ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体(Imagined Communities、1983年)」
人種主義の夢の起源は、国民の観念にではなく、実際には、階級イデオロギー、とりわけ支配者の神性の主張と貴族の「青い」血、「白い」血、そして「育ち」のなかにある。とすれば、この近代的人種主義の種馬とされるのがそこいらのプチブル・ナショナリストではなく、ゴビノー伯ヨゼフ・アルチュールであってとしても別に驚くにはあたるまい。そしてまた全体として、人種主義と反ユダヤ主義は、国民的境界線を越えてではなく、その内側で現れる。別言すれば、それは、外国との戦争を正当化するよりも、国内的抑圧と支配を正当化する。
こういう指摘には気をつけて当たらないといけません。こんな指摘もあるからです。
長谷川一年「アルチュール・ド・ゴビノーの人種哲学」
反ユダヤ主義研究の泰斗レオン・ポリアコフは人種に関して科学的に考察しようとした時に生じる「自己検閲(オート・サンシュール)」について、こう述べている。「あたかも人種主義者である事を恥じたり、恐れたりするあまり、西欧がかつて人種主義者であった事を認めようとせずに、たいした事のない人物(ゴビノー、H.チェンバレンなど)に悪を肩代わりさせるように、すべてははこんでいる」。
この自己検閲は、人種主義の全責任をドイツに転化する事によって完璧なものになる。西欧思想の内奥に巣食う人種主義の腫瘍を摘出することこそが問題なのにも関わらず、有象無象の「人種主義者」を断罪し、彼らを西洋思想史の本流からの逸脱、ドイツにおける例外的な事例として処理する事で、全て落着したかの様に安堵している訳だ。
そもそもゴビノー伯ヨゼフ・アルチュールなる人物、本当にそんな怪物めいた大物だったのでしょうか?
続きを読む