経済実証主義の基本インフラの一つでもある(もちろん実際にはこれに依らない収益構造もあり得る)。
③「職業としてのYoutuber」は何らかの文化実証主義(およびその部分集合としての科学実証主義)に立脚しているかしてないかによって大別され「(文化実証主義に基づかない)浅薄な陰謀論」は(これまで述べてきた全体構造外からモチベーションを供給される)後者からのみ現れる。また両者は以下の様な基準でも峻別される。
- 限界効用逓減の超克…すなわち「どんな人気トレンドもそればっかり騒いでるだけではどんどん視聴者が飽きてくる」。
- 統計学的分散範囲維持による多様性確保…すなわち「相応の話題幅がなければ、やはりすぐに視聴者に飽きられてしまう」。
- 絶えず新要素が追加され続ける事に対するパラダイム保守…すなわち「どんどん新しい話題が追加され、かつそれまで話題にしてきた内容と矛盾しない事が求められる」。
まぁこの構造だけでは基礎科学やイデオロギー(日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)そのものの保守が担保されない(陰謀論の類と同様、外部モチベーションを必要とする)問題はさておき、とりあえずこれが出発点。
本邦のいわゆる「リベラル」系の主張がもう決定的に現実と乖離して、そもそもその認識自体がどこか歪み切ってるとしか思えん事態にまでなっとるのは、こうまでなってきた経緯や背景など含めて、ほんまに正しく学術研究的な考察・分析対象だとおも。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月27日
何であれ自分の思ったり考えたりしたことを言葉にして発する時点でもう、その言葉がどのように読まれたり聞かれたりするのか、言い換えればそれらの先の「読者・受け手」をどのように想定しているのか、というあたりが合せ鏡的な、それこそエコチェン環境前提なんだろうな、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月27日
自分たちのそのような言葉やもの言いが、自分たちが自明に想定しているような読まれ方聞かれ方をするのが当然の前提、と。で、それを「リベラル」「アカデミア」「意識高い」その他のもの言いで理屈抜きの「正義」として共有している、いずれそんなエコチェン空間だけに生きている、と。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月27日
なのに「対話」だの「議論」だの、はたまた「多様性」だのとまぁ、おまえらそういう状態だとそれ、絶対できるわきゃないだろ、ということをツルツルとさもさももっともらしく垂れ流すあたりがもう、コンサル詐欺師話法&身振り丸出しになっとるわな( ಠωಠ) pic.twitter.com/E67UUwKpS4
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月27日
リベラルは、コンサルに似てる(*゚ー゚)#うっかりしたことを言う
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2022年3月27日
ここに乱入。
日本発なのに海外でしか流布してないこのMemeを思い出しました。「金持ちは別世界に生きてて、彼らにとっての封建主義はまだ終わってない!!」日本人にはこれが封建主義(Feudalism)という意識が足りてない? pic.twitter.com/fytC8LYgTq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
戦国時代日本を訪れた宣教師が「この国の君主達は食べていく為に戦っている」と驚いてますが、逆をいえば欧米の王侯貴族や聖職者のイメージって(サン=シモンや初期マルクスの考え方によれば)「社会に依存せず暮らすうち、どんどん現実離れしていく不労所得者」なんですね。https://t.co/TNwkdU5puA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月27日
「社会に依存せず暮らすうち、どんどん現実離れしていく不労所得者」…日本人の知らない欧州史のこの側面…ざっと挙げると叙任権闘争からの教皇派VS皇帝派からの南イタリア争奪戦…https://t.co/yyXDZtl0ig
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月28日
そして十字軍運動からのアンジュー帝国の興亡からのビザンチン帝国興亡史辺りですかね。そう日本史には幸い「ヨーロッパの祖母」アリエノール・ダキテーヌとか…https://t.co/vwQF2rRcpT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月28日
「十字軍運動を終わらせた無能な働き者」シャルル・ダンジューが登場しないのです。https://t.co/EbZlLVKdBv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月28日
改めて列記すると「8歳から80歳まで現役政治家」のアリエノール・ダキテーヌの有能さと、その努力を超高速で全部台無しにしていくジョン王の無能さの対比が突出して酷過ぎる…こんなのに欧州史は振り回されてきた訳で。そりゃ「冬のライオン」が必須教養になる訳だ…https://t.co/JgT1g9dU2m
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年3月28日
そう「形而上学の世界」の大源流にはこうした「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」を伝統的に擁護してきた諸概念が存在し、それが封印を破って「流出」してきた事が改めて問題になっているという…どうしてそんな事に? 詳しい内容については以下続報…