まぁそういう話という。
今回の投稿の発端は以下のTweet
異性を性的な目で見ることは自然なことだし、誰もが行っていることだと思うが、それは公の場、公の関係の下では封印しなければならないという程度の規範がどうして守れないのか。そもそもそういう規範の存在自体があやしいのはいったい何故なのか。
— 中嶋 哲史 (@J_J_Kant) 2022年4月9日
ここに乱入。
そっくり同じ議論が百年前にもありましたね。「売春婦を買い、黒人を人間と考えないのは自然な事だし、誰もが行ってる事だが公の場、公の関係の下では封印しなければいけないという規範がどうして守れないのか。そもそもそういう規範の存在自体があやしいのは何故か」https://t.co/pU3TBzml9n
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月9日
この話ですね。
フロベールもマネもボードレールも印象派作家達も「誰が考えてもこんなのこの世に存在しちゃならんないだろ(笑)」と考える人々によって執拗に訴訟され、その存在を抹殺されかけてきたんです。「彼ら」の側が勝ってたら、この世界どうなっていたと思います?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月9日
ちなみに「フロベールやボードレールやマネや印象派の様な汚らわしい奴らが、この世に存在しちゃいけない事」についてはちゃんと当時の社会なりのコンセンサスもあり、裁判では陪審員が満場一致で「有罪」の判決を下した様ですよ?https://t.co/m6Pkx0Y9Je
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月9日
もっと興味深いのが、当時「彼ら」の側が正義として掲げた「エロは聖書や神話のエピソードと結びつけられたら神聖化される」なる考え方が生み出したのが「逆にそのレギュレーションさえ満たせばどれだけエロを追求しても良い」なる求道精神だった事。https://t.co/mYU9Ov5TVG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月9日
ちなみにここでどうしてエミュール・ゾラやモーパッサンの様な自然主義文学の大御所の名前が上がらないのか。その頃にはイチャモンをつける側も随分と小賢しくなって、無名の新人や売れない三流作家ばかり狙って確実に仕留める様になったからです。現代日本も同じ展開を迎えそうで暗澹とした気持ちに。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月9日
この話ですね。
19 世紀フランスにおける文芸の検閲の事例として最も有名なものは, 1857 年に行われたギュスターヴ・フローベールの小説 『ボヴァリー夫人』 とシャルル・ボードレールの詩集 『悪の華』 の裁判であろう。 これらの裁判は第二帝政 (18521870) における検閲の厳しさを物語る出来事であるが, 文学裁判は, 自由主義的な第三共和政 (18701940) においても引き続き行われ, 特に体制の確立期にあたる 1880年代半ば以降の一時期には, 第二帝政下よりもむしろ頻繁に作家や詩人が法廷で裁かれることになった。 具体的には, 第二帝政時代の約 18 年間に8人の文学者が裁判にかけられたが, 第三共和政下の 1884 年から1892年にかけての約8年間に, それを上回る10件の文学裁判が行われているのである。そして, その 10 件の裁判のうち 6 件は, エミール・ゾラの影響を受けた若い自然主義作家を対象にしたものであった。
まぁモーパッサンもモーパッサンでエッフェル塔反対運動の盟主のくせにエッフェル塔のカフェに入り浸り「ここからだけエッフェル塔を見ずに済む」と嘯いて「フランスにおけるインテリゲンツィアの典型例」なる称号を頂戴したりもしてる訳ですが。
ちなみに裁判の席上で「ボヴァリー夫人は私だ‼︎」と叫んだフロベールは「元祖バ美肉おじさん」だったのかもしれなくて?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月10日
そんな感じで以下続報…・