諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【こんにちは1980年代】「心の性別はどうあれ、男の肉体を備えた者はすべからくジェントルマンたれ」?

考えてみれば2010年代に海外のネットで「コスプレイヤートランスジェンダーの共闘体制」が維持出来たのもこのスローガンのせい。

要するに圧倒的少数派たるトランスジェンダー側がトイレ、風呂、シャワールーム、スポーツなど後世課題として浮上する事になる問題全てについて「(身体的には男性の)トランスジェンダー女性」側は「ジェントルマンらしくコスプレイヤー・コミュニティ側の既存ルールに妥協し、その事について不満ひとつ述べなかった訳です。

それではその時「(肉体的には女性の)トランスジェンダー男性」は何処にいたかというと…当時の女性コスプレイヤーの一番人気が成田良吾デュラララ」の平和島静雄だった事がもありう特に名乗りを上げる事はなかったのでした。

今回の投稿の発端は以下のTweet

2010年代前半までのフェミニズム的物語文法解釈において、任天堂ゲーム「メトロイドシリーズ(Metroid series、1986年〜) 」の主人公サムス・アラン(Samus Aran)は「あらゆる案件について自らの良心だけに基づいて正しい判断が下せる理想上の自由人(libertin=リベルタン)」を象徴した。この立場からすれば「メトロイド殲滅」を命じられながらベビーメトロイドを助け、このベビーメトロイドを海賊に奪われた事が(続編における)新たな騒乱の種となった事も無罪?

そんな感じで以下続報…