なるほどこれもこういう話…
今回の投稿の発端は以下のTweet
『お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史』(新紀元社、2019年出版) を読んでて、頭がカチ割られるような衝撃を受けました。大正7年の読売新聞朝刊は、「エビ天プラ」「イカカキアゲ」「カツレツ」「シウマイ」「お寿司」などをお好み焼として紹介してたとされ、最初は❓❓だったのですが
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月30日
一見、意味不明に思える「エビ天プラ」「イカカキアゲ」「カツレツ」「シウマイ」「お寿司」が、大正時代に「お好み焼」と呼ばれてた話ですが、紛れも無くこれが現在のお好み焼きの起源にあたり、百年前の新聞が書くこのエビ天プラやカツレツは、私たちがその名前から想像する料理とは全く違いました。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月30日
なぜ関東ではお好み焼きを「○○天」と呼ぶのか、ずっと疑問に思ってた関西者でございますが、もしかして元々はそうだってこと??混乱中……
— あきねえ (@akineee) 2022年5月30日
(※関西ではお好み焼きを○○玉って言わないと通じませんので) https://t.co/gdax6u0AkJ
お好み焼きは、明治時代に人形焼き・鯛焼き系統の商売や駄菓子屋に圧迫された「文字焼き」の屋台が変身したものだったとのことでして、小麦粉を焼いて亀や魚の形をつくる「文字焼き」は「子どもの真似事」としてしられていて、お好み焼きの源流の本質は「真似事」パロディだったとのことです。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
貨幣経済が発達した文政時代になると、「子どもの小遣い」で生計を立てる職業が登場し、屋台で子どもに料理の真似事をさせたのが「文字焼き」でした。それ故に明治時代に生まれた「お好み焼き」は洋食・中華・天ぷらなどを真似て(見た目は全然似て無かったりしますが)、鉄板で焼く食べ物でした。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
子どもの小遣いで、洋食や天ぷららしいまるで別物の何かを食べさせるという発想なので、いい加減というか自由自在に新しい料理の在り方が組み立てられ、牛肉や豚肉は材料費が高いことから、エビやイカの「天ぷら」だけが残り、天ぷら=お好み焼きになったそうです。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
ところが、西日本では魚肉のすり身をまとめたものを「天ぷら」と呼んでたため、お好み焼きの天ぷらという概念は浸透せず、「一銭洋食」という名前になったとありました。現在の大阪のお好み焼きは、東京で生まれた店舗型の新しい時代のお好み焼きが伝播したもので比較的起源が新しいとのことです。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
おお〜そうだったんですね!長年の疑問がスッキリ解けました!だから名称も「お好み」が付くんでしょうか。関西人的には微妙にショックだったりもしますが(笑)
— あきねえ (@akineee) 2022年5月31日
すり身を揚げたやつも普通に天ぷらって言いますしね。
「お好み焼」は現在の焼肉屋の「焼肉」と同じで、焼肉というメニューがあるのではなく、カルビやタンなど注文するメニューは個別に存在するのと同じだと書かれてました。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
私、実はこの本を読むまで、関東ではお好み焼きのメニューを「~天」と呼ぶってことを知らなかったので、びっくりしました。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
そして…
昨日読んだ、お好み焼きの歴史の本を読んでて思い出したのは、折口信夫の「もどき」という概念で、「もどき」についてはよく理解してない気がするので説明が難しいですが、「お好み焼き」の歴史は何が本物か?と語る難しさを伝えています。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
「お好み焼き」はその源流をたどると、まさに本物も何も、そのようなものは存在しえないという空間から、隙間に生える雑草のように生まれてきた訳で、それがいつの間にか伝統文化のような感じになってる(少なくとも、らんま1/2ではそうだった)のが、不思議ですね。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
しかし、歴史というのは本質的にはこのような形態の方が普通な訳でして、とくに古典になってるものについては、古典に出てくる歴史が、古典が書かれる直前には全然違う形態だったのに、古典としてまとまったことであたかも古典的なものがずっとあるように認知されるようになったものでした。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
広島のお好み焼きと大阪のお好み焼きの違いなどからは、その分岐年代より更に前にあたる大正時代の東京の「お好み焼き」に「ビフテキ」や「カツレツ」と称する不明な食べ物が含まれてたことが理解できないし、けれどお好み焼きにソースをかけるのはその大正時代のものに由来するという訳です。
— 巫俊(ふしゅん) (@fushunia) 2022年5月31日
そんな感じで以下続報…