どう見てもその大源流の一つは、19世紀後半のフランス有識者が没頭した「皇帝ナポレオン三世を許さない」運動…しかも彼らの「絶対悪への怒り」は皇帝退位後も収まらず「(普仏戦争で彼を討ち取り、莫大な戦争補償金を要求してきた)絶対悪ドイツ人への憎悪転嫁」として持ち越され、その結果…
…かかる盲目的憎悪の連鎖はドイツに感染。最終的にNSDAP(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国家社会主義ドイツ労働者党)の勝利を後押ししてしまう結果に終わったのでした。
安倍総理がいちえふ訪問したり、福島でおにぎりを食べながら選挙の第一声はパフォーマンス要素も強いのだろうけれど。
— 林 智裕 (@NonbeeKaeruchan) April 15, 2019
では野党はそれに対抗して何をしているかといえば、福島への風評や偏見を拡散させるようなことばかり。
みすみす『「アベ政治」より許せない』存在になりにいってどうするんだと。 https://t.co/IbCAxRIQZV
「やらない善よりやる偽善」とはよく言われるけど、そこで「やる悪」狙うのはナナメ上過ぎると思うけど。
— 林 智裕 (@NonbeeKaeruchan) April 15, 2019
どうも野党は各種パフォーマンスは得意なんだろうから、安倍総理を超えるパフォーマンスやればいいのに。
少なくとも「食べて応援は自殺行為」なんてチラシの言い訳をしてる場合じゃないよね。
もっとも、「福島への偏見を愉しんでいる層」「さまざまな理由で事実や正しい情報を『受け入れられない』層」などからの支持をメインとして狙っているからこうなるのだ、とすれば戦略としては「正しい」のだろうけれど。
— 林 智裕 (@NonbeeKaeruchan) April 15, 2019
そういう人たちからしか支持をアテにできないのだとすれば、哀しくないですか?
たとえば、「立憲民主党から公認として立候補予定」の方のツイートを見るとこんな感じですからね。https://t.co/wlU5WQqw8R
— 林 智裕 (@NonbeeKaeruchan) April 15, 2019
わざわざ安倍総理以上の悪役ポジション狙いにいかなくてもいいと思うのだけどね。
自らもユダヤ系オーストリア人としてナチスドイツの迫害を経験したピーター・ドラッカーが「(集団的合意の最大化を優先するあまり)気に入らない相手を手段を選ばず熱狂的に叩く一方(その「ええとこどり優先主義」ゆえに様々な形で破綻していく)自らの側への言及は一切許さない」のがナチスの典型的やり口だったとし、この態度をこそ絶対悪として弾劾している事を忘れてはなりません。
要するに「(ピーター・ドラッカーも当事者として体験した)フクシマへの不安を駆り立てて政権を獲得した者は、やがて必ず福島県民へのホロコーストに着手する」道理…
最近になって古代中世の「政治」が、祭儀中心であったことの理由が解るようになってきた。なるほど人の社会で最も大切なのは、人々それぞれの怨念妄念を鎮めることだわ。
— まとめ管理人 (@1059kanri) April 22, 2019
「祭儀」は、支配される人たちを納得させるための「装置」なんです。
— よしぼう (@bafkm) April 22, 2019
また支配される側も、その社会の安定のためそれを求めていたとも言えるでしょうね
— まとめ管理人 (@1059kanri) April 22, 2019
21世紀には改めてこういうファクターが再浮上してくるのかもしれません。