諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【巨根貧血】「神経症とは何か」?

この考え方の更なる延長線…

今回の投稿の発端は以下のTweet

こういう話も。

パウロユダヤ教徒としてキリスト教徒を迫害した後、キリスト教徒に転向した立場から「人は善い行いによらずに、信仰のみによって義と認められる」なる「信仰義認」の立場を選ばざるを得ず、かつそれを証明する為に(ローマで処刑されるまで)外国人宣教に邁進せざるを得なかった。要するにパウロ割礼をせず、ヘブライ語も話さないヘレニズム系ユダヤら異邦人を擁護したのである。

ところが最近のキリスト教倫理はジャンセニスムへと回帰してルッキズムに陥り「オタクの様な奴らは例え正しく振る舞おうとも決して世間から認められない。一方、正義の側に立つ我々は、例え間違いを犯そうと拍手喝采しか受けない」なる「無敵の主張」を展開する。

こうした考え方には、さらなる先がある。

そんな感じで以下続報…