一応はこちらのメモ投稿の続き。
ふと思い出したのが「魔女狩り」の実態が、その全体像を俯瞰すると「自然法に従う伝統を継続して自立する地方共同体の自裁能力が限界に到達したのを契機に、国家に誓うインテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層がその破壊によって中央集権体制を末端まで浸透させた」といった内容にまとめられる事。
それではそもそもその共同体に「自裁機能」自体が存在しなかったら?
おぎの議員と田川氏の流れ、田舎じゃたまによくある「たとえデマでも騒ぐことで問題を大きくすることで、大元の当事者の責任を強く問う」というメソッドを感じる。そうなると、周りから「オウ、これから○○さんとこにサカヅキ持ってくぞ」として、強制的な手打ちイベントが起こる。
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2021年10月3日
で、宴席開いて、一度無理やりでも手打ちとしてしまえば、その後に騒ぐと「メンツを潰した」ことになるからその後に言い出せなくなるという、問題がより複雑化するというオチに。「問題が解決したかしないか」よりも、顔薬のメンツというすり替えが起こる。(たとえ両者が納得しなくとも構わない)
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2021年10月3日
それは共同体に「これで手打ち」という共通認識があればこそで、
— 赤木智弘@おとなブロイラー (@T_akagi) 2021年10月3日
彼らやその周辺にはそれがないので、
行くところまで行きかねないですね
そうなると思いますよ。そもそも手打ちを言い出す人や、それを司れる人もいませんし。周りも従いそうにないので。
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2021年10月3日
でもそういう問題解決をするための文化資本がなかったら、法のもとで白黒つけるしかないですよね。
— Sunao amano (@sunamn) 2021年10月3日
そうなると「警察呼ぶなんておかしなことしちゃったよね?」とか「弁護士呼ぶなんて酷い!」として、こっちが悪くなるとか態度を硬直化させるというフェイズとなります。
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2021年10月3日
警察「民事不介入ですので」が一番よく聞くな。
— Sunao amano (@sunamn) 2021年10月3日
警察としても法の問題じゃないので如何ともし難いでしょうね。だからこそ被害者側はマスコミ側にバラしてもらうハイコンテクスト戦術しか対抗できないわけですし。
— 如月 宗一郎 (@S_kisaragi) 2021年10月3日
目的とか、落とし所があればどうにかできるけど、それがなかったら本当にどうしようもない。
— Sunao amano (@sunamn) 2021年10月3日
人間関係が狭かったら誰からも相手にされなくなるけど、いくらでも手札を補充できるような環境だとずっと続けることもできるかもしれない。
とりあえずメモがてら…