2017年末に「数学再勉強」を新年の抱負に立ててから丸5年…迷走の連続だったのでこんな形でまとめる事も最近まで思いつかなかったが、最終的に重要な鍵となった「リーマン直径(指数関数e^x(x=0→1)の尺を用いて-∞→0→+∞の内容を詰め込んだ長さ2の直線)」のアイディア自体は初年度に思い付いた「オイラーのドラム・スティック」概念の延長線上にある。石原裕次郎主演映画「嵐を呼ぶ男(1957年)」のパロディ…
今回の投稿の発端は以下のTweet。
個人的メモ3。現在の数理学的トレンド「極限中心定理とリーマン座標系の統合」について。とりあえず△ABCの概念から出発する。 pic.twitter.com/7CCq21L4oP
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
①三角不等式|線分AC|+|線分CB|≧|線分AB|において等式|線分AC|+|線分CB|=|線分AB|が成立する条件は「角CAB=角CBA=0,角ACB=180度(πラジアン)」。この時、頂点Cは「頂点Aと頂点Bを結ぶ直線AB上に存在する任意の1点」となる。https://t.co/BXLGu928dp
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②また相加相乗平均不等式(|線分AC|+|線分CB|)/2≧sqrt(|線分AC|*|線分CB|)において等式(|線分AC|+|線分CB|)/2=sqrt(|線分AC|*|線分CB|)が成立する条件は|線分AC|=|線分CB|。https://t.co/xwjEEn5zj5
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③頂点Cより線分ABに垂線を下ろすと頂点Dを得る。この時、自明の場合として△ABC、△ACD、△BCDの各辺の関係はそれぞれピタゴラスの定理(三平方の定理)a^2=b^2+c^2を満たす。https://t.co/pilvH6BJoV
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ここまで導入した数式を|線分AC|=|線分CB|=|線分CD|の場合を中心にまとめると「角CAB=角CBA=45度(π/4ラジアン),角ACB=90度(π/2ラジアン)」の2等辺三角形、およびそれを二つ並べた正方形が得られ「(X=1の時Y=0,Y=1の時X=0となる)交換関係」が捕捉される。https://t.co/Qr8U6yW5gJ
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かかる交換関係が(ここまで視野外だった)三次元上のX軸,Y軸ばかりかZ軸についても生じると考えると、その全体像を「半径1の球面体における回転問題」としてさらにすっきりとまとめる事が出来る。ここまで見てきた水平回転について… pic.twitter.com/R5PkRdFfdm
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X軸を中心とする回転と… pic.twitter.com/GluKiabedV
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Y軸を中心とする回転を視野に加える訳である。 pic.twitter.com/DKBYhF758O
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この時「対蹠」すなわち各回転軸と(中心から同一半径r上にある)球面の交点は1次元(線)上において2つ(+r,-r)、2次元(円弧)上に4個(r(+1,-1,+i,-i))、3次元(円弧)上に6個(r(+i,-i,+j,-j,+k,-k))あると想定され、それぞれの次元空間上に均等に分布する。https://t.co/GRXskRfjfj
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「均等への均等分布」…奇しくも「1の冪根を求める式」を用いて円弧(1次元,0~2π)を均等分割出来る。この数理を利用する事で人類は任意の正n角形を描ける様になったのである。これを考案した数聖ガウスはある意味「コンピューター・グラフイックの父」とも。https://t.co/7j3htA4pOI
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数学の世界は(人類が進化過程で生得的に獲得した)1次元上における自然数(+0&符号概念)概念を最初の足掛かりに、この意味合いにおける2次元表現として複素数(r,i)、3次元表現として四元数(r,i,j,k)を開発してきた。一通り出揃ったのはなんと19世紀後半~20世紀前半頃。https://t.co/MznV1LfPf6
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かかる進化の最初の契機となったのが「イタリア・ルネサンス期における複式簿記の欧州普及」。そうある意味「お金の話」としての「(貸借対照表上の)資産と負債の関係」「(損益計算表上の)費用と売上の関係」「(ギャンブルにおける)賭金と配当の関係」が全ての出発点。https://t.co/0ceiPSj7we
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実際の商業活動における「交代」は①「資産あるいは負債」を費用=賭金として投じ(水平90度回転)②得られた配当=売上を(垂直180度回転)「資産への計上」あるいは「負債への支払い」に当てる(水平90度回転)、そんなサイクル(周期)の繰り返しによって成立する。https://t.co/JkFcVXoH8l
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欧州では17世紀「商売が繁盛すれば歳入が増え、国の力も増す。国の力が増せば、利益の高い交易ルートを確保できて、商人たちの望む独占を与えられる」と考える重商主義経済学の考え方が定式化された。https://t.co/EKaBU2SOW4
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そう(国際的交通インフラ整備が不十分だった)歴史のこの時点では経済活動の主体はあくまで「支配領域維持に十分なだけの火力と機動力を備えた常備軍を中央集権的徴税制度によって養う」主権国家だったのである。https://t.co/RJPtZLfPoP
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日本における商業活動の全国化は江戸幕藩体制下における(参勤交代実現の為の)全国規模の交通インフラ整備を契機に始まった。同様に商業活動の全世界化も(産業革命導入に伴う蒸気船網と鉄道網の発達や冷蔵技術発展を背景とする)物流インフラ整備(19世紀後半)に端を発する。https://t.co/CjFDQJon4G
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その前段階として17世紀欧州では「国庫に金の備蓄(資産)が多いほど国力が強い」と考える金塊主義(Bullionist) が敗北し、戦費(費用)を新大陸からの金銀の無制限の調達で賄おうとしたハプスブルグ君主国がむしろ「価格革命」を誘発し宗教戦争に敗北する必要があった訳である。https://t.co/sydh26aDNy
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ここでもう一つのパラダイムシフトとなったのが「平均と分散の概念の導入」。符号を異にする「資産と負債」「費用と売上」「掛金と配当」の項目それぞれを中心(平均)からの絶対値の分布幅の拡大/縮小と捉えると…https://t.co/RVPzwdAd22
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「周回ごとに全体規模が拡大/縮小する」ある種の「螺旋運動」が浮かび上がってくる。まぁこれはあくまで(会計年をさらに12ヶ月に区切って進捗管理する様に)1周をさらに複数の区画に分割したり、逆に複数年を一つの区画として扱ったりするからそう見えるのであって…https://t.co/gArs9L4NJu
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要するに確率ベクトル論でいうところのマルコフ連鎖過程の事である。これは一般に「未来の状態(の確率)が過去の状態によらず現在の状態のみで決まる」状態を指すが…https://t.co/7wzPO8OIvY
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それは長生きしただけ身体も大きくなるが、その展開を当事者が体感する事はない原初的生物の「今の自分(およびその五感から得られる情報)が常に1で、周囲の状況も絶対基準でなく相対的変化でしか捉えられない」身体=時間感覚に対応する。https://t.co/YOfK65bDbZ
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さてここに「0と1の間を演算e^-xによって無限分割する」リーマン球面の概念を導入しよう。ここに大数の法則が想定するベルカーブ分布を射影すると「(重力レンズ効果によって反対側の対蹠が最周縁に射影された円盤としての)ブラックホールの景色」が浮かび上がる。 pic.twitter.com/qSn6PKT0ZK
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
古代人は夜空を「穴の向こう側から光が漏れる筒」と認識していた。現代人の目にも空がある種の天蓋と映る。もちろんいくら進んでも「筒面」や「球表面」に到達する事はないが、要するにその感じを(無限に0に到達しない)e^-xと(無限に∞に到達しない)e^+xの逆数関係に射影した「観察球面」として表現。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
驚くほど「球面っぽく見える」事にお気づきだろうか。そうこの分布は我々が水平線を眺めた時の透視図法的パースに他ならず、我々の主観的視野は「(本来は見えない筈の)球面の裏側まで映り込んでいる違和感」を誤差として切り捨ててしまうのである!!(図は通常の球面の正面図) pic.twitter.com/XggOoQCybx
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
つまり我々の主観的視野は半径1の円弧を「赤道」、そこから同じく半径1だけ離れた「南極」と「北極」の対蹠対に射影し0と1の間を演算e^-xによって無限分割するリーマン球面のアイディアで説明し得るのではないか(図は通常の球面の上面図)。 pic.twitter.com/YIrcwg52XN
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「赤道」と「南極/北極」の対蹠対を含む球表面分布…(図は通常の球面の側面図) pic.twitter.com/m4nJ3uuauF
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(ここでは便宜的に半径-rと中心0と半径+rが一直線上に並ぶ「リーマン直径」の回転によって2分される球面座標系を「単リーマン球面」、その任意の1点それぞれを中心に置いた「単リーマン球面」の到達限界が形成する半径2の球面座標系を「複リーマン球面」と呼び分ける) pic.twitter.com/xQ0Z8HR8cX
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かかる(e^+∞=∞を到達不能な極限と想定する)n倍の逆数として(e^-∞=0を到達不能な極限と想定する)1/n倍を「北半球/南半球」と想定し、その「偶奇(短複リーマン球面)交代の無限連続」について考えるのがこの座標表現のキモ。それにつけても突然現れるネイピア数e=2.718282…https://t.co/BJWNqCsVXy
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そうこれはZ軸(垂直軸)にXY=1、XY軸(水平軸)にe^+xとe^-xを置いた場合の一般化、すなわち観測原点を中心とする「主観=それを中心とする 半径1の単リーマン球面座標系」と「それが半径1の単リーマン球面上にあると想定した場合構成される半径2の複リーマン球面座標系」の統合であり… pic.twitter.com/J5PWXkT89G
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哲学でいう「彼我問題」を数理はこの様に解決する訳なのだが、実は生物が生得的に獲得してきた自然数理から、この任意の「1」を直径(Diameter)と見做すと半径が1/2となり、半径と見做すと直径が2となる2^n演算に到達するのは極めて難しい。 pic.twitter.com/Bws4r6gq2D
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
というのも円盤の面積がπr^2で求められるのは円の対数写像を取ってこれをX方向にrだけ進む間に0から2πr(円周)に至る傾き(三角形)と考えるからなのだが、2を根とするa^n演算では傾きが足らず、3を根とした場合は多過ぎる。その間を取ったのがネイピア数e=2.718282…https://t.co/5zTju2Zyo4
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要するにはイメージ的にはこんな感じ?(あくまでイメージです)。 pic.twitter.com/KnPiCe2OOA
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
一方[x,y]=[1,0]→[0,1]→[-1,0]→[0,-1]→[1,0]となる4回転1周期の交代を2回転1周期のy=-1^xにi^2=-1なる虚数概念を導入によりさらに2分する形で実現したのが複素数極座標系。4分された各象限の連続推移(交代)がi^cos(θ)で表せる事からオイラーの定理e^θi=cos(θ)+sin(θ)iが導出される訳だが… pic.twitter.com/5ONNNeT6fz
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
実際の商売における「掛金と配当次元の振る舞い」は「規模拡大」や「規模拡大」のみの連続を記録するとは限らず、それぞれのビジネスモデルの上限と下限の間を確率論的に往復するのみであり…https://t.co/h23pImJoIE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
かかる「観測点から全方向に無限遠点まで続く傾き1の(円錐座標系上に分布する)螺旋運動」なんて到底想定し得ない。それで各時代ごとに「資産/負債→費用/売上」のサイクルと「元手/配当金→費用/売上」のサイクルを統合するある種のヒューステリックな神秘主義が量産されてきたのだった。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
そう、ここでいう「費用/売上→元手/配当金」のサイクルを記述統計の世界は捉え得ず、推計統計の世界は極限中心定理に立脚する正規分布を展開の前提とする。「貧富の分布解析などでは中心を平均でなく中央値とすべき」とか頭で分かっても中々離れられない。https://t.co/RVPzwdAd22
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ここから自明の場合として「各次元の関係を1対1にする適切な重み付けさえ計算出来たら中央極限定理の援用を諦めずに済む」なる発想が生じた。そもそも正規分布の概念自体が極論を言えばベルカーブ曲線e^(-x^2)にsqrt(π)の重み付けを与えた結果ではあるまいか?https://t.co/IJ8FfVdigC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
これまで述べてきた球座標系の話だって「半径r(0→1),水平角θ(0→2π),水平角φ(0→π)」から直交座標系(x,y,z)(それぞれが-∞→0→+∞の範囲)と考えれば、全体像がいわゆる「ヤコビアン三重積分」として整理される。 pic.twitter.com/RpNatnAMSh
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考え方のコツは「(座標系間における)点から点への推移」と「(同一座標系内における)一時結合的分解」に専念する事。要するに線形代数と微積分だけで考え(高校時代までに習う様な)他の座標体系を無視する。さよならデカルト座標系、さよなら二項係数(パスカルの三角形)…https://t.co/JkFcVXoH8l
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そして21世紀に入るとこうした発想の延長線上に「ニューラル・コンピューティング→機械学習」なるトレンドが。言うなれば「必要なだけ次元分解して極限中心定理的座標系Xnへの射影を求める事で表現出来ない事象はない」という考え方。https://t.co/vptM5xYxeb
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とどのつまりこの種の数理の追求は事象そのものの展開限界から会計学や経済学の分野から天体観測の世界に継承され、そこから「ガウスの誤差関数」の概念が生じ、改めて物理や自然界の観察だけでなく様々な人間社会の諸事象の分析に用いられる展開を迎えた訳である。https://t.co/5ZATXUmCyq
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ところで、いわゆる「カール・マルクスの思想」のうち「ドイツ・イデオロギー(1845年~1846年)」における「まず現実の風景から入れ。そこにある日常の営みを読み取る事から始めよ」発言…https://t.co/1Uki34WPHm
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そして「経済学批判(1859年)」における「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた量産品に過ぎない」発言は科学史上現段階では「論破不可能」認定を受けている。まぁ「先に言い広めた人間が提唱者」なので…https://t.co/WizsRDpT8O
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シグムント・フロイトの精神分析理論でいえば「汎性論=人間の心的エネルギーにおける貨幣論」だけ残った感じ。逆を言えばそれ以外の主張は全部論破されるか別の考え方にアップグレードされてしまった訳である。https://t.co/34kcHjWI2D
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英国で今なお「マグナ・カルタ (1215年)」が序文だけは有効なあの独特の感じ? 個人的には左派の方々がこの部分だけくっ付けて何でも「マルクス・○○主義」と呼んで箔付けしてきたのを思い出した。https://t.co/K2WyeRp9kv
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
ちなみに「マルクス・フロイト主義」なる鬼子まで存在し、今や単なる忘れ去られた古語と成り果ててしまったが、ドイツ社会学の大源流となった事もあって20世紀前半までは盛んな言及があったものである。https://t.co/Lts7p2VHzl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
「ドイツ社会学=マルクス・フロイト主義」が他の「マルクス・○○主義者」から散々絡まれてきたのは基底にある「方法論的個人主義アプローチ」がお気に召さないからで、こうした主義者はむしろデュルケームが創始したフランス社会学における「方法論的集団主義アプローチ」に肩入れする様である。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
ならあえて「方法論的個人主義アプローチ」の極限「極大中心原理への信頼感」と直結させ「マルクス・リーマン主義」とでも称してみるのも面白いかもしれない。とりあえずリーマン球面からの連想で「リーマン」を冠してみたが「オイラー」や「ガウス」でも構わない。https://t.co/pmdgRTBsfb
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
どうやら21世紀にはこの辺りが「文系人間の拳銃論法」として必須スキルになってきそうな予感…まぁそういう私も2017年末に「数学再勉強」を新年の抱負に立ててからここまで至るのに丸5年掛かってるのである…https://t.co/9Wx0Ul7NPq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年11月19日
そんな感じで以下続報…