諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【数学ロマン】「九品」概念の色々

なるほど、全体像はこうなっていたんですね。

中国古典における「九品」概念

大本をたどれば中国漢代に提唱された性三品説に由来する。

人間は生まれながらにして上品・中品・下品の三品に分けられており、上品は生まれながらの善であるから教化するまでもなく、下品は生まれながらの悪であるからこれも教化は無駄である。唯一中品のみが善にも悪にもなることが出来、これを教化することによって善へと導くことが出来るという考え方である。

これが元になって九品官人法では官職を九品に分けることがなされた。これに習って文学・芸術あるいは囲碁の腕前に至るまで九品に分けて評価されるということも行われた。

漢文仏教経典での用例

九品(くほん)は、仏教で、経典を翻訳した際に、上記の中国の分類を用いて充当したものである。

三品それぞれの名は、中国語では区別しないが、日本語では読みが異なる。仏教では、サンスクリットのVargaを「品」と訳した。なお仏教の「九品」の場合は「くほん」と濁らずに読むが「上品・下品」などは「じょうぼん・げぼん」と連濁する。

仏教(特に浄土教)では、衆生の機根の違いによって、同じ極楽浄土へ往生するにも、9つのパターンがあると『観無量寿経』に説かれている。またこれを九品往生ともいう。

九品のそれぞれはこれは「○品○生」(○は上・中・下)と言い、「○生」の読みはそれぞれ上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)である。

のちに、善導は九品皆凡といい、一切衆生は本質的にみな迷える存在であると捉えた。また上下の差を大乗・小乗の乗教や悪などとの接触による相違に帰するという独自の解釈を唱え、これが法然親鸞などに大きく影響を与え、また継承された。

今回の投稿の発端は以下のTweet

そんな感じで以下続報…