要するに「善きサマリア人」の話…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
個人的メモ。以下の投稿で思い出した「ポリコレ本来の基本中の基本」。人間、煉獄さん(シャインレッド)や甘露寺さん(ピンクブロンド)の髪の色が変だと感じる事自体はそうそう止められるもんじゃない。https://t.co/rEWHXaz0NW
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
さらに「髪の色が変」を「さらに刀も差していたら人攫い」とか「まるで牛か猪だ。嫁の貰い手なんぞないぞ」と短絡的に考える癖から脱却するのが難しい人もいるかもしれない(流石に「その前に頭を使え」と言いたくなるが。髪の色が変だとどうして人攫い?毛並みがピンクの牛や猪って実在する?)
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
こういう時、どうするか。とにかく自動判断ルーチンの中身を自分の手に追える速度に落ちるまで「重くして」冗長性を持たせるしかない。例えば米国黒人の場合、そのギャング比率が高い事実は揺らがない。しかし同時に「全体の1/4を占める中産階層以上の黒人にギャングがいない」事実も揺らがない。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
だから「黒人を見掛けたら中産階層以上稼働かについて考える癖をつける」。日本だと、さらにそもそも見掛けた黒人がアフリカ出身か(厳しい移民審査を潜り抜けてるので優秀)欧米出身か(特に米国系は低レベル層を含む)も判断しなければならないので「処理はさらに重くなる=短絡的発想に陥り難くなる」。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
いわゆる「教養の効能」のメカニズム。「現場でちゃんと機能する」本物のリベラリズムとは多かれ少なかれこういう内容でなければならない筈なのですが、不思議と「自称リベラル」の方からそういう話を聞けた事がない(「はい論破。そういう考え方こそ本当の人種差別」と宣言された事ならある)という…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
そういう立場から「俺はお前と違って正く世界が見えてるからキモオタもネトウヨも再最初から人間に見えない」的発言をチェックするとむしろ楽しくなってきます。目の前に任意の東アジア人が現れたとして、大抵の人間はそもそもそれが一見では日本人か中国人か韓国人か区別出来ません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
ましてや「中国人」や「韓国人」がどれほど多種多様なタイプから構成されているかに気付くと、たとえ心の底にどれほどネトウヨ的偏見が宿っていたとしても、それが脊髄反射的暴発言動として解放される確率はどんどん減っていく訳です。これもある種の実践レベルでの「教養の効能」という話…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年10月15日
そんな感じで以下続報…