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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

本当は恐ろしい国民国家形成過程② 「探検ロマン」を巡るナショナリズムと反ナショナリズム

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かつて「探検ロマン」が国民国家形成の重要な柱の一つとなった時代というのがありました。国際的海図作成合戦、19世紀ユーラシア大陸を舞台にイギリスとロシアが繰り広げたThe Great Game、そしてアメリカのフロンティア消滅宣言(1890年)…
グレート・ゲーム - Wikipedia
フロンティア/フロンティアの消滅

*ここで何かと名前の挙がる「白人の使命」提唱者にして「(ジョージ・オーウェルいうところの)イギリス帝国主義の伝道者」ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年〜1936年) は「ジャングル・ブック(The Jungle Book、1894年)」「続ジャングル・ブック(The Second Jungle Book、1895年)」の作者でもある。


ジュール・ヴェルヌ「気球に乗って五週間(Cinq semaines en ballon、1863年)」が発表された当時は「詳細不明の暗黒大陸」として描かれた地域もアフリカ分割(1880年代〜1912年)によって消滅。

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それまで白人の侵入を拒んできた風土病を細菌学や衛生学の発展が克服した結果とも。

アフリカ分割 - Wikipedia

*最大の皮肉は「奴隷貿易廃止」による現地諸王朝の急速な経済的衰退が政治的衰退(強大な中央集権勢力が消滅し、各個撃破の容易な小勢力に分裂)を招いたからこそそうした展開が可能となったという恐るべき現実。国民国家なるもの奴隷制と決して相容れず、米国南北戦争(American Civil War、1861年〜1865年)もそうした流れの一環として発生している。

こうして「前人未到の地」は次第に「そもそも人間の侵入そのものを拒む過酷な極地」に絞られていく展開となったのでした。

北欧諸国においては19世紀後半から20世紀初頭にかけて産業革命導入による漁業革命(新しい漁法、冷蔵や缶詰製造の技術などの伝来)や探検ブームの到来によって対抗意識が芽生えると、自然に各国で国民意識の形成が進行していった。
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例えばノルウェー出身の探検家アムンセン(Roald Engelbregt Gravning Amundsen、1872年〜1928年)はイギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日に探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たしている。
本多勝一「アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける(1986年)」

こうした流れが夢枕獏神々の山嶺(1994年〜1997年)」に描かれたエベレスト登山競争の世界や 映画「ライトスタッフ(The Right Stuff、1983年)」に描かれた宇宙開発競争へとつながっていくのです。

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本当は恐ろしい国民国家形成過程①「バルト帝国」の没落開始と「帝政ロシア」の誕生

ベネディクト・アンダーソンの提示した「民衆ナショナリズム対公定ナショナリズム」の図式に例外が多いのはこれまでの投稿でもしてきましたが、中でも際立っているのは北欧における諸例。

  • かつて「北欧の獅子」スウェーデン王グスタフ2世アドルフ (英雄グスタフ・アドルフは「ゴート起源説」を引き下げ、フランスを誘って三十年戦争(1618~1648年)への乱入を果たした。これは「公定ナショナリズム」に分類可能なの?
    *ゴート起源説…ヨハンネス・マグヌス「ゴート人達とスウェーデン王国の歴史(1555年)」編纂中に創作されたスウェーデン王国建国神話。その起源をゲルマン民族大移動時代のゴート人やヴァンダル人にまで遡り、スウェーデンバルト海支配を正当化する内容だが、王統ヴァーサ家がポーランド・リトアニア共和国の国王選挙に進出する様になると封印される展開に。
    ゴート起源説 - Wikipedia

    http://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-52-06/haguregumo_39/folder/449189/05/9908105/img_0

  • 19世紀後半になると北欧諸王が団結して「汎スカンディナヴィア主義」を熱狂的に扇動。ドイツ語圏の「汎ゲルマン主義」や帝政ロシアの「汎スラブ主義」に対抗する為だったが、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(1864年)でデンマークオーストリアプロイセンの連合軍に大敗を喫すると自然消滅。これは「公定ナショナリズム」に分類可能なの?
    *元々各国の国民の間では「勢力対立を煽る」と不評だった。あくまでその背景にあったのは民衆ナショナリズムなどではなく「欧州王族間のつまらない意地の張り合いに巻き込まれるのを嫌う」中立主義だった。
    汎スカンディナヴィア主義 - Wikipedia

    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Skandinavism.jpg

  • そして産業革命導入による漁業革命(新しい漁法、冷蔵や缶詰製造の技術などの伝来)や探検ブームの到来によって対抗意識が芽生えると、自然に各国で国民意識の形成が進行していく。
    ノルウェー出身の探検家アムンセン(Roald Engelbregt Gravning Amundsen、1872年〜1928年)はイギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日に探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たしている。

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    *その一方で当時の北欧君主達は「君臣一如」の体裁を貫く為、あえて「立憲君主化=象徴化」を甘んじて需要していく。その一方でドイツ帝国臣民達は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(Wilhelm II., 在位1888年〜1918年)の暴走をどうしても食い止められなくて第一次世界大戦(1914年〜1918年)の遠因の一つを生み出してしまう。
  • 第一次世界大戦(1914年〜1915年)期には再び汎スカンディナヴィア主義が再燃し、三国協調を武器に中立を保ったが、戦乱の余波に乗じてアイスランドフィンランドが独立を達成。
    北欧史 - Wikipedia

    1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発すると北欧諸国は直ちに中立を表明。相互の安全のために強調しようとする機運が高まり、汎スカンディナヴィア主義が再び台頭した。

    • スウェーデンのグスタフ5世はこうした世論をいち早く察知し、同年12月、デンマークノルウェーに働きかけてマルメにおいて三国国王会議を実施。特に大戦による貿易の不振は各国の経済状況を著しく脅かしたので、これを解消すべく積極的な相互援助を行うことで合意した。
      スカンジナビア協議会…1914年、スウェーデンのマルメーで第1回が開催された。
    • こうした三国間の共同歩調の成果もあって前半期は比較的安定した状況が続いていたが、後半期になると連合国の海上封鎖強化などが影響し、食糧事情の悪化が次第に深刻化。穀物取引の政府経営や主要食料品の配給制といった対策が取られたが、行き詰まりは隠せず、国内情勢が不安定化していく。

    • デンマークヴァージン諸島をアメリカに割譲するなどして財政の窮状を凌いでいたが、これに乗じてアイスランドの独立問題が勃発。左派勢力を抑えきることが出来ないまま1918年、アイスランドの独立が承認されるに至った。また同年、ロシアの混乱に乗じてフィンランドが独立宣言を行っている。
      *何とか「主権・国民・国境」の三拍子を揃えた国民国家(Nation state)にとって、ナショナリズム(Nationarism=民族主義)が時として恐るべき分離主義運動に変貌してしまう一例。

    とはいえ、直接的な戦災は免れた為、その後の復興も迅速であった。

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ベネディクト・アンダーソンも欧州王族の大半が「外国人王朝」である事自体はちゃんと意識しているのですが、その血縁関係と公式プロパガンダナショナリズム高揚の為というより「外国との戦争の口実」に使われてきた歴史、そうした振る舞いに対する国民の醒めた視線についてはあまり自覚的でない様です。

*英国にも似た様な対立図式なら存在する。そして、それ故に1714年から1837年にかけてハノーヴァー公国との同君状態にあった英国王統サクス=コバーグ=ゴータ家(House of Saxe-Coburg-Gotha)は、立憲君主化とウィンザー家(House of Windsor)への改名を受容せざるを得なくなる展開に。戦前日本で憲法学者美濃部達吉らが提唱して社会問題に発展した天皇機関説について、とある皇族が「日本の皇統は中華王朝や欧州王朝のそれみたいな交換部品じゃないんで「機関」じゃなく「器官」と呼んでくれたら嬉しいな」とコメントしたという逸話がある。中国にも「秦の始皇帝ユダヤ人説」とかあるけど、それは「公定ナショナリズム」というより「ムー系」に分類される話だったりする。
ウィンザー朝 - Wikipedia

そして、こうした動きの後背には常に「帝政ロシア」の影が差してきたのでした。そしてベネディクト・アンダーソンによれば、この国こそオーストリア=ハプスブルグ家と双璧を為す「公定ナショナリズム震源地」という事になるのですが…

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「民主主義の敵」としてのスティーブ・ジョブズ

田中芳樹銀河英雄伝説(1082年〜2009年)」に「皇帝ラインハルトが名君だからこそ、彼は民主主義の最大の敵なんだ」なんて台詞がありました。

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  • 「家父長制」や「家母長制」みたいな時代遅れの枠組みを取っ払っても残る「家長」イメージ。

  • 「はい、ここは楽園です」と復唱させる傲慢な独裁者のイメージ。

もしかしたら、この両タイプを合算したのがスティーブ・ジョブズだったのかも。すると、彼もまた「民主主義の敵」だったのでしょうか?

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ナショナリズムの歴史外伝② 「個人主義」は「総力戦体制時代」をどう生き延びたのか?

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現代人の観点から振り返ると、いわゆる「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」の言説なるもの、それがどの国のものであっても迂闊に信用なりません。
*「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」…要するに第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発から、欧州の経済規模がその直前の「ベル・エポック(Belle Époque)」と呼ばれる黄金期のレベルにまで復興した1970年代にかけての「人類全体が余裕をなくし、国民国家単位でまとまって無用な国際競争を繰り広げてきた」時代の事。

日本でいうとむしろその前夜、つまり大正時代(1912年〜1926年)における大杉栄与謝野晶子の言説がしっくりくるくらい。それ以降は「世界最終戦論」や全体主義が横行する「個人主義暗黒時代」に突入してしまいます。

与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓へ初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。
*ここでいう「戦後」はいうまでもなく「第一次世界大戦(1914年〜1918年)」後という意味。歴史のこの時点における第日本帝国は「戦勝国」側にあり、かつまたアメリカ同様その特需を甘受する立場にあった。

一方、米国においては1950年代より早くも個人主義復興の狼煙が上がり、1960年代後半にはヒッピー運動や黒人公民権運動が大きな盛り上がりを見せる展開に。こうした「長い1960年代」と呼ばれるムーブメントが、日本へも「再上陸」を果たします。

さて、ここで問題。日本の個人主義は総力戦体制時代を乗り切る為、ほぼ一旦壊滅の憂き目を見ています。欧米社会はこの苦境を一体どういう形で乗り切ったのでしょうか?
*時はまさにチャーリー・チャップリンが「モダン・タイムズ(Modern Times、1936年)」を製作し、それによって「共産主義者(Communist)」のレッテルを貼られ、仕事を干されてしまった時期に該当する。程度の差こそあれ「総力戦体制時代=個人主義暗黒時代」への傾斜はどの国においても見られたのである。

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「日本型警備保障サービス」なる巨大隙間産業① 分岐点は「機械式警備」導入?

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これまでの投稿から次第に「国民国家にしか恒常的に提供不可能な)軍事力や警察力」の意味合いって「例外処理(Exeption Handring)」の一種として規定可能じゃないかと考える様になってきました。

完全な秩序崩壊状態下ではもはやそれに頼るしかないのですが、市民社会が余裕を持てる様になると次第に他の選択肢も現れてくる…当然ナショナリズムの望ましい持ち方も、それに合わせて変化していく…そもそも「国民国家」成立以前の世界はどう回っていたかというと…
*欧州史だと「鎧で踏ん張る衝撃槍騎兵の密集突撃全盛期=十字軍 / 大開拓時代(11世紀〜13世紀)」なんてややこしい時代が挟まってたりするけど、ここではとりあえず置く。軍事・治安維持サービス甘受の代償が「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的伝統」の需要だった恐るべき時代…さらにそれ以前の時代に遡ろうとしても蛮族やヴァイキング(北方諸族の略奪遠征)の流入に歯止めが効かず、既存秩序の拠点が「ザクセン辺境伯神聖ローマ帝国皇統)」「パリ辺境伯(フランス国王の先祖筋)」「ウェセックス王国イングランド国王の先祖筋)」くらいしか残ってなかった「建築史上の暗黒時代(9世紀〜10世紀)」の厚い壁に阻まれてしまうのみという…

  • 空海は「華厳経(4世紀頃、中央アジア(西域)で成立)」について「顕教の最高峰だが、そこに辿り着く方法が示されてない(その為の密教である)」というスタンスをとっていた。
    空海と真言密教

  • 「華厳教学」の世界観のモデルは、おそらく当時中央アジア(西域)に割拠していた多民族帝国あたり。それは原則として「その時最も有力な騎馬民族がその武力を背景に交通の安全を保証し、交易を栄させてアガリを掠める」シンプル極まりないシステムで、長らく「最初から完成形で別に発展の余地などない」と考えられてきた。
    *今日なお地域によっては「テュルク(支配階層たる軍事貴族。しばしば交代する。概ねトルコ系遊牧民)とタジーク(地方行政を官僚供給を担う定住民。概ねイラン系で不変)の二重支配状態」の痕跡が残ってるくらいで、古代よりずっとこの状態が保たれてきたと目されています。

  • 16世紀以降、次第にこうした前近代的体制は「多数の火器を装備した常備軍を擁する主権国家間の協調体制」に駆逐されていく。その一方で欧米世界は最終的に所謂「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」を迎える展開に。
    *おそらく前世代最後の多民族帝国がモンゴル帝国(1206年〜1634年)やティムール帝国(1370年〜1507年)、新世代最初の多民族帝国が(兵制を改めて以降の)オスマン帝国(1299年〜1922年)やサファヴィー朝(1501年〜1736年)、そしてムガール帝国(1526年〜1858年)といった位置付け。

そしてまさにこの「総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)」の終わり頃より、当時騎馬民族が多民族帝国で果たしていた様な「(国家の軍隊や警察に拠らない)現地活動を安定させる為の治安維持任務」が、現代社会にふさわしい(すなわち国民国家の軍隊や警察の守備範囲を超えた範囲をフォローする)サービス産業として蘇る展開に。しかもそれは貪欲に最先端技術を取り入れ続け、前人未到の領域に踏み込む展開となったのです。かくして一般に「民間警備保障会社」と呼ばれる隙間産業の歴史は始まったのでした。

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【ネタバレあり】「ひるね姫」観てきました④ 実は「娘に対する父親の復讐譚」?

そんな解釈があったとは…

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ナショナリズムの歴史外伝① 思わぬ人物がフランス料理を絶賛?【フランス大統領選】

これまでフランス料理について褒めてる様な貶してる様な微妙にアンビバレントな立場を貫いてきました。 

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その一方で、思わぬ人物がこれを絶賛してて吃驚。

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