諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【ニンフェット世代】「同世代男子が同じ人間に見えない」という出発点。

ニンフェット世代(女児が成長速度で男児を抜く小学生高学年から、再び抜き返される中学生までの時期の少女)の記憶、忘れ去るより娘の教育に役立てるべきでは?

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彼女達が脳内に思い浮かべる「ニンフェット・ファンタジー」。

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古典小説で言うと樋口一葉たけくらべ(1985年~1986年)」

この世界観を完璧なまでに「21世紀にあるべき姿」に再構築してみせたのが新海誠監督映画「天気の子(2019年)」とも…

ところが現実は常に裏切る、なんて残酷なの…

実際に彼女達の視野に映る同年代の男子達はこんな感じなのである。

それで2010年代初頭には彼女達の間でLana Del ReyLolita」が大ブームに。

ううむ、この同世代の男子を「まだまだコドモでヒトよりケモノに近い段階の生物」と見下す傲岸な態度…まぁこれが「年上イケメン男性への憧憬」と表裏一体の関係に…ところが彼女達、Lana Del Reyが「Video Game」を発表すると離れてしまうのです。

これは自分よりヴィデオゲームに関心のある年上の男性を好きになった若い女性の歌です。彼女は必死になって彼と付き合おうとするだけでなく、自分にも「私はそれが楽しいの そうやってヴィデオゲームをするのがね」と言い聞かせます。

どうやら実際に彼女らが直面するのは圧倒的に真逆の景色、すなわち榎木ナリコ「センチメントの季節」4巻第5話「惜春」で描かれた「それまで一緒にアニメを見て漫画を読んでゲームを楽しんできたボーイフレンドが肉体関係を持った途端、SEXの話しかしなくなる」悲しみに直面するケースである様で、それで「分かってないヒト」に分類されちゃった模様なのです。

一方、彼女らの観点からすればロリコンウルトラ・フェミニストも「自分を良い子=ニンフェット世代以前の幼女状態に強引に押し戻して管理下に置こうとする敵」という認識。Twitterでよく見かける暴走Jフェミ、まずこの辺りの判断センスが抜け落ちている気がしてなりません。もしかしたら自分達もニンフェット世代だった頃の記憶が完全に欠落しちゃってるの?