諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】1970年代後半から1980年代後半にかけての「光と陰の交錯」

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1970年代末から1980年代前半にかけては思わぬ形で光(メジャー界)と影(カルト界)の交錯が見られたものです。日本だとStar Warsが流行しDiscoがトレンドとなる一方で「JUNE」が1978年、「月刊ムー」が1079年に創刊。そして国際的にはデビッド・ボウイやデビッド・シルビアンら「耽美系カリスマ」が次々とメジャー・デビューを果たします。

そういう時期に海外で相応の人気を博したのがボコーダーをフィーチャーしたこの曲。

詳細は不明ながら「ニューロマンティック音楽の生みの親」スティーヴ・ストレンジがヴィサージ(Visage)を結成する以前からのレパートリーだった模様です。

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アートと漫画の違いとは③ 「魔女の宅急便 青春編」はここが駄目?

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色々いわれているタツノコプロ制作「魔女の宅急便 青春編」…

コンセプト的には 「これまで誰も見たことがないパラレルワールド」を目指したとの事ですが「ただのコスプレ演劇」なる辛辣な意見も。

 果たしてどうしてここまで違和感が生じてしまったのでしょう?

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【雑想】「ゾンビ映画の父」G・ロメロ氏死去

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ちなみに以下、グロ注意。

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アートと漫画の違いとは② 「制御不能状態へのアンビバレントな感情」の象徴としての猫

なぜかGoogleで日本語の「アート」を検索すると上位に出てくる画像。とどのつまり「反体制」こそがアートの真髄?
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*こうした流れの系譜が欧米の無政府主義アートに端を発する事はいうまでもない。

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一方、英語の「My Brothers Hasband(弟の夫)」で検索すると永田カビ「My Lesbian Experience with Loneliness(さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ)」がセットで引っ掛かってきたりします。

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そういえば高橋留美子らんま1/2(Ranma 1/2、1987年〜1996年)」や志村貴子放浪息子(2002年〜2013年)」や東村アキコ海月姫(2008年〜)」を筆頭に「LGBTQ入門編」なるジャンル、ほぼ国際的に日本人漫画家の独占状態にあったりするのです。

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*こうした作品群に共通する特徴は「正当な権利に基づく激烈な抗争を経て何かを勝ち取る」英雄譚の真逆のアプローチ、すなわち「何が正しいか当人も分かってない(しばしば不安まみれの)試行錯誤の結果、一定の境地に辿り着く」展開が共感を呼んでいる辺り。「自分にとって何が正しいかは自分で決めるしかなく、その判断結果についてのみ責任を負えばいい」といった当たり前の事が自然体で描かれているだけなのが、それがかえって新鮮と受け止められた。上掲の日本漫画はまさにそうした形で歴史ある欧米文化の後背を奇襲する事に成功したといえる。

*日本では最近「若者の中二病離れ」が指摘されているが、そもそも「大人に補足されるのを恐るあまり、アンドロメダ病原体の如く予想外の変遷を遂げ続ける」のが若者文化。特に国際SNS上の関心空間上の女子アカウントの間で継承されてきた「(ハリーポッターの)トム・リドルは私」「(劇場販新編の)暁美ほむらは私」「(シン・ゴジラの)鎌田君は私」「(ファンタステック・ビーストの)オブスキュラスは私」と連呼する伝統は確実にその延長線上に現れた?

*それにつけても国際SNS上の関心空間の女子アカウントが「弟の夫」の場面の中で一番喜んで回覧してるのが「熊さんが容赦無く熊さんを食べた」場面だというのが何とも…とにかく「可愛いものと猟奇の組み合わせ」は見逃さない?

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*「肉を口にする者は全て潜在的殺人者」なる極論を含め、そもそもアートの世界は常に「他の動物を食べて存続する動物」としての人間の在り方についてのイメージから重要な掲示を与えられてきた。「中二病問題」もまた遡っていくとその領域まで辿り着く。

そもそも「アート」とは誰かがそう認定する事によって成立するもの。そして誰が何をそう認定してきたかについて確かめるには、まずその制作環境の変遷史を正確に掌握しなければなりません。

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アートと漫画の違いとは① 田亀源五郎「弟の夫」完結。

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田亀源五郎「弟の夫(2014年〜2017年)」完結。

インタビューで出てくる「ディズニーランドでの同性婚」は「片方がタキシードを着る事」なる圧力を跳ね除けて実現したもので、国際的にも物凄く話題となりました。むしろ日本で全然報道されなかった事の方が驚きだったとも。

田亀源五郎は日本ではただ単に「ゲイ・アート作家」と言われる事が多いですが、海外においては「SM」「熊系」といった付加属性をつけて語られる事が多いです。

田亀源五郎は、並んでいるファン一人ずつに、同じ絵を描いていく。小さなクマの絵だ。かわいいクマなのだが、ここには裏のメッセージが込められている。この漫画家は「熊系」(体毛の濃い男性を好むゲイコミュニティ)のカルチャーを作り出した一人なのだ。アングレーム国際漫画祭ではお目にかかれない、この作家のもう一つのキャリア──すなわち「SMゲイポルノの作家」としての田亀源五郎への目配せである。

そして「熊系」といえば、忘れられないのが「X-MEN: フューチャー&パスト(X-Men: Days of Future Past、2014年)」公開時における「ウルヴァリンのお尻がこんなにつるつるな筈がない」事件。

国際SNS上の関心空間における「女子」アカウント集団は原則として「(マイリトルポニー(My Little Pony、1984年〜)」とかを挑発的な形で弄る「ホモケモ」アカウントと対立気味の関係にあるのですが…おまいら何見て「ウルヴァリン(Wolverine)の尻はこうあらねばならぬ」というイメージを固めましたか?

*「話題にならなかった」といえば、紅白歌合戦で「前前前世」を歌ったRADWIMPSのメンズスカートも全然話題にならなかった。

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*そもそも、ここでいう「女子」なる表現が案外深い。

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【ドラゴンの歯】「反安倍主義」はナチス台頭の雌型?

ギリシャ神話に登場する重要アイテムの一つ「ドラゴンの歯(Dragon's teeth)」。大地に撒いて召喚する兵士達は、標的さえ定められれば死んでも死んでも新手が現れて戦い続けますが、それを見失うと互いに最後の一人まで殺し合って勝手に死に絶えてしまいます。日本の幕末でいうと水戸藩みたいなもの?

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最近では「安倍ヤメロ」運動にこの気配を感じていたのですが…

このパースペクティブから予想される「標的のロスト=最後の一人となるまで殺しあう内ゲバ状態への遷移」が、思うより早く起こってしまいそうなった気配が高まってます。こうなるともはや「とりま政権交代」どころじゃない?

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【雑想】実は「マイノリティは人道的に庇護されるべき」こそナチス論法?

そもそも「マイノリティ」の定義なんて、あくまで相対的なもの。

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  • ナチス・ドイツの最高指導者(Führer)ヒトラーは、故郷オーストリアにおける経験に基づいて「世界各国でドイツ移民がマイノリティとして迫害されている!!」と熱狂的に訴えかけ、それによってドイツ国民の義侠心を鷲掴みにした。

  • 中国共産党もしばしば同種の手口を用いてきた。全世界に張り巡らされた華僑ネットワークの庇護を口実とした各国の経済や政治への介入。「一帯一路(拼音Yídài yílù、英Belt and Road(B&R)/One Belt, One Road(OBOR)、2014年11月〜)」戦略もまた確実に「支援国に対する中国人のより大規模な形での組織的移民(棄民)と彼らの労働力および現地支配勢力としての活用」という側面を有している。それはある意味「大英帝国南アフリカ進出過程」そのものとも。

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    セシル・ローズ(1853年〜1902年) - Wikipedia

そう、このケースにおいては「宗主国は属国を好きにして良い」とする冊封史観や植民地主義と「マイノリティは庇護されるべき」とする人道主義が何ら矛盾する事なく共存しているのです。結局のところ背後に実存し続けてきたのは「少しでも自らの非を認めたら一族郎党まとめて滅ぼされるし、逆の立場に立てば躊躇なく滅ぼす」「勢力均衡状態のみがかかる悲劇を予防する」冷徹な大陸的覇権流儀のみ。その事自体の是非を問うても不毛なばかり。

そしてこうした過酷な世界観を当然の様に受け入れて生き延びてきた側からすれば、かかる「世界を実際に支配してきた現実」に疎い「半島国家」や「孤島国家」は「チョロいカモ」に過ぎないのかもしれません。

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