このギャップは本当にどうしたら埋まるのでしょうか…
今回の投稿の発端は以下のTweet
「男がえろい目線を向けてくるから〜」問題でずっと気になってるんですけど「自分が好きな服を着る権利」というのは「他人にどう見られるか」という問題と全く別なんですよ。例えば、ダサい服を着るという行動にはダサいと思われない社会は必要ないんです。自分次第なので。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
ロリータファッションの人とかもそうやって「好き」を貫いてきたわけです。「私がロリータファッションだからって珍しがられるのは社会がおかしい」なんて言う人がいたら自己中ですよね。じゃあなんで胸が大きい女性のファッションだけこんなに「他人がエロく思うこと」が問題視されるのか。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
谷間の見える服を着る権利は全員にあるけど「エロい目的で着ていないのでエロくみるな」と他人の内心を制限するのは傲慢な行為です。また、「エロく思う」ことは自由でも、着ている人の意図を勝手に想像して「これは媚びてる」「これはエロくない」とジャッジすることも傲慢です。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
現状、この2つの傲慢な行為が、何故か女性を守る意思のある人達によって行われているの、意味不明だと思います。で、何故こうなってるかといえば、多分「性犯罪」の認識が内心にまで及んでいて、性に対して(特に男性のもつ性欲)潔癖であるのだと思います。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
一般的に犯罪とは法律を犯すことで、「たわわ」も「女性に性的魅力を感じること」も法律違反ではありません。だから、適切か不適切かを判断する際に不適切の側で語るにはその時点で主観で語るしかありません。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
よく不適切の理由として挙げられるのは要約すれば「表現に内心(対象への性的な目線)が反映されている」というものです。大抵の場合、エロいかエロくないか論争になってしまいますが、実際は違います。本質は「異性へ性的な眼差しを向けてはいけないのか」です。端的に言えば「エロいと悪いのか」→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
街を歩いていて100%スカートめくりをされる、とか、ロリータ服を着ていたら100%盗撮されてネットに晒されるとかそんな状況だったら確かに「好きなものを着る権利が他人の目線によって制限されている」と言えるだろうけどこの世界はそんなに狂ってますか?盗撮や痴漢は犯罪で、被害者の服装に批判が→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
集まることなんて現状まず無いですよね。数人のヤバいやつが「そんな服を着てるからだ!」と言ったとして、その人たちが批判されるし「こんなヤバいやついました」が同情されるくらいにはもう世間てわりと性犯罪に対してまともになってきてると思うんです。もちろん被害者はたくさんいるだろうし、→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
許されないことなんだけど「そのせいで服が着れないんだ」という主張に思うのは、男性の倫理観と内心がリンクしていると決めつけるのは失礼では?ということです。「エロいと思うけど痴漢していいわけじゃない」って当たり前なんですよ。当たり前のことがわからない人が批判される倫理観もあるわけで→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
その「やばい人」の生まれ方が、文化や男尊女卑的な刷り込みにあると思っているならば、やばい人用の狂った倫理感をベースにしすぎでは?やばい人だけ見ればこの世界はもちろんやばいんですよ。でもその影響で、女性をエロく見て、そして性犯罪者になる。って全然繋がってないんですよね。→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
ゴールに「エロく思うことの肯定(女を見る目線の肯定)から性犯罪者になる」って成立していない式を元に理屈を考えるので「女は性的消費していない」「男のエロは悪影響」とかになってくる。本来やるべきは性犯罪の原因の特定や「やばいやつ」の刑罰を重くする事なんだけど、彼女たちが持ってくるのは→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
「性犯罪の男女比」「被害数」「エロ表現の一覧(主観)」とかで、それが「性犯罪者になる」根拠だと思ってるのならば歪んでいると思う。「アニメはバカになるので、学力テストの結果を元に、アニメの視聴時間が分かる」とか言うようなものまず成立していない式を元にしているので根本的に破綻している→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
だから「女のアイドルオタク」「腐女子」「公共の場での男性タレントの裸」みたいなものを出された時に、自分の(女の)性欲は健全であるという言い訳を探してしまう。実際は男も女も関係無いのですが、元の結論に繋げるためにはそうするしかなくなってしまう。で、その行き過ぎた先、何とか男性を→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
ゴールに持ってきた結果が「男は今まで女を貶めてきたのだから原罪を背負って女の怒りに寄り添いなさい」だっピ。そうやって、何とか後出しジャンケンで絞り出してるのでついつい矛盾を指摘したり、理解しようとしてしまうけど、大抵のジェンダークレーマーは反射で「男子ってキモ!」をやっている→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
だけなので、正直こんなに長く語っても大して意味は無いのです。でも、私は本当に性犯罪をなくしたい(減らしたい)場合、傷つく人を減らしたい場合、男女の分断に加担してるのは原罪(生まれ持った力の強さや過去)を持出す方だと思っています。で、やっぱり「弱者が可哀想だから庇う」みたいな綺麗事→
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
では何も進まないし、特に改善する気もなく、自分が弱い事をエンジンにして人をぶん殴りたいだけならば超悪質なのでやめた方がいいです。もし本気ならば、自分とその属性の負の性欲に向き合って、自分の中の加害性に向き合って、それがほんとに罪なのか、他人の内心を自分がどの程度分かってるのか、
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
自分の本音に向き合ってから、もう少しクリアに正解を出してから人を殴って欲しいです。まずは「性犯罪」の基準とか「性的搾取」の基準のすり合わせからどうでしょうか(結局思ったより思ったことを言えませんでした。)おわり。
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
— なんと (@nanntok) 2022年5月4日
棲み分けすら許さない、は、生きることすら許さない、に等しいですからナ…
— スタジオセイオンシティ (@94fxv96cxp) 2022年5月4日
ここに乱入。もしかしたらここで穂販されてる相手の倫理レベルは、そこで想定されてる域まで到達してないのでは?
この際はっきり言っておきますが「無性愛者(Asexual)」は先天的Sexualityの一種ですが「性嫌悪者(Erotophobic)」は概ね後天的でしばしば治療対象となります。ましてや他人にまで強要して良いものでは有りません。https://t.co/tZ4mkbUTYS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
ここで分かれ目になるのが「性嫌悪者(Erotophobic)の負相関(相関係数マイナス。プラスの場合と異なり逆相関の関係が生じる)」と「無性愛者(Asexual)の無相関(相関係数0,直交基底をさらに積み上げていく余地がある)」がちゃんと峻別出来るか。
空環認識範囲が線状の1次元まで閉じて「線路を前進するか後進するかしか二択しかない」状態に陥ってると両者の違いが分からなくなります。著名な例の一つが「何でもお金に換算してしか考えられない守銭奴の考え方」。ただこの次元においてすら「単位を区切って、その範囲における損を最小限に押さえ、得の最大限化を狙う」管理会計概念の導入などによる「単次元認識からの脱却」自体は不可能ではありません。そう企業なるもの原則として毎年度の成長やプロジェクトの成功が見込まれるからこそお金や人を集め続ける事が出来るのです。
それに対して複式簿記の概念そのものを行列で表すと[x,y,-1]となり「借方」は「貸方」と調度等しい量しか持ちません(この性質が検算に使えるので広まった)。要は「性嫌悪」概念は「既存の自由な性概念の展開を全否定する(0に戻そうとする)反作用」としてしか現れず、一切の創造性を備えていないのです。実際にこれに憑かれた人には「何もかも無に帰したいドス黒い破壊衝動」しかなく「なら貴方はどういう展開なら許すのか」尋ねても何も出てきません。子供がそういう状態に陥ったら即座に治療対象認定。
そう映画「シェーン(Shane,1953年)」において農地を開墾する開拓民が憎くて邪魔し続け、最後は殺し屋まで雇って虐殺に着手したので主人公シェーンに討伐される「牧畜民」ライカー一家の在り方そのもの。
その一方で我々が通常扱う(ベクトル=直交基底の一次結合で表される)次元概念を構成する同次座標系(Homogeneous Coordinate System)は[x,y,1]の直積で表されます。ただ、こちらで物事を扱える人間の数は圧倒的に少ない?
どうして「他人もそう考えるべき」と思い込んでしまうかというと、背景に認識力のせまさ」が挙げられる様です。https://t.co/cI1SWXFcts
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
「認識の次元が潰れる」とはアフィン変換のうち(遠近法との兼ね合いから)そのまま画像変換で用いるには難がある「剪断写像」の概念そのもの。
治療対象とならなくても性嫌悪者や「異性憎悪から出発した同性愛者」は、明らかに他のLGBTQA層とは異質で攻撃的で、そのコミュニティに割り込んで「お前ら精神異常者を私が正しく導いてやる」とか妄語を言い出すので爪弾きにされる事があったりします。この辺り日本人は経験不足?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
この風景については2010年代前半に全盛期tumbrで実際に目撃しました。
海外だと、たちまち政治利用されてしまうタイプ。人によっては「オルタナ右翼の論客」ヤプロ・レイノルズを連想するかもしれませんが、実際にはイスラム過激派やBLM運動などの平和的デモの暴動化を狙う諸勢力にリクルートされ、煽てられ、捨て駒に使われる場合が多い模様。https://t.co/CWCFQ7KRy7
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
何しろそうした連中は「世界の現状に触れるだけで腑が煮えくり返って冷静でいられなくなる人」を見つけ出し「素晴らしい、あなたの考えこそ正しい」などと寄り添って自己承認欲求を満たし「果たすべき責務」を与えるプロなのです。https://t.co/U5WiuatUKx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
しかも狙うのは「余計な事を考える余裕などない貧乏人」ではなく「生活に不自由はないが生活に充足感が足りてない有閑層」。日本社会はそんなのに浸透される状態までは陥ってないと信じたところですが、最近の状況を見るにつけ、一抹の不安も。https://t.co/lXO2ItGuQH
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
最大の悲劇の一つとして知られれるのが「ISIS団の花嫁」事件。欧州に移民して西洋的価値観を習得しつつイスラム文化とのギャップに悩んでした若い少女達を唆してISIS団の本拠地に連れ込み「女は配偶者専用の娼婦たれ」なるカルト思想に染まった男性テロリスト達に戦績に応じたトロフィとして分配したのです。どうしても西洋的価値観を捨て切れない少女は強姦と拷問の末処刑され、例え生き残っても既存価値観全てを捨て去った操り人形として生きる事や、自爆テロ遂行版として捨て駒にされる道を強要されたのです。私は同種の「悪意」を「月曜日のたわわ」に登場する女子高生を「汚らわしい」と評価する人達に感じました。「私達だったら、彼女が正しい価値観を取り戻すまで監禁して再教育を施す」。その考え方が現在欧州で頻発して社会問題となってる「保守的なイスラム教徒の親が、娘達が西洋的価値観を習得するのを嫌悪してアフリカの保守的老人と強引に結婚させtr文明間から遠ざけたり「悪魔払い」と称して殺してしまう事件」とぴったり重なってくるのが怖いのです。
欧米では1970年代の親達が映画「エクソシスト(The Exorcist,1973年)」「オーメン(The Omen, 1976年,1978年,1981年,1991年)」「キャリー(Carrie,1976年)」に託した恐怖…
日本でも同時期、伝統的家父長制の崩壊が進行しましたが、また別の展開を辿る事に。
現実問題として、ワクチン接種会場はQアノン系団体に襲撃されてしまったし、ハトクロ社長への粘着は常軌を逸してるしで「国際化の波は日本も逃れられなかった」という方向に向かいつつあるかもしれない訳です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月4日
ああ、この世界か…
こうして、なまじ宗教的背景も哲学的背景も備えていないが故に身軽で活動的な「(認識空間の閉じた)何も持たない人達」の活動が活発化している事自体が恐ろしくないですか? そんな感じで以下続報…