米国の政治学者ベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体(Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism、1983年)」の冒頭でこう述べています。
わたしの理論的出発点は、ナショナリティ、あるいはこの言葉が多義的であることからすれば、国民を構成することと言ってもよいが、それがナショナリズム(国民主義)と共に、特殊な文化的人造物であるということである…
ナショナリティ、ナショナリズムといった人造物は、個々別々の歴史的諸力が複雑に『交叉』するなかで、18世紀末にいたっておのずと蒸留されて創り出され、しかし、ひとたび創り出されると「モジュール(規格化され独自の機能をもつ交換可能な構成要素)」となって、多かれ少なかれ自覚的に、きわめて多様な社会的土壌に移植できるようになり、こうして、これまたきわめて多様な、政治的、イデオロギー的パターンと合体し、またこれに合体されていったのだと。
そしてまた、この文化的人造物が、これほど深い愛着を人々に引き起こしてきたのはなぜか、これが以下においてわたしの論じたいと思うことである。
さらに興味深いのは出版資本主義(Print Capital)との関連で「フランス革命が実際にどうであったかとは無関係に、それへの言及の積み重ねが目指すべき新たな目標設定を可能とした」と述べてる点。
国民国家が最初に形成されたのが18世紀後半の北米大陸とフランスであったことはいうまでもない。そこでは市民に主導された革命過程が、多くの一つ一つは孤立した事件を伴いながら、ジグザグコースをとってあらたな国家をつくりだした。
しかしこの様にして国家が誕生したのはそこまでだった。これ以降はこの二つの市民革命の過程が明確な筋書きをもつ物語として語られ、理想化され、その結果として「国民国家モデル」が出来上がると、このモデルが支配者にとっても、被支配者にとっても、達成すべき普遍的な価値、いわゆるグローバル・スタンダードとして強圧的な影響力を有する様になった。
そういえば、Wikipediaにおける「市民革命」の項目なんて、中々見応えがあります。
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