思えば1990年代中旬にIBMのDeep Blueがチェスの名人を打ち倒すまで「コンピューターは人間の知性のごく一部分を模倣するのが精一杯で、しかもその精度は極めて劣悪で到底人間にかなわない」なる考え方の方が主流であり、第二次人工知能ブーム(1980年代~1990年代)を終焉に向かわせたのもまた、この先入観だったのです。一方Deep Blueの画期は「あえて人間知性の再現などにこだわらず、ただひたすら最先端数理の投入による問題解決手段の洗練を目指した結果、飛躍的発展が始まった」点にあるのですが、いまだにこの展開を認めず「実はコンピューターは何一つなし遂げてない」と主張する立場の人は後を絶たないとされています。
今回の投稿の発端は以下のTweet
個人的メモ。やはり「画像処理ソフト感覚の延長線上で線形代数をカジュアルにプログラミングに援用したい」派と「先に理論を習得しない限り何も分かってないのと同じ」派の溝は相変わらず深い…https://t.co/vZKZFE2sto
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
実はとある塾講師に以下のアニメーションを見せて「最初にこのイメージが頭の中にあったら高校生でもe^πi=cos(θ)+sin(θ)iが習得出来るのでは?」と尋ねた事があるんですが、悲しそうに首を降って「こんなのプログラム出来たくらいでいい気になるな。お前は何もわかってない」と言われた事が。 pic.twitter.com/K7PThHza7H
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
どうやらその人の考えによれば、かかるアニメーションにおける「指数・対数写像による球面座標系と平面上の極座標系の往復」を実現するのに必要な数学的知識だけではe^πi=cos(θ)+sin(θ)iの内容を理解するには全然足りない様に思えた様です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
「数学のうちプログラミングで実現可能な事なんてまだまだほんのごく一部。そんな事もわかってない数学初心者が生意気な口を叩くな」。強固な「数学理解にコンピューターは不要」派で生まれてから一度もコンピューター・プログラミングを経験した事がなく、これからも覚える気はないとの事。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
こういう人、現時点で「数学の徒」のうちどれくらいを占めてるんでしょうか? ふと気になったのでメモがてら。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
そういう人に限って「ネイピア数が確率論と複利論の両領域に跨がるってどういう事なんです?」とか「線形代数はあくまで連立一次方程式の延長に過ぎず(高校受験に際して執拗にやらされる)二項式(a±b)^nの延長は別次元に向かう事についてどうお考えですか?」と尋ねても…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
「お前のレベルじゃ一生分からん、最初から理解なんて諦めろ」と馬鹿にされて終わるだけ。おそらく当人はそういう設問についてこれまで一切考えた事がなく、だから明瞭な答えを持ち合わせてないだけなのは明かなのに(ちなみに強固な反ワクチン派。やっぱりこの辺り絶対「無相関」じゃない?)
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
不思議とこういう「認識範囲が狭まってる」タイプに限って「(直交状態から水平状態にかけて次元を潰す)剪断処理」に自分が掛かってる事に思い当たらない印象。そういう私だって知らないうちに同じ罠に掛かってない可能性があるのが恐ろしい。https://t.co/a4v80IqMl5
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
そう、例えば単位行列(行列式1)の行列を剪断処理でどんなに潰してたって行列式は1のままなんですね。そもそも数学的構造自体がそういう有様という…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
ちなみに(大学受験数学も含む)高校までの数学「原則として高校生レベルでは解けないが、ある事に気付くと簡単に解けて、コンピュータにそれは絶対出来ない」的問題が多いらしく、これが「コンピューターなんて全然使いものにならない。将来使い物になる見込みもない」と断言する根拠になってる模様。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月19日
その人の話によれば大学受験数学とは、ただひたすら過去問を解き続け「出題者がどういう引っ掛けを仕掛けてくる可能性があるか」について経験を積み、それぞれの場合への対応を習得していく作業であり「コンピューター化の余地など微塵もない点こそが誇り」と豪語しておられました。私の目からは「それって本当に数学?」としか写らないのですが、世の中には「これこそが数学の醍醐味」と考える人がまだ沢山いる様で…
そんな感じで以下続報…