振り返ってみたら「多様体(Manifold)=部分直交座標系」概念の導入って、今年に入ってからの試みだったんですね。
食い取れた部分を要約するとこんな感じ?
- 「チャート(Chart=地図帳)」…任意の評価空間を構成する評価軸集合が特定の直交座標系(Cartesian Coordinate System)で表現可能な範囲。
- 「アトラス(Atras=地図帳)」…少なくとも1つの評価軸を共有するチャートの集合。
- 「世界そのもの(World Itself)」…これまで人類が歴史上見出してきた全アトラスに対応する観測対象で、それ自体は定義不能とされる。
しかし悲しいかな人類はその生物として生まれつき背負った制約から、こうした座標系全体を幾何学的には以下の様な「単純な幾何学的構造(Simple Geometric Structure)」の組み合わせないしは繰り返しとしてしか認識出来ないのです。
- 乗法単位元1を中心に添字が0から+∞にかけて推移する「乗法的評価次元=対数尺」を半径とする二重円環(2次元)/球面(3次元)。「距離(Distance)…半径(Radius)x2=直径(Diameter))と「角度(Agree)=水平(Horizontal)の半分が直角(Perpendicular)で、そのさらなる半分が勾配(Gradient)±1」と考えて拡張を施した極座標系(Polar Coordinates System)の原型。
- これを水平軸と置いて、垂直軸に例えば時間軸tの様な加法単位元0を中心に添字が-∞から+∞にかけて推移する「加法的評価次元=均等尺」を垂直軸に置いた円筒座標系(Cylindrical Coordinate System)に。
- さらに線形関数y=xでは四象眼(++,+-,--,-+)で対向象眼上の推移が反対になるのに注目してz次元を180度捻ると円錐座標系(Conical Coordinate System)に。
- ここにとりあえず列記した円環/球面座標系と円筒座標系と円錐座標系はどれも1次元多様体(1D Manifold)すなわち「(フーリエ変換やラプラス変換で想定する様な)中心0から水平に伸ばした無限大+∞πと無限小-∞πの端点が究極的には無限遠点(Infinity)2∞で交わると想定した場合現れる無限円(Infinite Circle)、およびその「側面図」としての距離∞ないしは距離2∞の線分(Line Segment)」と、これを∞で割った結果∞個得られる「半径1,直径2,周長2πの単位円(Unit Circle)、およびその「側面図」としての距離1ないしは距離2の線分」の拡張形として現れる。
1次元多様体の分類yamyamtopo.wordpress.com
逆をいえばどの座標系も1次元多様体の概念なら共有している訳で、この状態の時に各座標系を「地図(Chart)」、その全体集合を「地図帳(Atras)」と呼ぶ事に規約したのが多様体概念(Manifold Concept)となる訳である。
ところで1次元展開は例えばそれを水平展開と捉えた時に垂直展開と、垂直展開と捉えた時に垂直展開と完全に無相関(Uncorrelated)となる。上掲の「側面図を見る」とは、まさにこの性質を利用して次元を一つ潰すアプローチに他ならず、こうして全ての次元間の無相関が証明された(相関関係の証明が有意水準に至らない)名義尺度的分布(Nominal Scale Distribution)が「(一切の空間的広がりと無関係な同一点上に表される)0次元多様体(0D Manifold)」と呼ばれる。一次元多様体ではこれが無限線分の両端(無限円の両端としての0と∞)、その拡張形たる三次元的球面座標系では赤道円に対峙する一対の対蹠(Antipodes=北半球における北極と南半球における南極)として現れる。
ちなみに二集合間の重なり具合は「傾き±1(y=±x)を中心に同値y=xの場合と反値y=-xの場合を両極限と置いた」独特の座標系によって連続的に捉える事も可能で、この時得られる重なり具合(-1~0~+1)を(データの平均と分散の算出による一次元多様体抽出を出発点とする)統計学(Statistics)では相関係数(Correlation Coefficient)と呼ぶ。
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それにつけても上掲の説明に登場する「無限大と無限小は無限遠点で交わる(と考えても計算上差し支えない)」なる無限円の概念は難しい。「π要素が無限概念の取り回し方に従って忍者の様に現れたり消えたりする」のも気持ち悪いと言えば気持ち悪い。ただ難しいばかりか現象学の権威フッサールは「(原則として人類全体に等しく生得的にプレインスールされている)日常生活において邂逅する諸概念を(パラダイム概念を導入する事なく)直感的に処理する能力だけでは地球球面説に辿り付けない」事を論理的に証明して見せた。実際、地球平面説の立場に立つ人は(パラダイム概念導入に不可欠な「抽象化による発想の飛躍」を拒絶し)「確かに車輪も地球儀も1周回せば同じ所に戻ってくる。だが今は地球の話をしてるんだ。話をはぐらかすな!!」という立場に立つ。それが愚昧としか思えない人も、さらにこの考え方を拡張した「無限大と無限小は無限遠点で交わる(と考えても計算上差し支えない)」なる無限円の概念までは辿り着けない事が多く、ましてやさらに「90度回す=側面から眺める」と次元が潰れて円が線に見えたり、線が点に見えるという相関係数の考え方に至っては「嘘吐きの詭弁」としか感じられなかったりするのである。
その一方で実際に「二次元上で任意の点を別の点を中心に回転させ、その様子をx軸とy軸からの観察」を遂行すると(加減算の結果が正く反映される)均等尺でも(剰余算の結果が加減算の計算結果として表示される)対数尺でもない第三の尺度、すなわち「水平軸Cos(θ)と垂直軸Sin(θ)の交代級数的増減関係」が自明の場合(Trivial Case)として得られ、三角関数(Trigonometric Function)についてはそんなアプローチも存在するのである。そしてまだ1次元的広がりしか備えてない1次元多様体においては、スカラー倍を「単位(Segment)1の回転」として表すのに虚数(Imaginal)の概念を導入してで考える。水平面上での回転なら回転行列で扱える二次元的広がりにおいては、かかる虚数を用いた拡張は垂直方向の回転、すなわちユニタリ行列の形で現れる。
ここで興味深いのが、近世欧州数学者は物理学者も兼務している事が多かったのでようやくオイラーの公式に到達し得たという辺り。それは「地上の現象を不完全な手段で観測する物理学など、所詮は無謬たる天上の原理について推察する数学や哲学の端女」と長年侮ってきた古代ギリシャ時代のイデア論に由来する古典的数学がその限界を露呈した最初の瞬間でもあったのです。