この話、ここに至るまでの話ですね。
今回の投稿の発端は以下のTqweet。
わしゃ「科学史から消された女などいない」件の人が、名前を奪われていない女の代表としてドヤ顔で挙げてきたのが
— ライジ💙💛 (@lije_bailey) 2023年1月27日
「ナイチンゲール」
「マザーテレサ」
でズコーッ!となってもうた…。
その二人…昔の子ども向け伝記の世界で「女らしい、母性的な人のお世話」枠で存在を許されてきた女性偉人よね。
ナイチンゲールの功績はそれまで主に尼僧たちの「女らしい献身」に頼りっきりだった看護の世界に統計や衛生を持ち込んで近代化したことなのに、昔の男性児童文学者の書いた伝記でそこはスッ飛ばされて「女らしい献身」ばかり強調されてたことを知ってゲンナリしたな。https://t.co/XARxDJEePn
— ライジ💙💛 (@lije_bailey) 2023年1月27日
ここに乱入。
本当に重要なのは、彼女が導入した統計学的基準に合格しないと軍の予算が通らなくなり、軍人からこぞって「ミス軍務省」と恐れられたエピソードだったりして。もちろん彼女は単なるコストカッターではなく「衛生性向上の為にこの分野にさらなる予算を」などと助言する立場でもあった訳ですが。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月27日
フィクション世界に「雪女=既存倫理観の枠組みを超えて生死与奪の特権を発揮する超自然的女性」なる概念が広まる以前に現実世界に「実物」が存在したというのが興味深い? https://t.co/H1YNcHgcOa
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月27日
ここで興味深いのが、19世紀産業革命時代のスーパーヒーローの活躍を描いたアラン・ムーア原作漫画「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」においては「組織の元締めたる超自然的女性」の役をブラム・ストーカー「ドラキュラ(1897年)」で…https://t.co/Nkk2RwZJ9F
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月27日
(その軽薄な男性遍歴故にドラキュラの誘惑に負けて自滅する「尻軽女」ルーシーと対比的にドラキュラの誘惑に打ち勝つ「貞女」として描かれた)ミナ・ハーカーが割り振られる辺り(そういえば漫画「ヘルシング」のオチもこれ)。 pic.twitter.com/lLJk3r5pBF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月27日
そして…
話題が拡散するので別投稿にて。英語口語文学の樹立過程においてはジェーン・オスティンやブロンデ姉妹が活躍したものの、近代文学成立過程は男性作家が主導し、そこでの女性の描かれ方は決して女性自身にとって納得がいくものではなかったのです。https://t.co/SM4riABieL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
なにしろボードレール(1821年~1867年,1857年罰金刑)の黒人娼婦讃歌は女性蔑視に満ちており…https://t.co/vnVqO8yF6D
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
フロベール「ボヴァリー夫人(1856年発表,1857年起訴)」は退屈な日常に飽き足らない上流階層の主婦が昆虫か発条仕掛けの玩具の様な無造作さで破滅に向かう物語。https://t.co/buZKJwn3Dt
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
自然(科学)主義文学の代表作で賛否両論を巻き起こしたエミール・ゾラ「ナナ(1879年)」もまた顧客を破滅させつつ自らも破滅していく高級娼婦の物語。https://t.co/u71P21NAPV
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
モーパッサンの出世作「脂肪の塊(1880年)」は普仏戦争の最中、プロイセン兵の暴虐に対して生贄に捧げられる娼婦の悲劇を描く物語。https://t.co/fvXEYvQ0Dc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
「ダーバヴィル家のテス(1891年)」もまた無学な没落階層の女が運命に弄ばれた末に殺人事件を犯し魔女として処刑される物語。https://t.co/XToRKa4Ktg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
以前、別の投稿において「フェミニズム文学の第一目的は女性自身の自己肯定感を高める事で、それだけで無用な破滅からのバリアーとなる」と述べましたが…https://t.co/7W4d82FvCl
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
逆を言えばこれが低いと、それだけで災いの種になるという見本集。https://t.co/C4rtURgpoG
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
却ってその方面の不安を煽ろうとするドラマを、近代女性が愉快に思う筈がありません。たとえ(ブラム・ストーカー「ドラキュラ」の様に)毒婦は必然的に自滅し、貞女は苦難こそ多いが最終的には報われるとする前近代的物語展開に死ぬほどうんざりしていたとしても。https://t.co/psROf1bg9A
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そうした膠着状態ゆえに「救済」は「(既存のキリスト教的倫理観とは)全くの別次元」から訪れる必要が生じたのでした。例えば「女性が幸福になる方法」について「インド民族伝統の知恵」に基づいて説くリチャード・バートン版「カーマ・スートラ」。https://t.co/mNuiohFCrn
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
日露戦争に勝利した日本の伝承に取材した小泉八雲の「雪女」。ぶっちゃけ「生死与奪の特権を備えた超自然的女性がイケメンを殺し損ない、そのイケメンに嫁入りして子供までもうけ(しかも10人!!)、正体が発覚してもイケメンを殺さずただ立ち去る」単純極まりない物語が…https://t.co/MPDwm42W6c
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
国際的女性文学史に思わぬ大きな足跡を残したのにはそういう経緯があったのです。しかも「東インド会社によるインド統治失敗と大英帝国による直轄領」とか「日露戦争における大日本帝国の勝利」が思わぬ原動力となった数奇な展開…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そういう時代だったので英国本土におけるナイチンゲールの業績についても思わぬ側面が付帯。実は彼女はフランスにおいて皇帝ナポレオン三世がそうであった様に「近代都市計画概念の創始者の一人」。英国だけでなくインドのムンバイなどの旧都の近代的都市計画概念による再建を手掛けているのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
というよりむしろそうした技術が樹立したからこそ、大英帝国がインド直轄領化に踏み切れた側面も。そして都市計画遂行に必要なのは「情報」。そういう意味合いにおいてバートンの「アラビアン・ナイト」や「カーマスートラ」の翻訳、小泉八雲の「心」「怪談」は照明された側面もあったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
実は国際文学史上における「吸血鬼ブーム」の大源流に「第二次ウィーン包囲(1683年)」以降のオスマン帝国の東欧失陥=ハプスブルグ君主国領の急拡大があった事を思い出しますね。そう「吸血鬼伝承」は新領土経営の為に集めた情報を通じて欧州文学者に伝播したのです。https://t.co/9U6VVM1uEK
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そして、なんであんまりこうした歴史的流れが日本だけでなく国際的にあまり周知されてこなかったかというと「都市計画に基づく区画整理」には、フランス革命に端を発する「市民反乱の伝統」の継続を不可能とする側面もあったので、世界中のリベラルが黙殺を決め込んできたからなのでした。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
ちなみに「大日本帝国の手になる都市計画」は支配下に置いた朝鮮半島首都の京城(現在の韓国の首都ソウル)や中国の首都北京でも敢行され、それぞれの国はこの恩恵を受け続けている訳ですが、その功績について語る事がタブー視されている影響も大きいかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そうやって21世紀に入ると段々似非リベラリストや似非フェミニストが掲げる「社会正義が勝利してきた偽史」の弊害が表面化してきた次第。だがこの程度まだまだ序の口。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
統計学における分散(Variance)概念の本当の発案者は一体誰だったのか? ウマ娘さん達がヒントをくれる様です。「サラブレッドは血で走るって誰が言い出したか調べたらいいと思うよ」。そんな感じで以下続報…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そして…
ちょっと補足。こうした考え方は主にtumbr全盛期(2010年代前半)、そこに常駐していた第3世代フェミニストの姉様達からまとめて仕入れたのですが、以前投稿した「日本の女性作家は1970年代~1980年代に毒婦と貞女を峻別する伝統を破壊した」という話にどうつながるかというと…https://t.co/Wsfbd3x9M4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
①ジェーン・オスティンは処女作ながら死後にしか発表出来なかった過激作品「ノーサンガー僧院」において様々な疑問を呈しているものの、結局大枠としては「女性は判断力に欠けており、それを男性に委ねなければならない」なる伝統的価値観を打破出来なかったといえる。https://t.co/YkqOJ9ryFM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
②それを動揺させたという側面においてはシャーロット・ブロンデ「ジェーン・エア」よりエミリ・ブロンデ「嵐が丘」の方が大きかったといえる(まぁこの定見に納得しない人達が打った奇策が「もしジェーン・エアが超能力者だったら?」説という流れ)。https://t.co/369kYcF8jh
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
③そして「ポリアンナ物語(1913年~1915年)」が「毒婦と貞女を峻別する伝統的物語文法」の限界を露呈する一方で「毒婦というより軽薄女」スカーレット・オハラを主人公とするマーガレット・ミッチェル「風と共に去りぬ(1936年)」が大ヒット。https://t.co/la9iZh4ltb
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
④そして「嵐が丘」のリスペクトが要所で目立つ高級娼婦ホリー・ゴライトリーを巡る騒動を描いたトルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を(1958年)」が発表され、1961年にオードリー・ヘプバーン主演で映画化。https://t.co/e3qCjsNusq
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
⑤一方、日本の少女漫画界は「恋愛御法度」の伝統を打破すべくSFやメルヘンや古典洋画の翻案を積極的に遂行してきた(特に1960年代~1970年代の集英社作品)。特に名画揃いのオードリー・ヘプバーン主演映画は影響大だったが「ティファニーで朝食を(1958年)」だけは素通り。https://t.co/iVmdmmWxbC
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
ただ本当に完全に素通りしたとは限らず「夜のベッドでアレを営む最中、どうして消灯するの?つけっぱなしの方が楽しみも増えるのに?」みたいな猛毒箇所が個々にじわじわ浸透していったという考え方もあったりします。https://t.co/YuG0UT0I6q
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
ちなみに最後の「(日本人でも忘れてる様な)日本の少女漫画前史」の掘り起こしがどうして可能だったかというと、アメリカには「アメコミ蒐集家」の女性版といった形で「バービー人形蒐集家」とか「日本の少女漫画蒐集家」の様な人達がいてpintarestに出店を構えていたから。 pic.twitter.com/w35CousVjp
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
話がここまで来れば「日本の女性作家は1970年代~1980年代に毒婦と貞女を峻別する伝統を破壊した」時代との連続性がなんとなくイメージ出来る様になるかと。もちろん当時までに破壊されたのはそれだけでなく…https://t.co/ZDlrzfQOoi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
旧投稿を漁る過程で一時期世界を席巻した懐かしいmemeを再発見。「チアガール姿のクン・フーリン(FGO)」に「魔法少女トニー・スターク」… pic.twitter.com/71DI7Ji4E1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2023年1月28日
そんな感じで以下続報…