いろいろ考えないといけなくなってきたので、とりあえずメモ。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
なんで私はちんちんとジェンダーの話を同時並行でやってるんだろう。女装男子はノリノリで活発に笑っているのが一番えっちだと思います
— ジョン道 (@a_xwww5) 2022年6月12日
後もっと真面目な話、奇数番次フェミニズムと偶数番次フェミニズムという大きな区分があって、多分両者の本質的な差は「社会的成人として自分の行動に責任を持つ事は、本質的に女性的ではないか否か」
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2022年6月12日
偶数番次は「責任って概念自体が男性的」奇数番次は「責任を負わずして男女平等不可能」って感じ https://t.co/StfCTbVyFq
まぁあくまで出発点はどちらもジョン・スチュアート・ミル「自由論(On Liberty,1859年)の章句「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、権力がそれを妨げる事を許されるのは他人に実害を与える場合だけに限られる」まなのです。これを文字通り英米法的に「禁じられていない事は原則として許されている」と解釈し「(行為の累積結果として自明の場合として浮上してくる)目に余る行き過ぎ」にのみ対応するのが奇数系フェミニズム、大陸法的に「許されていない事は原則として禁じられている」「禁止範囲を巡るは自明の場合として様々な形で暴力性を帯びる」と考えるのが偶数系フェミニズムと定義づけられます。
- この定義では英米における婦人参政権獲得運動が遅々として進まない事に業を煮やして過激行動に打って出たサフラジェット運動こそが「第二世代」にカウントされるべきなのだが …ちなみに英国映画「未来を花束にして(Suffragette,2015年)」は完全にこの立場に立つ第四世代フェミニズムのプロパガンダ映画だった。
- 偶数系フェミニズムにおける「(行為の累積結果として自明の場合として浮上してくる)目に余る行き過ぎ」への対応…多くのLGBTQAコミュニティにおける「異性憎悪からの同性愛傾倒者(実は「同性憎悪からの異性愛傾倒者」もアウト)」や「性愛嫌悪からの無性愛傾倒者」排除規約などが該当。如何なる倫理的判断の結果でもなく「彼らを放置した結果起こった実害の累積」が生んだルールというのが重要で、そのケースにおいてのみ「奇数世代フェミニストも偶数世代フェミニストの様に振る舞う」。
だから第1次や第3次のフェミニストは女性に対しても「貴女は自分に嘘をついていないか責任を持って断言できるか」という挑発的問いをしがち
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2022年6月12日
例えば腐女子に対して「腐って言ってるけど実は女性としての自分自身と、その延長線にある異性愛を引き受けられないから逃げてるだけなのでは?」と挑発してくる
- 上掲の様にLGBTQAコミュニティ側が問い掛けてくるのはあくまで「貴方は異性嫌悪からの同性愛嫌悪者(あるいは同性嫌悪からの異性愛者)ではありませよね?」なる質問だけで、これはヤクザの様な反社集団の内規においてすら建前上は「銃刀類の保有は、これを禁止する」と定めているのに似ている。偶数系フェミニズムは浅薄に「実際の在り方としては自明の場合としてもっと多様で連続的なのは知ってる。しかしコミュニティ維持の為、その表明の自由が原則として禁じられる場合もある」と主張してその範囲を最大限化しようとするが(それで「化粧するな」「ブラするな」みたいな極論に至ってしまう)、奇数系フェミニズムはあくまでそう考える範囲を最小限に留めた上で苦渋の決断の結果として「虚偽申告も一生貫けば嘘ではなくなる」なる立場に立つのである。
個人的には、奇数番次フェミニズムは人間・理性中心的な自由主義をベースにしていて、偶数番次フェミニズムは肉体・感情中心的な保守主義をベースにしてると思う
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2022年6月12日
今のフェミニズムは主に偶数番次なので、時々家父長制的にすらなるのは主にそれが原因だと思われ
ここに乱入。
面白いですが。ふるべさんが言っているのですか。 https://t.co/xrR18iTF4p
— TANI_Röhei@赭埴庵 (@Taroupho) 2022年6月12日
あーここら辺のフェミニズム論(特に第3次フェミニズム論)については、今はなきエロの世界帝国Tumblrの最後の生き残りの古老松木センセ@YazMatsuki からのまんま引き写しッス正直…w
— ふるべ/Hrubešová (@hrubeshovaa) 2022年6月12日
なので詳細については、松木センセとか天才JK哲学者うーたゃ@aloemoisturegel とか雁琳センセ@ganrim_ とかの方が…w
なるほど、ありがとうございます。「偶数番次」といった表現は、初耳でした。
— TANI_Röhei@赭埴庵 (@Taroupho) 2022年6月12日
「四世代」の考え方自体はVogue辺りのゆるふわフェミニズムでも普通に出てきますが「新世代が旧世代の超克を標榜して現れる」のと、1/3系が伊賀忍者みたいに個人主義優先で、2/4系が甲賀忍者みたいに集団的戦闘力重視なのでそういう境界線が顕現してくるという。https://t.co/o0Rcjfv9mR
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月12日
理論面では案外表裏一体だったりもしますが、如何せん偶数系は「フェミニズムには2種類ある。習得に相応の努力が必要なタイプと「そんなのいらない」という嘘に騙されるカモをどんどん捨て駒として使い捨てにしていくタイプ」の後者でもあるので。https://t.co/yL0iwxaJjQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月12日
この意味合いにおける「カモを使いしてにしていく偶数系フェミニズム」は、海外ではフェミニズムそのものというより無政府主義の亜種で「温情主義(家父長主義)への接近」も「一番扇動で動かしやすい層だから」に過ぎないという。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月12日
そう「オルタナ右翼の中枢は(当人は何も信じておらず、気付くといなってる)冷酷無比なゲッベルス・タイプ」というアレ。日本ではほとんどが劣化コピーな気がする…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月12日
ここでいう「使い捨てにする手口」についてはアントニオ・ネグリ「マルチチュード」とかが参考になりますね。
そして最新の疑問。
この問題「ネット上に視覚化される諸元不明のアカウント集団(それでも特徴さえ掴めば扇動は可能)は社会学的対象として扱い得るか?」という問題とも関係してくるのが厄介。実際、Youtuberや動画サイトや通販サイトはこいつを上手く使って商売してるのに「科学的対象ではない」で逃げ回ってますよね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月12日
そんな感じで以下続報…