諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】最近増えてきた「昆虫系アカウント」の新種(?)について。

私のはてなブログの題名が「諸概念の迷宮」というのは、本来それが本質的には迷い込んで来た「昆虫系アカウント」を「そうか、ネトウヨの大源流はカール・マルクスなんだ!!」「オイラーの公式線形代数を知ってるだけでこの世に存在すべきでない変態の証」などと悟らせて返すハニーポットとして構成されているからです。ここでいう「昆虫系アカウント」の特徴は以下の二つ。

  • 価値判断の次元が全てを「敵・味方」の離散一次元で捉えるレベルまで縮退。
  • あらゆる知識に欠乏している上、知識に対する敬意にも欠けている。

このヒントだけでもう「どうやって伊達にして返すか」大体想像可能だと思います。ただしこの方法が通じない相手も…

今回の投稿の発端は以下のTweet

そう昆虫系アカウントはその本質的特徴から推察される様に「相対的な温度変化しか感じられず、ゆっくり水温を上げ続けると苦しむ事なく煮上がる蛙」なので、まず日本の女性作家の方々が20世紀後半にどれだけ苦労して「貞女と悪女を峻別する勧善懲悪観」や「パラダイムとしての家父長制概念」を表現の世界から除去してきた苦労がまず理解出来ないのです。「今はもうないじゃん。だったら昔からなかったんだ。そんな事もわからないの小学生だけだよ(笑)」という風にしか物事が考えられないのです。

そしてさらなる「強敵」が…

私は今でも岩井俊二監督が「天才真白と「凡人七海の名前と対峙関係を「桜荘のペットな彼女」から本歌取りしてきたと信じています。さらに二次創作でありがちな様に物語全体を二人のレズ物に単純した上で「そしてオレならここからこうする」のフルアクセル…そこから先は完膚なきまでの岩井俊二ワールドの展開と相成る次第。

そして「さんかく窓の外側は夜(2013年~)」の著者は「ドント・クライ・ガール(2008年~2009年)」の著者でもあり…

そして「ドント・クライ・ガール」といったら細マッチョでイケメンの露出狂サイトに「筋肉照覧の仮面」をつけて突入する女子アカウントが揃って「護符としての般若心教」の様に携えていた聖典でもあったのである。南無ヤマシタトモコ!!

お恥ずかしい事にこの投稿時点では一見「自滅」にしか見えないこのプロセスが「党争原理主義における最も望ましい最終的勝利」である事に気付いていませんでした。そしてそれに思い当たったのは、まさにそれそのものとしか見えない「プーチンのロシア・ウクライナ戦争」が始まったからだったのです。

この辺りから違和感が始まります。

このアカウントはそもそも、オタクに対してだけでなく「おっぱいが大きい人間は人前に出てくんな、いやらしい!!」と罵ってる自分の愚に気付いてない模様。この辺りから私の中の違和感がさらに拡大を遂げていきます。もしかしたら私は目の間の相手の内面性を完全に見誤っているのでは?とにかくこのタメ口。「ちゃんと作品を見ろ」に対する「ばっかじゃねーの!!そんな考え方するの、馬鹿なオタクだけだろ(笑)」なる傲慢不遜 な態度…

恥ずかしい。まだまだ既存の「昆虫系アカウント」のパラダイムで考えてますね。それはそれとして後から考えてみたら「ジェーン・オスティンこそあらゆるキモオタの萌え作品の大源流‼︎」自体はあながち間違いでもない気がしてきました。

だがこのアカウントにはこうした嫌味が通じません。

まさに完全に性嫌悪派の物言いですね。

ここでやっと気付きが訪れます。投稿中で触れている「陽明学左派」は主に以下の李贄(りし)に該当。まさしく「(既存の朱子学的教養の全否定を目して)童心=特定の形而上学的概念を何もインストールされてない状態」を逆に至高と置いた人でした。

後継者の間にはさまざまな思想傾向が生まれた。

  • 心を至善無悪とみなし、修養を重んずる一派は陽明学正統派右派などとよばれるが、そのなかには朱子学の修養法に接近する者も現れた。
  • 心を無善無悪とみなし、束縛を脱した絶対自由な人間の生き方を求めた王畿(おうき)や、主体的実践を重んじた王艮などは陽明学左派とよばれ、そのなかには人間の存在性の認識のために、仏教や老荘思想を摂取して儒仏道の三教(さんぎょう)一致の立場をとる者、社会的実践を重んじて共同生活組織をつくる者、大胆な社会批判を行う者などが現れた。この傾向の到達点に李贄(りし)が現れ、日常感覚に立脚して旧来の価値体系の形而上(けいじじょう)学性、虚構性を徹底して批判した。

この結果、経済生活の向上を背景にして、明代末期には主体意識が高揚し、自由主義的、批判主義的傾向が強まる一方で、官憲による弾圧、伝統的立場をとる者からの批判が加えられ、社会的な問題となった。

これ自体はかなり根深い問題だったりします。

  • ローマ・カトリックでは、中世を通じて聖書を「字義通りの意味」「寓話的意味」「類型的意味」「かくれたる意味」の4つの意味で解釈するのが定式化。字義通りの意味を除く3つの意味はまとめて霊的意味と総称され、聖書翻訳者はこれを余計物と考えた。実際、宗教改革者達はこれを教皇権の象徴として攻撃し、プロテスタントは聖書の読み方を「各人が内面に持つ聖霊の助けを借りて字義通りに解釈する」と規定。要するに霊的意味の内容が扱えるのは一部教学者のみで、しかも教皇庁の厳格な管理下にあったのでそこに「各個人の解釈違いによる自由度(揺らぎ幅)」など存在しておらず、それを主張する異端者は尽く粛清されてきた。

  • そもそも中世教会においては聖書を読むのは聖職者だけで「聖職者による信徒の善導」に基準を設けるカキテズモ(カソリックにおける公理要項,プロテスタントにおける教理問答)が重要な役割を担ったが、その主旨は「人の心に自然には思い浮かばない諸概念」の(聖職者もしくは信徒への)インストールと規定されている。

    カソリックではその宗教的権威性が失われず、20世紀に入ってからイエズス会士が起草した「ヘイズ・コード(起草1929年,発表1930年,履行1934年~1968年)」も完全にその一つとして読める。

  • 痴愚神礼讃(1509年執筆,1511年刊行)」のエラスムスや「ユートピア(1515年~1516年,刊行)」のトマス・モアといったルネサンス時代の文人達は、聖書内容の絵画化に揃って反対していた。「聖書の文面を読み進める事で万人の脳内に浮かぶ共通のイメージ」が乱されると考えたからで、だからこそ文面校正への意欲も高まった。

    しかしプロテスタント登場と宗教改革開始によって「読む人によって解釈に違いが出る」現実が明らかとなる。特にルターが(聖書に記述がないにも関わらず)教会の収入と結びついた免罪符煉獄といった諸概念を否定する為に力を入れた「自由意志は人間に罪を犯させるだけである。人間が救済されるのは神の恩寵と憐れみによってのみであり、自由意志に基づく自助努力によりそれが得られる事はない」なる言説はカソリック勢との決別を加速した。

  • 教会の権威から解放されたプロテスタント、特にアメリカ移民の中には(自助努力が全てで物事を遂行する意思力が問われる)開拓者精神の影響から「聖書のみ」の原則が形骸化し「(各人の心に届く)良心の声=神の声のみ」と考える(陽明学左派に近い)極端な立場まで現れたが世間から隔絶した閉鎖的地域コミュニティとして一時期のみ存在し得ただけで、アメリカの国土統合過程で併呑される形での自然消滅を余儀なくされたのだった。

    (それまで築いてきた家父長制と奴隷制農場を守る為に中央政府と対峙する)ジェファーソン流民主主義の継承者にもその片鱗は垣間見られるが「南北戦争(1861年~1865年)」における南軍の敗北によって中央集権化=近代化の波が不可避となる。

    ジェファーソン流民主主義の信奉者は「自作農(ヨーマン)」と「一般大衆(プレーンフォーク)」を優先し、民主主義と政治機会の平等を提唱した。商人や製造業者の貴族的なエリート主義とされるものに敵対し、さらに工場労働者を信頼せず、また恐怖感の残るイギリス統治制度の支持者に対する監視を続けた。特に市民としての義務を重んずる共和制の原則を遵守し、特権階級、貴族政治および政治的腐敗に反対した。

  • ガウスの生きた19世紀前半段階に至っても科学の世界においてさえこの世には「恒常不変の唯一の正解」が存在すると信じられており、実際の計測上のバラつきは測定誤差によって説明されていた。今日の統計学における「中心からの分散で全てを捉える(しかもその分布はサンプル数が多いほど正規分布に近づく)」パラダイムは、それ自体ある種の実証主義神秘主義の迷路に落ちてしまったハミルトンの四元数(Quaternions,1943年発見)概念などを下敷きに19世紀後半から20世紀初頭にかけてじっくりと構築されてきたのである。

この話で思い出したのが米澤穂信直木賞受賞作「黒牢城」にあった一向宗の分析。

  • 元来、親鸞が創始した浄土真宗阿弥陀如来に縋った時点で人は救われてるとし、信者の判断の自由を「進むも極楽、退くも極楽」という形で担保した(これによって信徒の判断空間は綺麗に円弧/球面を描く事が許される)。
  • ところが本願寺勢力は彼らを軍事利用する為、この大原則を勝手に「進めば極楽、退けば地獄」と書き換えたのである(これによって信徒の判断空間は「進む・退く」の離散線形空間に縮退する)。それで信徒は死に物狂いで戦う様になったが、同時に単なる捨て駒としてのみ扱われる様になり、救済の問題など二の次に。

最終的に本願寺勢力は江戸時代、西本願寺東本願寺に分割されて互いにいがみ合う様に仕向けられ無力化していく。信者の救済問題からますます遠退く形に。

ところでボードゲーム・デザイナーのアレックス・ランドルフは米軍情報局員出身で、学生運動が盛んだった時期の日本でも活動していました。さらには当時の経験がボードゲームガイスター(Geister,初版1982年)」のゲーム・デザインに影響を与えたとも打ち明けていますが、職業柄「どういう任務の過程で何を目にしてそれをどう活かしたのか」については生涯語らなかったそうです。

ただしゲームそのものの内容から推し量れる部分もないではありません。

  • お互い敵陣の奥にあるゲートに何駒突入させられたかを競うが、実はその資格のある「青駒」は全体の半分。
  • 残り半分の「赤駒」は、おそらく味方の不穏分子を暗喩。何と敵に取らせる事が得点となる。

ここにある種の「革命のリアリティ」再現が見受けられるのです。

  • 実はカール・マルクスの著作のうち「共産党宣言(1848年)」は長い間発禁状態にあって入手不可能だった(ラッサール書簡によれば1860年時点でドイツに2冊しか実在してなかったという)。またそう簡単に出回られても困った事になる内容だったのである。何しろそこでははっきりと「ブルジョワは利用するだけ利用した後、しかるべきタイミングで粛清する」明言されていたのである。現役革命家だった時代のマルクスは原則として「ブルジョワのパトロネージュを受け、その範囲で活動」なる枠組みを原則として超えられなかったので、始終黒歴史の発覚を恐れ冷や冷やしていたとも推察される。

  • また「唯心派マルクス主義」の話は、とある選挙のバイトに参加した時、選挙ゴロ歴の長い先輩からある種の「伝説」として聞いた。「唯心派」なる表現のニュアンスが分かったのはつい最近。「ドイツ・イデオロギー(1846年)」でマルクス唯物史観によって歴史の掃き溜めに送ったと豪語するヘーゲル左派、すなわち(ヘーゲル時代精神論に「人間の自己疎外」概念をぶつけた)フォイエルバッハ、(聖書はそれまで伝承されてきた神話を参照した創作とし、ヨーロッパ世界の崩壊を予言した)ブルーノ・バウアー、(ニーチェに影響を与えた「唯一者」概念の提唱者)マックス・シュティルナーらに貼ったレッテルだった。おそらく背後に侮蔑感情が存在し「枯れ木も山の賑わい」と動員数稼ぎに活用しつつ、ガイスターの赤駒の様に、ロシア・ウクライナ戦争における虐殺部隊の様に、マルクスの運動に出資したブルジョワの様に「運動の最終段階を一緒に迎える気は毛頭ない」覚悟を固めていたのであろう。ヘミングウェイ誰が為に鐘が鳴る(原作1940年,映画化1943年)」に登場する、貸し手から「どう使っても良いが、誰一人として生かして帰すな」と耳打ちされた応援戦力の様に。ただ惜しむ楽は日本の学生運動はその段階を迎える事なく瓦解してしまい、動員された「唯心派」の方々は革命が予定通り遂行された時、自分達を待っていた結末を知る機会を永遠に失ったという訳である。

  • こうした頑なな態度の背景には、フランス革命最終段階において「恐怖政治を指導してきた」ロベス・ピエールら革命政府側が「実際に手を汚してきた実働部隊」に虐殺の責任を全てなすりつけて捨て駒に使おうとしたら、流石は荒事に慣れた連中だけあって陰謀を素早く察知し、逆に革命政府側をスケープゴートとして処刑して全責任を押し付けて自らが生き延びた「テルミドールの反動(1794年)」の先例に対する反省があるのかもしれない。

    ナチス・ドイツも「ワルシャワ蜂起(1944年)」で動員したカミンスキー旅団SS特別連隊「ディルレヴァンガーの素行の悪さが目に余るので(戦闘より略奪や暴行や虐殺に熱中)主要幹部を粛清対象としたが、要するに彼らの側が勝ったのがフランス革命の結末だったという訳である。当然「人殺しの技しか知らない連中」に国を治める技術などなく、ナポレオン独裁を国民が歓喜して迎える時代を準備しただけに終わっている。

そういう私自身も2010年代前半に最盛期を迎えたTumbrで以下の様な経験を。

  • そこにはBlack Establishment勢LGBTQA勢の巨大コミュニティが存在していたが、その維持の為に「Black Establishmentを憎むPoor Black」「異性を憎む同性愛者」「あらゆる性概念を嫌悪する無性愛者」といった不穏分子には概ね丁寧に懇願して(居座ってイニチアシブを握ろうとする輩は数の暴力で威嚇して)退去して頂いてきた。彼らは概ね(やはり追放対象とされていた「心を破壊衝動一色に覆い尽くされたゴス少女達」同様に)同じTumbr内にあったリベラル系コミュニティに合流し「過激運動の先鋒」として組み込まれていった様である。

  • そこでは匿名サイト故の気安さで(コミック、ゲーム、アニメ、ネットドラマ、映画などを題材に)「黒人と白人が真に共存する社会」「子供達の選択幅を広げるべく異性愛家族と同性愛家族が親しく交流してどちらも選べる社会」といったビジョンの構築が遂行されたが、表現規制によって衰退したTumbrに舞い戻ってきた不穏分子が真っ先に焼き尽くしたのはそういうポジティブな試みだったのである(ただし歴史のその時点ではそうした活動も衰退し、規模を大きく縮小させていた。逆を言えば最盛期を牽引した論客達が残っている限り、不穏分子達は迂闊に復讐の為に舞い戻ろうとはしなかったとも)。

以下の投稿では最後の局面における展開を「リベラルの扇動」と弾劾して攻撃していますが、よく考えてみればこうした試みが有望で楽しげであればあるほど、それから排除された不穏分子の復讐心もそれに応じて高まった可能性が完全に視野外に抜け落ちていました。憎しみの感情はそれほどまでに人の判断力を狂わせるのです。

その一方で「共通の敵」を見失った不穏分子はその後「残党の存続をリベラル集団が許さず粛清」と言った展開を待つまでもなく勢いを失って自然解散。復讐心以外に共有可能なビジョンを備えていなかった当然の帰結ですが、なんとなくその全体像が「紀元前1200年のカタストロフ」当時、ヒッタイトやエジプト新王朝が衰退してその軍事的庇護が受けられなくなった交易都市が次々と「海の民」に焼かれた景色と重なります。

一方、全盛期Tumbrをあれほど良い意味でも悪い意味でも席巻したニンフェット世代(女児が男児を成長速度で抜く小学校高学年頃より再び抜き返される中学生くらいにかけての少女)/ハイニンフェット(ニンフェット時代のモラトリアムとしての高校生位の少女)の強勢を担保してきたのはあくまでビリーバー(Belieber=ジャスティン・ビーバーの熱狂的グルーピー)の暴走と、それを見咎めて結集した武闘派(初音ミクを旗頭としつつNarutoAvatar/Ledgend of Korra)の党争だった模様。

  • 岸本斉史NARUTO -ナルト-(1999年~2014年,TVアニメ2007年~2017年)」が連載終了を迎え「Avatar: The Last Airbender(2005年~2007年)」の続編「The Legend of Korra(2012年~2014年)」の放映が終っても武闘派側の勢いは一応保たれた。
  • しかし2010年代後半に入るとジャスティン・ビーバーがスキャンダルの連続によって人気を失ってビリーバー側が勢いを失うと対消滅を余儀なくされる。

この辺り「二月/三月革命(1848年~1849年)」によって復古王政時代の主要イデオロギーだった「国王と教会の権威の絶対性」が揺らぎ始めると(産業革命の本格的導入の阻害要因が相応には除去され社会の関心の中心がそれでなくなると)、これを主敵としてした政治的ロマン主義急進共和派が壊滅した流れとそれとなく重ねられなくもないですが「(フランス第二帝政やハプスブルグ君主国における)王権への基本信頼感の様なもの」自体は「オルミッツ体制期(1848年~1870年。革命に便乗して小ドイツ主義を推進しようとしたプロイセンの掣肘で共闘したハプスブルグ君主国と帝政ロシアの関係がクリミア戦争で悪化。イタリア王国ドイツ帝国が独立を果たしフランス第二帝政が倒れる)」を通じて相応には保たれた事も意識しないといけません。政治的ロマン主義急進共和派の壊滅はあくまでカール・マルクスラッサールの様に主張の主題を「(産業革命導入が新たに生み出した)資本家と労働者の利害衝突」などにアップデート出来なかった怠慢にあるのです。

今回はうまくまとめ切れず、何だか単なるメモみたいになっちゃいました。そんな感じで以下続報…