結論「自顕流ロマンの大源流は古式集団剣術」?
今回の投稿の発端は以下のTweet。
いま言われる示現・自顕流最強伝説みたいのいつから出てんだろな。時折調べるけどわからん。明治前半には立木を打ち回る稽古とか、薩摩では朝から掛け声が響くとか、薬丸は腕力と気合を強くならしむれば足るとかは出てるけど、これが幕末や西南戦争でものすご強かったみたいな話は全然出てこないのよな
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
指宿藤次郎の逸話からでしょうか。昭和40年代生まれには「六三四の剣」に出てくる強敵日高が示現流の使い手だったので幻想を持ってます。私はこれで知りました。13分から出てきます。
— ケースクエイク (@chucknorrisuke) 2023年1月6日
Musashi no Ken 六三四の剣 第71話https://t.co/EO6pjypGwY
創作ですと司馬以前でも南国太平記(昭和6)などにも凄い気迫で打ち込み受けたら刀が折れるかという独特の剣法として出て来ます。これは新聞連載なので広まるという点では大きかったでしょうね
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
そういう小説があるんですね。私は他には平田弘史の「薩摩義士伝」や弟さんのとみ新蔵(原作津本陽)の「薩南示現流」など示現流が登場する物語を好んで読んでおりますのでそちらも読んでみようと思います。
— ケースクエイク (@chucknorrisuke) 2023年1月7日
横山健堂の『日本武道史』では、随分と示現流を高く評価してますね。わざわざ取材にいって東郷家、薬丸家の人間に稽古見せてもらったり、平山行蔵が古川古松軒の文章引用して薩摩の御流儀が凄いと褒めているのを引用してたり…横山の好みはあるでしょうけど、昭和後半にはでまわってたのかもです pic.twitter.com/AehnTSPY7E
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2023年1月6日
横山健堂は薩摩大好きなんですよw この昭和18年頃だと、時局の関係で示現流が攻撃精神、心身鍛錬、忠孝貫徹の道とか持ち上げられる時期ですね
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
著書を見ると、いかにもなものばかりですねwあとは昭和14年の高知新聞に「この頃には全国各地で俺の国が真の尚武の国であり武道発祥の地であると喧伝し、殊に薩摩は二尺一寸の大太刀で一撃の早術といわれてる“自見流”の本場として自慢しているが」という記事があったとかは知ってますけども…
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2023年1月6日
教育の国、尚武の国なんて書かれ方もしてますが、大正末くらいから郷中教育の評価があったみたいで、その辺から薩摩再発見みたいな感じなのかもですね
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
ああ、なるほど。先述の記事は『丹石流剣法史』で引用されていたもので、高知に伝わる丹石流の方が由緒ある凄い流派だぞ!という主張でしたけども、何か昭和14年頃に薩摩の評価のように、尚武の国と主張するの流行ってたりしたんですかね?
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2023年1月6日
尚武の国というのはもう明治初め頃から普通に言われてますが、日本全体を除けば会津とかが多い感じですね。
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
ここに乱入。
示現流との関連は不明ですが、戦国時代日本を訪れた宣教師の記録に「日本では歩兵突撃の先頭に当たる敵全てを黙々と真っ二つにし続ける恐るべき剣使いが立つ」なる記述があった様な。戦法としては倭寇戦法に似てますが、こちらは「先頭の手練れが初太刀を与え怯んだ相手を後続が嬲り殺し」ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そして司馬遼太郎「飛ぶが如く」に「この戦法を西南戦争の際に薩摩兵が鎮台兵に対して用いた」という記述があった様な。まぁ共通するのは目の前にいきなり「眼前の敵を片っ端から斬り伏せる手練れ剣士」が現れたら、残りはたとえ多勢でもたじろいで潰走する景色かと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そういえば司馬遼太郎「義経」の中で幼少の源義経が、ここでいう「倭寇戦法」を用いる場面も描いてますね。歴史上に集団剣法として何らかの実体があった様に思います。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
関ヶ原の戦いに従軍した宣教師も「こうした剣士を錐先に立てた歩兵突撃は、ほとんど真っ二つにされた遺体が一筋に続いているので分かる」などと書き記していますが、要するにそういう「古式の戦い」を幕末まで想定し続けたのがいわゆる「薩摩の野良の示現流」という図式はあったかと。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
そういえば新撰組で「薩摩の初太刀は外せ」と言われてたとしたのも司馬遼太郎だし「司馬遼太郎戦犯説」が濃厚に…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
はっと。①「倭寇戦法」は主にそれと戦った中国の記録に出てくる。②「戦国時代の楔形歩兵突撃」は主に当時来日した宣教師の記録に出てくる。③「西南戦争における薩摩兵の活躍」は司馬遼太郎の小説を覗くとウィリアム・グリフィスやラフカディオ・ハーンといった「お雇い外国人」証言。え?要するに…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
「知らぬは日本人ばかりなり」?確かに「剣を教えて稼ぐ兵法家」にとって、現実の戦争がそんな黒澤明監督映画「用心棒」のヤクザの衝突みたいな「手練れに続く屁っ放り腰vsそれに蹴散らさてる屁っ放り腰」では何かと都合が悪い?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月6日
実際、気圧されたら負けで、全て烏合の衆になってしまうわけですけど、武芸者とかを持ち上げる場合は様にならないですものね
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月6日
ウィリアム・グリフィスの西南戦争の記録には「(使える銃と弾薬数に限りがある)薩摩兵が畳を盾に銃撃を防ぎながら斬り込む場面も見られた」とありますが、鎮台兵側も(会津武士復権の機会となった)斬込隊編成や陣形の工夫などで冷静に対応し不利を覆すには至ってません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月7日
「事なれたる兵はバヨネットをつけて之を防」いだけど、慣れない大阪の新兵だったので退いた…と有名な記事がありますけど、鎮台兵も戦歴で全然変わりますね。後に日露でも徴集兵の使えなさの報告が多々あり、これが隊形の変化と相まって、自主的に動ける兵の養成としての精神主義に繋がりますし
— ちていのき (@baritsu) 2023年1月7日
(福井藩のお雇い外国人として幕末から廃藩置県にかけての激動を生々しく実体験した)ウィリアム・グリフィスの西南戦争の記録で一番興味深いのが、(農民主体の)鎮台兵が(武士でも精強の部類に入る)薩摩兵に勝利した展開により世間の空気が一気に平等社会に傾いたと指摘してる辺り。貴重な時代証言です。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月7日
そんな感じで以下続報…