ある瞬間、ある一時代を切り取って、文化を論じるのは危険なのである。したがって、継続的に現地での価値観の変化に気をつけておくことが異文化を理解する上で欠かせない。
文化を「共有された行動規範」と端的に表現するのであれば、確かに外国の文化は異文化である。しかし、さらに視点を広げ、多様な価値観を前提とすれば、企業の内部においても各組織が独自の文化を保有していると表現できる。
価値の多様性を訴える社会的動きが、近年特に注目されるようになっている。その点、長年にわたり新卒一括採用という方式で男性中心に組成されてきたわが国の企業組織のほうが、多様性を排除しているという意味で特別な存在なのかもしれない。このような特徴を持つ組織がそもそも多様性を受け入れることは難しい。例えば、都市銀行が合併してメガバンクとなる場合、同じ業種で同じ業務でありながら用語が違うという。仕事をスムーズにするためには、共通の用語集を作らないと行内でのコミュニケーションが成立しないというほど、独自の言語、文化の中で閉じているのである。
他方、日常的に多様性を当然のこととして動いている組織にとっては、異文化の理解はそれほど難しくない。相手は自分とは違う視点、考え方を持っていることが前提で、業務が遂行されることになるので、日常的に丁寧なコミュニケーションが必要となるからだ。
これはこれで相応に釣り合い(Balance)のとれた思考様式。それに比べると以下の様な発想は極端過ぎるとも見て取れるのですが…
グローバリゼーション
— ZIPANGALAPAGOS (@invisible_jp) 2017年7月15日
=世界規模の資本蓄積にとって
障害になっている物理的国境および
規範上の国境を迂回し、切断し、
最終的には解体してしまうプロセス。
過激化するグローバリズムが私たち庶民を壊す。#ガラパゴス化こそ価値
全てが数値化/可視化され「社会を脅かす脅威」が「数値化/可視化されてない領域からの思わぬ影響」や「数値化/可視化のアルゴリズム自体に潜む誤謬」に集約していく時代にあって、既存社会の在り方をそれに必要な配慮を欠く形で変革しようとするイデオロギーが危険視される展開を迎える事自体には、ある意味歴史的必然が伴う様です。
そして、ここでいう「既存社会の在り方をそれに必要な配慮を欠く形で変革しようとするイデオロギー」は(全てを単一基準に基づいて適正化しようとする)進歩主義と(伝統的「個別的なるものへの執着心」の延長線上において、そうした動きに掣肘を加えようとする)保守主義の双方に跨る概念だったりするから厄介なのです。
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