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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「国民国家」概念の起源⑤ 「ゴビノー伯爵の悪夢」と「人類館事件」の狭間

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ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体(Imagined Communities、1983年)」

人種主義の夢の起源は、国民の観念にではなく、実際には、階級イデオロギー、とりわけ支配者の神性の主張と貴族の「青い」血、「白い」血、そして「育ち」のなかにある。とすれば、この近代的人種主義の種馬とされるのがそこいらのプチブルナショナリストではなく、ゴビノー伯ヨゼフ・アルチュールであってとしても別に驚くにはあたるまい。そしてまた全体として、人種主義と反ユダヤ主義は、国民的境界線を越えてではなく、その内側で現れる。別言すれば、それは、外国との戦争を正当化するよりも、国内的抑圧と支配を正当化する。

こういう指摘には気をつけて当たらないといけません。こんな指摘もあるからです。

長谷川一年「アルチュール・ド・ゴビノーの人種哲学」

反ユダヤ主義研究の泰斗レオン・ポリアコフは人種に関して科学的に考察しようとした時に生じる「自己検閲(オート・サンシュール)」について、こう述べている。「あたかも人種主義者である事を恥じたり、恐れたりするあまり、西欧がかつて人種主義者であった事を認めようとせずに、たいした事のない人物(ゴビノー、H.チェンバレンなど)に悪を肩代わりさせるように、すべてははこんでいる」。

この自己検閲は、人種主義の全責任をドイツに転化する事によって完璧なものになる。西欧思想の内奥に巣食う人種主義の腫瘍を摘出することこそが問題なのにも関わらず、有象無象の「人種主義者」を断罪し、彼らを西洋思想史の本流からの逸脱、ドイツにおける例外的な事例として処理する事で、全て落着したかの様に安堵している訳だ。

 そもそもゴビノー伯ヨゼフ・アルチュールなる人物、本当にそんな怪物めいた大物だったのでしょうか?

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「国民国家」概念の起源④ フランス式「王的支配」と英国式「王的・政治的支配」の到着地点

英国薔薇戦争(1455年〜1485年 / 1487年) 当時の法律家ジョン・フォーテスキューの政治理論の中核をなすフランス式の「王的支配(Dominum regale)」理念と英国式の「王的・政治的支配(Dominium regale et politicum)」理念の鋭い対峙。

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その背景には王の「秩序構成権力」と対峙される人民の「正義構成権力」の内容の国ごとの違いがあったともいわれています。

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「国民国家」概念の起源③ 「カインの邪悪さ」が所有権の起源。「ニムロドの傲慢さ」が統治権の源流。

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英国薔薇戦争(1455年〜1485年 / 1487年) 当時の法律家ジョン・フォーテスキューの政治理論の中核をなす「王的・政治的支配(dominium regale et politicum)」概念。
ジョン・フォーテスキュー著『自然法論 第一部』(邦訳)

そして、そもそもイングランド法制史における「二重大権(double majesty)」論の大源流はゲルマン部族法起源かもしれないとされます。本当にそれだけ?

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「国民国家」概念の起源② 「二重大権」ゲルマン起源説と日本の「三種の神器」

明治天皇は現役当時、国際的に「大帝」と呼ばれていました。「大政奉還(1867年)」王政復古の大号令1868年)」版籍奉還(1869年)」「廃藩置県(1871年)」「廃債処分(1872年)」「廃債処分(1872年)」「秩禄処分(1876年)」をスムーズに成し遂げて江戸幕藩体制の完全解体を成し遂げた「手腕」が評価されたのです。

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  • ただ、西洋文化の機微に通じた森有礼(1847年〜1889年)は「必ずしも褒め言葉ではなかった」という同時代証言を残している。「欧米先進国においては、王侯貴族の財産権(Property)に土足で踏み込ねば必ずしや致命的な内戦勃発を誘発する。そういう展開とならなかった事によって大日本帝国帝政ロシア並の絶対王政 / 権威主義国家だと証明した様なものだ」。
    *実際(福井藩の「お雇い外国人」として廃藩置県を経験した)W.E.グリフィスによれば、この時に明治天皇を「雷帝」と報じた海外メディアすら存在したという。もちろん欧米社会で雷帝(ро́зный //the Terrible=「ひどく峻厳な / 恐怖を与える / 脅すような」統治者)」といったら「モスクワ大公」イヴァン4世(Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich、在位1533年〜1547年)を指す。ある意味、この感覚を理解していないと「ロシア革命(1917年)が欧米諸国に与えた独特の印象」および「共産主義革命? ロシアだったら起こりかねん。何としても欧州への伝播までは防がねば」という所感が理解出来ないかもしれない。

  • 実際の日本史を知る日本人の所感はまた異なる。幕末期へと至る過程で諸般の多くが債務超過の経営破綻状態にあったからこそ、こうした「大博打」はスムーズに通ったのだった。似た様な状況なら、壬申の乱(672年)の結果成立した天武天皇代(673年〜686年)にもあった。「(氏族戦争(Clan War)を激化させるだけの)氏姓(うじかばね)制」が完全破綻し、中華王朝から律令制を導入する試みが始まるまでの過渡期。天武天皇は従来の位階制度の一切を停止し、新位階制度を発足させたのである。
    *この意味で日本の天皇には伝統的に「究極のリセットボタン」という機能が与えられてきたと表現される事
    もある。むしろ重要なのは天皇そのものの意思というより「誰がリセットボタンに手を伸ばしたか」だったりするという次第。
    天武天皇 - Wikipedia
    案外、日本人が「GHQ占領期(1945年〜1952年)」を黙って受容したのも。そうした伝統ゆえだったのかもしれない。

  • こうした「日本のリセット文化」と対比すべきは、おそらく「時代遅れとなった太平洋三角貿易などをオンライン状態のままリアルタイムに精算してきた英米の凄み」なのである。

    まさしく議会制民主主義に根差す重厚な保守主義文化の大源流。

どちらがいいかといった比較論ではなく「根底にあるのはこの発想」といった本質論の世界。基本的にどちらも部族連合状態から出発してる筈なのに、どうしてこんな違いが発生してしまったのでしょうか?

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「国民国家」概念の起源① 「シェークスピア史劇」と「大砲の呪い」と「国王の大権」の三角関係

近代国家出現は概ね百年戦争(1337年/1339年〜1453年)をフランス側が「リッシモン大元帥のブルターニュ軍編成」によって制したのが起源とされています。
*その百年戦争は概ね「十字軍/大開拓時代(11世紀〜13世紀)の終焉、すなわち「欧州のフロンティア消滅宣言」が必然的にもたらした英仏双方における国境制定要求の高まり」に起因すると考えられている。
http://livedoor.blogimg.jp/kintetsurecords/imgs/7/f/7f69eb8a.jpg

とりあえず根底にあるのは「(大量の火器を保有する)常備軍の維持」が戦争勝利の鍵を握る様になり、それを養う国庫を維持する為に官僚組織が発達し、貴族が軍事力供給階層から将校と官僚の供給階層に変貌して近世が到来したという考え方。実際の中央集権化は英国においては薔薇戦争(1455年〜1485年/1487年)、フランスにおいては公益同盟戦争(1465年~1483年)を通じて果たされたとするのが通説。

そして、まさにここにおいて「かくして必然的に絶対王政の時代が到来し、太陽王ルイ14世が主権者とて降誕。フランス革命によってその座を国民に譲渡した」とするフランス式歴史観と「ジェントリー階層の「王室の藩屏」としての躍進が議会制民主主義成立につながった」とする英国式歴史観の分裂が見られるのです。

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【キングオスカー】【ナショナリズム】「ノルウェー製なのにスウェーデン国王の肖像」の謎

絶対王政国民国家の三題噺を突き詰めて考えると、避けて通れないのがこの問題。

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世界各国で作られているオイルサーディンですが、イワシの詰め方には国民の気質が表れるようです。例えばペルーの缶詰は微妙にスカスカですし、フィリピンには円柱缶にイワシが無造作に縦に詰め込まれたものも。一方、日本やヨーロッパのものは概して美しく、特に高級品は手作業で丁寧に詰めていることをアピールする傾向があります。

世界でも最高品質と名高いノルウェー「キングオスカー」の缶詰(製造はポーランド)。パッケージには19世紀のノルウェー国王・オスカル2世が描かれています。これは同社の品質を認めた国王が、肖像使用に自らOKを出したから。王室ご用達の缶詰は世界に数あれど「王の特別な許可による」と堂々と印字された缶詰はこれだけでしょう。

そもそも「スウェーデンノルウェー同君統治王」オスカル2世の出自そのものが当時の欧州史をそのまま凝縮した様なややこしさに満ちていたりするのです。当時における「君主」の在り方の変遷を知る上でも貴重な人材だったりします。 

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「臣民」の歴史⑨ 「国民国家」大日本帝國の臣民達が軍国主義へと傾倒していく流れ 

世界史的見地からいえば大日本帝國は割としっかり、しかも迅速に「国民国家」への移行を済ませた部類に入ります。

ある意味それは当然の話。なにしろ「大政奉還(1967年)」「王政復古の大号令(1868年)」「版籍奉還(1969年)」「廃藩置県(1871年)」「藩債処分(1872年)」「秩禄処分(1876年)」の連続コンボによって基本的に流血を伴う事なく迅速に江戸幕藩体制を解体してしまった事は「世界史上の奇瑞」といわれてるくらい。
*「流血を伴う事なく」…実際は戊辰戦争(1868年〜1869年)や士族反乱(1874年〜1877年)をあったが、世界史的観点からすれば英国名誉革命(1688年〜1689年)同様、誤差の範疇に含まれてしまう。理不尽? まぁそれが「ホイッグ史観」の本質ではある。
ボイン川の戦い(1690年) - Wikipedia
ホイッグ史観 - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5e/BattleOfBoyne.png

  • これがアメリカで実践可能だったら南北戦争(1861年〜1865年)はなかった。

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  • これがイタリア王国で実践可能だったらファシズム台頭はなかった。

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  • ドイツ帝国で実践可能だったらナチズム台頭はなかった。
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  • というか西洋的価値観に詳しい 「初代文部大臣」森有礼(1847年〜1889年)に至っては、はっきりと「こんな滅茶苦茶な手口、欧米でやらかしたら必ず反革命を誘発してしまうよ」なんて口にしている。迂闊に王侯貴族や高位聖職者からその所領(Property)を取り上げ様とすれば、必死の抵抗は免れない。それが欧米社会の現実だったが、日本の領主はむしろ「納得のいかない経営をしたら平然と領主の寝首を掻く領民の視線」をこそ恐れたのだった。さて、このケースにおいて「主権者」は一体誰に該当するのだろう?
    戊辰戦争(1868年〜1869年)の一挿話としてこんな話がある。官軍と幕軍どちらにつくか領主が悩んでいると、地元最大手の庄屋が領民を代表して訪ねてきた。「もう官軍が随分直近まで迫ってる。そろそろ旗色鮮明にしちゃくれませんかね。こっちはこっちでやりにくくていけねぇや」。領主は「ああ、こりゃ下手に官軍に対して反旗を翻したら、確実に誰かから手土産代りに寝首を掻かれるわ」と覚悟を決め、官軍に帰順を申し出たという。ちなみに英国の「領民」もふてぶてしさでは日本と五十歩百だったとされている。

種明かししちゃうと、そもそも「日本においては既に、律令体制下で公地公民の精神が根付いていたから」という話になってくる様です。要するに日本全国に古墳や国分寺 / 国分尼寺が築造され、東大寺盧遮那仏像が建立されてきたプロセスそのものが重要な準備段階となっていたのですね。

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