まぁこの辺りの話です。
今回の投稿の発端は以下のTweet。
貴族の家で男が複数生まれた時、分割相続性を採用してたら、田分けしてどんどん先細りしちゃうけど、弟のほうを修道院に預ければ、長男が遺産を総取りできるし、一族が教会への影響力も持てるし一挙両得なわけ。
— 富田勢源 (@ANNO1189) 2022年10月1日
たまに長男のほうが急逝して、還俗して後を継いでくださいみたいなケースもあるけど。
絶対王政時代には帯剣貴族が「常備軍の将校供給階層」となって、やはり口減らし理由で次男以降が…(聖職者のパターンも併せて総称「赤と黒」)。で、さらに彼らが「政略結婚に使われず修道院に押し込まれた娘」をさらって逃げる「マノン・レスコー」の様な駆け落ち物が大流行…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月1日
でもその駆け落ちの行く末って破滅一直線な気も。。。
— 富田勢源 (@ANNO1189) 2022年10月1日
まぁ「身分制社会への挑戦」なので「近松門左衛門の心中物」同様に「最後は悲劇で終わらねばならない」なる不問立が存在した様ですが、サド侯爵みたいに「ご安心ください。もちろん彼らは最後は破滅したのです」と最後の2行で済ます「二次元エンド大源流」も現れたという…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月1日
そのサド侯爵でさえ「ジュステーヌあるいは悪徳の栄え」のラストで非道の限りを尽くしてきたヒロイン当人に「確かにやがて私は滅ぶのですが、それはまだ少し後の話…」と続編を匂わせるラストにした結果、皇帝ナポレオンから「一生刑務所や精神病院に幽閉され続ける生活」を賜った訳ですが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月1日
そして…
×「ジュステーヌあるいは悪徳の栄え」○「ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え」。サド侯爵の暗黒文学の中でもこの作品は特に「(同時代のエドガー・アラン・ポー同様の)マーケティングの鬼」という側面が強い事で知られます。https://t.co/lwgI7XBZy1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月2日
「マーケティングの鬼」…自らの嗜虐性を正当化すべく(当時上流階層の間で話題だった)マルサス「人口論(1798年~1826年)」を援用。フランス革命やナポレオン戦争はおろか太陽王ルイ14世の諸遠征すら「人口増大に食糧増産が間に合わない悲劇を回避すべく…」https://t.co/MAN1uqLS2g
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月2日
「…人口を間引くノブレス・オブリージュ」と規定して「個殺にしか興味がない」ヒロインの毒婦性を矮小化して見せようとするのです。そう、サド侯爵の自伝も手掛けたガイ・エンドアが「パリの狼男(1933年)」で用いた「狼男論法」の大源流…https://t.co/NWN13Mmeyi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月2日
一方「マーケティングの鬼」サド侯爵の作品からは「18世紀後半~19世紀前半」当時の人気スポットそれぞれに対するフランス人の評価が摂取可能。「駆け落ちカップルの夢」イタリア(フィレンツェは比較的健全で野歩きに向く。ベネツィアの夜は華やかだが退廃的で危険が一杯)…https://t.co/65pcY3xCOa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月2日
そんな感じで以下続報…