そう、これは「女性自身による、女性自身の為の、女性性の制御技術」の物語…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
個人的メモ。新版アニメ封切りを契機に高橋留美子「うる星やつら(1978年~1987年)」原作を読み返してるけどkindle新装版第19巻第8話「哀愁の幼年期・サクラ(1983年)」に西尾維新「物語シリーズ」で蛇神化した千石撫子のモチーフの先行出現を垣間見る。https://t.co/hN22CILBQG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
内容としては「錯乱坊の調合した童心丸を飲んだ友引高校の校医サクラ。分離した幼少時代のサクラが当時病弱で遊べなかった鬱憤を晴らすかの様に暴走」というもの。フェミニズム文学的には「子供時代の過度の抑圧は精神的発達を歪める」… pic.twitter.com/SzYqToa8QP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
「フルアクセル踏んだ時の弊害と、それを回避する為のセルフコントロールは実際の体験を通じてしか得られない」というもので、まさにそういう話をこの時代にしてるのが興味深い。 pic.twitter.com/c9fyPtu2cC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
それにつけても高橋留美子は、子供を可愛い外観のまま「まだ人より獣に近い状態」として描くのが本当に上手く、さらにはニンフェット(女児が男児を成長速度で抜かす小学校高学年から再び抜き返される中学生)世代の少女までもこの範疇に巧みに連続させてくるのです。https://t.co/4LlWwNlWBq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
ここで興味深いのが、高橋留美子「うる星やつら(1978年~1987年)」では「それよりは大人寄りの立場」と捉えられているハイニンフエット期(ニンフエット期の余韻を残す高校生)が、第三世代フェミニズムが台頭する21世紀までに「小人寄り」にシフトしていく事。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
この「子供が子供でいられるモラトリアム期間の延長」の話、当時を調べると「今の女子は初経=嫁入りじゃないし、今の男子も精通=元服じゃない」とか「モラトリアム期間が存在する事の重要性」とか色々な議論が出てきます。もちろん1980年代がラブコメ全盛期となった事とも無関係な筈がないですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
この件についてはこんな話も。
シーハルク、見返してて気づいたけど、「女は怒りを我慢することに慣れているから、ハルクになっても暴れないよ!」というアイデアが物語の前提だったのか。そか……(がっくりしてる)
— Hiroko Yayane ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年10月8日
そこにリアリティ感じられない自分にはムリなやつだったな、との腑に落ちが生じた。
— Hiroko Yayane ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年10月8日
「カーリー様に踏まれておしまい」?なんで踏まれてるシヴァ様、みんな気持ち良さそうな顔をしてるのか… pic.twitter.com/OBx7zVef2t
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月8日
ナレーション「説明しよう!!シヴァの妻パールバーティは憤怒を引き金に「戦闘形態」ドゥルガーに変形するが、限度を超えるとさらに「暴走形態」カーリーへと変貌し、夫シヴァが踏まれる事でしか鎮まらないのである!」https://t.co/lqCaeCs26a
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月8日
以前からこの我に帰る時のパールバーティさんの気持ちがどういう感じかについて考えてきました。「おや、気付いたらまたおまいさん。アンタも好きねぇ」とか、そういう感じなのか?(全てはシヴァ様のあの表情がいけない)。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月8日
覚者とドMは区別がつかない。
— Hiroko Yayane ⚡️ (@chat_le_fou) 2022年10月8日
ここでいうシヴァ神の役割を西尾維新「物語シリーズ」主人公の阿良々木暦は「怪異に憑依された少女達」に対して果たしたという話もある様です。
そんな感じで以下続報…