諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】改めて「お前らの為に用意されるDOS窓はない!!」の世界…

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ちなみに以下は国際的には「党争における勝利」を最優先に考えるフェミニズム第二世代/第四世代の半端者を「調和を最優先に考えるフェミニズム第三世代が捕捉して論破するのに使われる、いわば「フェミニスト間の内紛解決手段」の一環に過ぎないのですが、暴走Jフェミはあまりに未成熟である為、そういうのも「外部からの邪悪な攻撃」としか認識する事が出来ないのです。まさしく「お前らの為に用意されるDOS窓はない!!」の世界…

今回の投稿の発端は以下のTweet

そして…

こうした言い掛かりが成立するのは、ジョン・スチュワート・ミルは同時に数学者でもあり、この問題を倫理論争的にでなく純粋に数理的(後世における確率論的に)に言い立てているという事実を認めない場合に限られます。

しかも(その現実世界における着実な展開が数々の歴史的資料で追跡可能な古典的自由主義の世界と異なり)実際の歴史上、実際にそう主張した人物は実在しないというおまけ付き。そう、あくまで全てが支持者の間でのみ共有されてきた共同幻想の産物に過ぎないからこそ余計に救いがないのです。

この辺りまさに今論証中なのですが、「正義者同盟」のシャッパーに「即時蜂起」を主張するオーギュスト・ブランキヴィルヘルム・ヴァイトリングを抑え込む論客として招かれたマルクス自身が生涯に渡って貫いたのはあくまで「今はまだ直接蜂起には早過ぎる」なる現実主義であって、例え文脈上「資本主義社会は必然的に自滅し、最後には共産主義が勝利する」書いてあったとしても、それはあくまで(キリスト教が弾圧されていた時代に成立した黙示録文学同様に)「そうとでも思って今は我慢しろ」なる文脈に沿っての方便に過ぎず、その現実に納得いかない主義者は「そのカール・マルクスって野郎も所詮はネトウヨ」なる結論に到達せざるを得ないのです。これと同じジレンマが「ジョン・スチュワート・ミル古典的自由主義を否定する社会自由主義」にもついて回るという話なんですね。

とどのつまり暴走Jリベラル暴走Jフェミの主張は「お前ら草食動物が生存してるのは、我々捕食動物がお前らを適切な範囲で間引いているからだ」の一言に要約出来ます。逆を言えばその考え方が暴走した形が「アノマロカリス(Anomalocaris)(「紀元前1200年のカタストロフ」によって対消滅した新エジプト王朝とヒッタイトの後継としての)アッシリア帝国(Assyrian Empire)の自滅」だったとも捉える事が出来そうです。

そんな感じで以下続報…