- 一般的解釈では米津玄師のメジャーデビューは東京メトロのCMソングとなった「アイネクライネ」から?
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そういえば電気グルーヴやゆらゆら帝国と違って、この人については「薬への依存」を心配した事がない。魔術的リアリズム文学の始祖とされるエンルスト・ユンガー同様「現実を生きる実存不安に対峙する際に如何なるアシストも恥として退ける求道者タイプ」に見えたから。実際「ボカロPからの卒業」には、そういう心境的背景もあったらしい。
国家間の競争が最優先課題と目された総動員体制時代(1910年代後半〜1970年代)を経て、マスコミや企業がこうした体制の後継者になろうと試みた産業至上主義時代(1960年代〜?)も過ぎ、今やこんな時代に…
私が普段見てるビジネス系のネット世界はなぜか集団の熱狂が称揚されてますが、あいみょんや米津玄師といった個人の内面を突き詰めて世界との接点を探る高品質の表現が、いまは若者中心に圧倒的な「マス」なんですよね。ここを見誤っておっさん視点のニッチにはまらないようにしなくては。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
だって米津玄師の「Lemon」はYoutubeで2.9億回再生ですからね。人気ドラマとのタイアップあったとはいえ、これだけ内面的で祈りのような音楽が大きな支持を得ていることの意味は深い。そして、これはツイッター経由でお会いする20代の方達への私の信頼と繋がる感覚です。みな自分の言葉を持っている。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
私も含めておっさん達が昭和の「遺物」的価値観を巡ってあーだこーだ言っている間に、若者たちは真摯に世界と自分自身を見つめて新しいものを作り出していく。私も自分に向かい合って、誠実に良いものを作りたいなと思います。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
20世紀中は意外と「それぞれの個人が、それぞれなりに真摯に世界と自分自身を見つめて自らの進む道を選ぶ」発想の成立自体が難しかったのです。それで端境期には「オウム真理教のサリン散布事件(1994年〜1995年)」なんてのも起こる展開に…
私は昔から「集団的熱狂」が本当に苦手で、少しでもそういう雰囲気が出てくるとそこから立ち去りたくなる。それより、自分の心の「地下室」に降りていって、「地下道」を通じて思いがけず誰かと繋がる方が好みです。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
特に日本で集団が熱狂した時に、いつのまにかそこに階層関係やよくわからないお作法ができはじめて、みんなそれに従属して個人として自由に発言できなくなる感じが本当に苦手。個人より場の「空気」を守ることが尊重されるんですよね。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
私も「個々人」の熱狂や情熱というのは大切だと思うんですよね。それらが人生を前に進めてくれる。でも、その熱狂を「集団や権威」に簡単に明け渡すことはすごく危険だと、過去の日本の歴史を踏まえても思う。自立した個人が熱狂を通じて「対等に」繋がり合う世界をいつも望んでます。
— とくさん (@nori76) February 9, 2019
その一方で「21世紀の産業至上主義」は、こうした展開も折り込み済みでまた独特の新しい進化を遂げつつある…