「悪書追放運動」全盛期の1950年代には「原作者が作画も兼ねる漫画が一定以上のクオリティに達する筈がない」説が盛んに喧伝されました。同様に日本音楽界には1970年代まで「歌は作詞家と作曲家が分業して製作しなければ一定品質に達しない」と思われていた様です。「シンガーソングライターなど所詮は私小説の類を連ねてるに過ぎない」。そして1960年代後半におけるグループサウンズ上陸の流れが、じわじわとこの状況を変えてきたのです。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
吉田拓郎は女子大生の嘘で大損害を被るも逆告訴していなかった! | こいもうさぎのブログ https://t.co/LQaV32ZCUJ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
1970年代の歌謡曲について調べるうちに「フォーク=シンガーソングライターの台頭」というキーワードにたどり着き、中島みゆきと吉田拓郎について調べ始めた矢先に引いた手札の1枚がこれ。https://t.co/nu3l7n5dB6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
なるほど永井豪「ハレンチ学園(1968年~1972年)」への弾圧が古典的傑作「デビルマン(1972年~1973年)」生み出した様に吉田拓郎「はれんちフォーク」弾圧がキャンディーズの名曲「やさしい悪魔(1977年)」を生み出したのか…「衣装デザイン=アン・ルイス」とは知らなんだ。https://t.co/WIQpd8A3bq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
暴走Jフェミ的存在、1970年代まで遡っても同じ様な滅茶苦茶しかしてませんね。ジョニー・ディップ裁判を連想させます。https://t.co/4srsp2nppr
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
それにつけてもこんな「通り道」があったとは。野坂昭如「黒の舟歌(1970年)」辺りから出発し…https://t.co/8btZ2U0mBZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
ちなみに当時「黒の舟歌」は全く話題にならずA面は「ゲゲゲの鬼太郎」や「どろろん閻魔くん」連想させるこんな曲。https://t.co/5hd8dGuSrZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
で、かつやまひろし「我が良き友よ(1975年)」を経て…https://t.co/cq3RTSdc9V
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
「やさしい悪魔」経由で山口百恵作詞・沢田研二作曲のアン・ルイス「ラ・セゾン(1982年)」に辿り着くという…https://t.co/wORZOTeGUb
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
まぁほとんどこれの「本歌取り」な訳ですが…この曲が日本でだけ突出した人気だった辺りが後の「Jロックの国際的独自性」につながっていくという…https://t.co/2efbarWPcI
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年6月13日
そんな感じで以下続報…