そもそも日本人は「アメリカ人視点からのアメリカ史」に馴染んでません。
そして「フランス行動主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉であり、その積み重ねだけが真の知性と倫理観の創造に到達する」のアメリカ版が以下。
誰しも人は、宗教や道徳など、何らかの「信念」を抱いて生きており、我が「信念」こそ、絶対に「正しい」と信じて疑わない立場同士が衝突し、それが深刻化すると南北戦争(American Civil War,1861年~1865年)の様に凄惨な凄惨な争乱に発展する。パース、ジェイムズ、デューイ、クワイン、ローティら、プラグマティズム (Pragmatism) の重要人物が追及したのはこうした対立を超克し、互いの差異を肯定しながら、協働し共生するための哲学であった。
その原義
pragmatisch(ドイツ語)に由来する実用主義、道具主義、実際主義、行為主義とも訳されることのある考え方。元々は、経験不可能な事柄の真理を考えることはできないという点でイギリス経験論を引き継ぎ、物事の真理を実際の経験の結果により判断し、効果のあるものは真理であるとするもので、神学や哲学上の諸問題を非哲学的な手法で探求する思想。
その創始者であるパースがカントの語彙から採した言葉で、さらなる原意はギリシャ語で行為・実行・実験・活動を表すプラグマ(πράγμα)。思想が行為と密接に関係する意が強調されたといえる。パースの友人は「プラクティカリズム(実際主義)」という語を勧めたが、カント哲学に通じていたパースにとってpraktischという言葉は、「実践理性」の領野、つまり神・道徳・霊魂に関わるので、実験科学者にとってふさわしくないと判断された。こうして名前こそドイツ哲学由来だが、その合作者達はジョン・ロックやジョージ・バークリなどのイギリス哲学に影響されており、さらにさかのぼれば、バールーフ・デ・スピノザ、アリストテレス、プラトンに行き着く。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
科研の分担研究の必要から、ラルフ・ワルドー・エマソンの勉強を少しずつ進めているが、「全然分からない」から「少し分かってきた」に前進している。それで怖さが段々分かってきた。アメリカン・ルネサンスの研究者の学識が凄い。とても追いつける気がしない。しかし前に進まなければならない。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年5月31日
前史としてアメリカの大学の教育制度がドイツ留学組、とりわけスコラ哲学の研究者によって作られたことを踏まえねばならず、そしてエマソンの衝撃があり、ドイツ観念論への逆影響も勉強しないといけない。大変なことになった。哲学とドイツ語は両方とも僕の基礎が欠けている。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年5月31日
プラグマティズムを作った人々の知的背景にスコラ哲学があり、極端に言えば、彼らは近代が良くなかったと考えているフシがある。いやおそらくそうだろう。実は、これは「アメリカは近代から始まったのではなく近世から始まった」という僕のアメリカ史理解と辻褄はあう。合うのだが超難しい。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年5月31日
僕がエマソンに無縁だったわけではない。ただそれはとても通俗的なものだった。安心立命のための読書で、悩み苦しんでいる時の書物で学問ではなかった。エピクテトスとニーチェもそのカテゴリーだった。これからこれを研究しなければならない。幸福な読書から職業的な解析に入らなければならない。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年5月31日
歴史と政治思想史の間をコウモリのように飛んで求職してきた僕のツケが哲学という形でその支払いを迫ってきたように感じられる。哲学者という種族と最近ようやく接するようになってきたが、彼らの頭もまたどうしようもなく良い。なかなかの試練だ。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年5月31日
そして…
不親切でした。皆さんルネサンスといえば、14世紀〜16世紀までのヨーロッパでの古典古代の再発見とそれに伴う文化・芸術・思想の新潮流を思い浮かべますよね。アメリカでルネサンスとえば、1860年くらいまでの半世紀ちょっと、19世紀の諸潮流なのです。意外とご存じない方が多いかと思います。 https://t.co/2EiBH19l8f
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
広く「西洋史」といってもアメリカは道具箱の中身がヨーロッパのそれと違うのです。その辺が西洋史の方々と仕事する時の苦労の原因でもあります。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
専門家ではない私が言うのも越権ですが、メルヴィルとか読んでみてください。私などは「すげえ!ドストエフスキーに匹敵する問題設定だ!」と思いました。もっともアメリカの作家を取り巻く環境はロシアとは違い複雑なのでそこはTwitterでは私の能力的な問題で割愛いたします。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
前にも少し書きましたが、アメリカ研究者でも、わりとダイレクトにアメリカから入った人と、ヨーロッパ史をうろうろしながらアメリカにたどり着いた人がいます。私は後者に入ります。前者の人からは、少し主語が大きい人間に見えると思いますが、これはこれで役割があるわけです。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
西洋史、西洋政治思想史の重厚な研究史の中ではアメリカは後発というか二流という時代があったように思いますが、近年はフロンティアとして重視されるようになってきました。そういう時、例えば私のようなアメリカ研究入りの人間が、リエゾンの役割を果たせたりします。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
蛇足。もういませんが少し前までは「アメリカなんぞ研究せんでも分かる」というヨーロッパ史(特にイギリス系)の人はいたのですが、まだ少し「僕の考えるアメリカ」が残っています。ただ、もう皆さんお気づきの通り、実は「欧」と「米」ではかなり違うのですよね。より正確に言うと物凄く違うのです。
— オッカム (@oxomckoe) 2022年6月1日
そんな感じで以下続報…