江戸時代には「赤いもの」が天然痘避けになるという信仰が流行。達磨が赤いのも、赤べこが赤いのも、獅子舞の獅子の頭が赤いのもこれに由来します。
「べこ」は東北地方の方言で牛のこと。福島県会津若松市でつくられる。
大同2年(807年)河沼郡柳津(やないづ)町の福満虚空蔵(こくうぞう)堂建立の際、それに協力した赤牛の伝説が玩具のおこり。
その後、岩代(いわしろ)地方(同県西部)に悪性の疱瘡(天然痘)が流行したとき、この赤い色の玩具を病児に贈ったところ快癒したといわれ、疱瘡除けのまじないや子育ての縁起物に用いられてきた。
続きを読む16世紀初頭、伊勢の国(三重県)で飢饉や疫病除けに獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞ったのが発祥と言われている。
その後、17世紀に伊勢より江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で獅子舞が行われるようになった。
獅子舞が日本の各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期に伊勢大神楽の伊勢派・熱田派が獅子舞を舞いながら、全国を業脚し悪魔払いをしたのがきっかけであると言われている。
一方、関東・東北地方に主に分布する風流系獅子舞の源流とされる甘楽町秋畑の伝承では「獅子はインドで人を食べて生きていたが、インドに人間が少なくなってきたので大和の国に行こうとしたところ、それを察知した日本の神が狐を天竺の権田河原に遣わし、獅子に「大和では人を食べる代わりに悪魔を退治すれば食べ物を与えられ、悪魔祓いの神としてあがめられるだろう」と諭し、狐が先導役になって日本にやってきた」とされる。演じられる際に狐役が獅子舞を先導することから、この系統の獅子舞は稲荷流と呼ばれるようになった。