諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】信仰の彼方には何がある?

そしてこういう話も。

「パウロ中心主義」を超えて1co1312.wordpress.com

スコット・マクナイトは『福音の再発見』の中で、「イエスは福音を宣べ伝えなかった」と主張する牧師について書いています。その牧師が言おうとしているのは、イエスパウロが語ったような信仰義認を宣べ伝えなかったということですが、この牧師は「信仰義認」を「福音」と同一視していたので、イエスは福音を宣べ伝えなかったと大真面目で考えていたのです。

パウロの信仰義認」は「人は善い行いによらずに、信仰のみによって義と認められる」なる言葉を指します。そして現代ではそれはルッキズムに結びつけられる様に。

今回の投稿の発端は以下のTweert。

パウロにとっては、すでに死去したナザレのイエスが直接自身に内的な啓示によって通信してきた体験がイエスはキリストであるという信仰に至るきっかけとなった。盲目からの奇跡的回復という話は自身が記していないことから、キリストはイエスであったと考えるようになったのは、イエスを名乗る存在の内的な啓示と、第三の天にまであげられたというある人の天界の体験とが原因として読み取れる。

罪からの救いを求めて信仰義認論を説いていたパウロは、書簡の中で、自分が救われるためには、あるいは救いの経験があったのは、信仰だったと述べている。

そして…

教祖ジョセフ・スミス・ジュニア(1805年~1844年)によれば、彼は14歳の時(1820年)、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書ヤコブの手紙』1章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めたところ、父なる神とその子イエス・キリストが現れる示現を示され、言葉を交わしたとされる。スミスによれば、イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」とジョセフに告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだとされる。

そういえばこういう投稿も。

そんな感じで以下続報…