諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【表現規制運動】「19世紀後半のフランス」であった事の繰り返し?

まぁそういう話という。

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今回の投稿の発端は以下のTweet

ここに乱入。

この話ですね。

この話ですね。

フランス自然主義文学と検閲

19 世紀フランスにおける文芸の検閲の事例として最も有名なものは, 1857 年に行われたギュスターヴ・フローベールの小説 『ボヴァリー夫人』 とシャルル・ボードレールの詩集 『悪の華』 の裁判であろう。 これらの裁判は第二帝政 (18521870) における検閲の厳しさを物語る出来事であるが, 文学裁判は, 自由主義的な第三共和政 (18701940) においても引き続き行われ, 特に体制の確立期にあたる 1880年代半ば以降の一時期には, 第二帝政下よりもむしろ頻繁に作家や詩人が法廷で裁かれることになった。 具体的には, 第二帝政時代の約 18 年間に8人の文学者が裁判にかけられたが, 第三共和政下の 1884 年から1892年にかけての約8年間に, それを上回る10件の文学裁判が行われているのである。そして, その 10 件の裁判のうち 6 件は, エミール・ゾラの影響を受けた若い自然主義作家を対象にしたものであった。 

まぁモーパッサンモーパッサンエッフェル塔反対運動の盟主のくせにエッフェル塔のカフェに入り浸り「ここからだけエッフェル塔を見ずに済む」と嘯いて「フランスにおけるインテリゲンツィアの典型例」なる称号を頂戴したりもしてる訳ですが。

そんな感じで以下続報…・