「映画の世界においては、技術革新の恩恵を真っ先に受けるのは怪奇映画」という定説があります。
- トーキー映画化…映画の都ハリウッド。既に1920年代からその傾向が見られた事から、トーキー化によってさらなる長編化・大作化が進行すると思いきや世界恐慌(1929年〜1941年)が到来。禁酒法(Prohibition、1920年〜1933年)が廃止となってギャング物やフラッパー・ガールの人気も低迷。そういう世相を尻目に、トーキー化によって迫力を増したユニバーサル・モンスターズ(Universal Monsters)やRKOの怪奇映画が漁夫の利を攫っていく。ただし1950年代に入り「地球の静止する日(The Day the Earth Stood Still、1951年)」や「宇宙戦争(The War of the Worlds、1953年)」などのSF特撮大作が登場して核戦争や怪獣や宇宙人の襲来をアピールする様になると次第にフェイドアウト。
- カラー映画化…ハリウッドの映画界はカラー化に伴うコストアップの問題に頭を悩ませていた。そこで処方箋として台頭してきたのが「外国への外注」。かくして英国ハマープロの怪奇映画と日本の特撮怪獣映画が台頭してくる事に。ただし1970年代に入ると黒人映画やカンフー映画などに完敗。
- SFX技術の進化…1970年代後半、米国の映画大手配給会社は、何を公開しても売れない状況に頭を悩ませていた。その突破口となったのは「スターウォーズ(Star wars 1977年)」や「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind、1977年)」といったB級色皆無の「SF特撮大作」への回帰だった。
まぁ「光あるところに影もある」だったりもする訳ですが。
どうも人間の心というのは貧すると「ロマン主義者(自分の欲求に忠実で、他人など一切視野になく、欲しいものが出来たら手段を選ばず獲得しようとする)」 に不寛容となる傾向が見られる様です。
ユニバーサル映画の怪物達も前世紀的ロマン主義者の形骸を留めているのは1930年代中旬まで。以降は急速に我々の見知った姿へと変貌を遂げていきます。すなわち「気取ってはいるが、案外隙だらけで恐るに足らないドラキュラ伯爵」とか「常に自らの罪に恐れ慄き続けている狼男」とか「主人に絶対服従を誓う「怪物」やミイラ男」とか。「人間が自らの怪物性(あるいはそれを想起させる全て)から目を背けずにはいられなくなった時期」ともいえるかもしれません。ただ「科学への情熱」とか「戦うべきときに戦う闘志」などは無碍に否定もできず、そこにロマン主義的側面が集約されて1950年代の「特撮襲来映画ブーム」につながっていくとも。
*アメリカにおいては「全く異質で絶対的な力を前にした時の人類の無力感」を極めようとしたラブクラフトのCosmic Horrorが「勧善懲悪の観点から予測可能な」オーガスト・ダーレス的クトゥルフ神話に再編され、フライシャー・スタジオのBetty Boopがフラッパー・ガールから勤労婦人へと変貌していった時代でもあった。そして何より古典的自由主義より社会的自由主義の方が優勢になっていく時代だったのである。
*そういう時代だからこそ逆に「大衆は小さな真実より大きな嘘を信じたがる」がモットーのフランク・キャプラ監督、あえて「大人も浸れるメルヘン」を追求したウォルト・ディズニー、どんなに過酷な環境下でも一人のロマン主義者であり続けようとするヒロインを描いた「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、原作1936年、映画化1939年)」が高く評価されたというアンビバレントな逆説も見て取れるのである。
ユニバーサル・モンスターズ(Universal Monsters)
アメリカのユニバーサル映画が製作したホラー映画に登場した怪人や怪物の総称。
「オペラの怪人(The Phantom of the Opera:1925年)」…当時怪奇男優として引っ張りだこだったロン・チェイニー主演のサイレント映画。登場人物を必要最低限に減らした点と結末が異なる点以外は、原作に比較的忠実な映画化。
- 怪人エリックが「音楽と奇術に明るい、脱獄した猟奇犯罪者」に設定が変更されている。これ以降の映画版ではいずれもエリックが火事や事故などで醜悪な人相になったなどと、その原因を様々にアレンジして描いているが、本作は原作通り生来の醜さで、性格俳優ロン・チェイニーが特殊メイクを施して『ドクロのような人相のおぞましい化物』という描写をほぼ忠実に再現しているのが特徴。またエリックがクリスティーヌに向ける愛も、やはり原作通り身勝手でストーカーまがいの狂気じみたものであり、ミュージカル版で顕著になった三角関係という解釈はまだなく、純粋な怪奇映画の体裁を持っている。
- この映画のオペラ座のセットは、1943年版他、多くの映画でも使用され、今もユニバーサルスタジオに残る、世界最古の現役映画セットである。サイレント映画だが、トーキー映画が誕生した1929年にはセリフとBGMを加えたトーキー版が公開された。
- オリジナルは 仮面舞踏会他いくつかの場面を 2原色テクニカラーで撮影したパートカラー作品。息を呑むほど美しい色彩が評判を呼んだが、アメリカでも当時はカラーフィルムが高価だった為、全編モノクロ版も公開された。日本ではモノクロ版のみ公開された。1970年~1980年頃の8ミリ映画ブームの頃、仮面舞踏会のみ復元されたパートカラー版が 8mmや16mmフィルムで販売され、日本でも輸入販売された。アメリカではパートカラー版(仮面舞踏会のみ)とモノクロ版のDVDが販売されているが、日本ではモノクロ版のDVDのみが販売されている。
「魔人ドラキュラ(Dracula:1931年)」…ハンガリー出身のベラ・ルゴシ主演。ブラム・ストーカー原作『ドラキュラ』の初の正規映画化作品。世界的にヒットし、戦前のホラー映画ブームを巻き起こした。ユニバーサルは怪奇メーカーとして名をはせ、ドラキュラ役で主演したベラ・ルゴシも世界に知られる怪奇スターとなった。オープニングにチャイコフスキーの白鳥の湖の序章が編曲されて使用されている。
*怪奇映画ファンのジョージ・ルーカスが最初「スターウォーズ(1977年)」のオープニングで「白鳥の湖」を流したがったのも、銀河皇帝がハンガリー訛りなのもこの映画の影響。
- 1897年に発表されたイギリスのブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』は、1920年代に同国で舞台作品としてロングランヒットを記録し、1927年にはアメリカのブロードウェイ公演でも大成功を収めた。
- これに目を付けたユニバーサル映画が当時急激に浸透していたトーキー作品として映画化を企画する。ドラキュラ役には「千の顔を持つ男」と称された当時高い人気を誇った怪優で、『London After Midnight』(1927年)で吸血鬼役(実際は吸血鬼に扮した刑事)を演じた経験のあるロン・チェイニーが内定、監督も同作のトッド・ブラウニングに決定した。しかしチェイニーは1930年に47歳の若さで急死してしまう。
- ユニバーサルはチェイニーの代役として、プロードウェイ版舞台でドラキュラを演じたハンガリー出身の俳優ベラ・ルゴシを起用した。ルゴシは俳優として長いキャリアを持っていたが、ハンガリー訛りが強く英語下手の為、アメリカでは大役に恵まれずにいたが東欧の住人であるドラキュラ伯爵は適役であった(ちなみに当時ベラ・ルゴシは英文が読めなかったため、代読させて台詞を丸暗記して撮影に臨んでいる)。当時49歳であったルゴシは以降ドラキュラ俳優として絶大な名声を得て、怪奇の大スターとなった。原作のドラキュラは冒頭のトランシルヴァニアのシーンこそ人前に現れるが、イギリスに渡ってからはほとんど影のような存在に変貌する。しかし本作でルゴシの演じたドラキュラは、イギリスに渡って後も夜会服を身に纏い、全編に渡って風格と妖気を見せ付け、貴族的な二枚目であり続ける。この新たなドラキュラ像が女性観客を呼び寄せ、そしてルゴシのハンガリー訛りが以降ドラキュラの代名詞となる。この後も彼は数多くのホラー映画に出演し、栄光と波乱に満ちた後半生を送る事となった。
- ドラキュラと対峙するヴァン・ヘルシング役にはルゴシと同じくブロードウェイで同役を演じたエドワード・ヴァン・スローンが起用された。スローンも好評で、この後「フランケンシュタイン(1931年)」「ミイラ再生(1932年)」等のユニパーサルホラーでヘルシングと同様に怪異と対峙する硬骨の学者役を演じ、本作の後継作である「女ドラキュラ(1936年)」でも再びヘルシングを演じている。
- 制作にあたってストーリー展開やドラキュラ像はほぼ舞台版が踏襲された(冒頭のドラキュラ城のシーンからしてクラシカルな雰囲気に満ちている為誤解され易いが、本作の時代設定は製作当時の現代であった1930年頃である)。完成した本作はスローなテンポで荘厳なゴシックホラーの世界を映像で再現、アメリカのみならず世界的にヒットし、ホラー映画のブームを巻き起こす大成功作となった。
- 本作と同時進行でスペイン語圏用に「魔人ドラキュラ スペイン語版(1931年)」が製作された。セリフやセットを共有しているが、キャストはラテン系の役者になっている。ドラキュラ役はカルロス・ヴィリャリアス。
「フランケンシュタイン(Frankenstein、1931年)」…主演コリン・クライブ、監督ジェイムズ・ホエール。世界的に大ヒットし、モンスター役を演じたボリス・カーロフもまた、怪奇スターとして世界にその名を知られた。
- 男爵家の嫡男である若き科学者ヘンリー・フランケンシュタイン(コリン・クライヴ)は、生命創造の研究に没頭しており、助手のフリッツと共に墓地から盗み出した死体を接合し、雷光の高圧電流を浴びせ新たな人間を創造するという実験を行う。
- その肉体には犯罪者の脳が埋め込まれてしまったため、凶暴な怪物が誕生してしまった。怪物は研究室から脱走し、村で無差別に殺人を犯す。怒れる村人たちに風車小屋に追い詰められた怪物は、燃え盛る小屋諸共崩れ去った。
「ミイラ再生(The Mummy、1932年)」…1921年に世界的な話題を呼んだツタンカーメン王墓の発掘を題材とした原作小説を持たないオリジナル作品。フランケンシュタイン・モンスターを演じて一躍怪奇スターとなったボリス・カーロフを主演に起用。『フランケンシュタイン』では厚いメイクで言葉をしゃべらない怪物役だったカーロフだったが、本作においては現代に蘇った古代の高僧を風格豊かに演じ、怪奇の大スターの地位を更に不動のものとした。また、『魔人ドラキュラ』でヴァン・ヘルシングを演じたエドワード・ヴァン・スローンが、ヘルシングとほぼ同様のオカルトの権威ミュラー博士として登場し、イムホテップと対峙する。
- 1921年のエジプト。大英博物館の遺跡調査団が古代の高僧イムホテプのミイラを発掘。しかしミイラは息を吹き返し、いずこかに姿を消してしまう(学者が好奇心を抑えられず、死者を甦らせる鍵となる「トトの書」を開封してしまったせい)。
- 1932年のエジプト。なかなか成果を上げられない大英博物館の遺跡調査団のキャンプを、謎のエジプト人が訪れる。その男は自ら見つけたという発掘品を提供、それを元に調査を行うと王女の墓が発見された。
- 実は謎のエジプト人の正体は変装したイムホテップだった。神に仕える高僧であった彼はファラオの娘たる巫女と道ならぬ恋に落ち、瀕死となった彼女の為に禁断の復活を用い様として阻止され、未来永劫輪廻転生出来ない呪いを掛けられた上に生き埋めにされてしまったのだった。そして復活すると、人を操る魔力を駆使し、かつての恋人の魂を継承した女性と改めて添い遂げようとする(つまり輪廻転生を同期させる為に一緒に死のうとする)。
「恐怖城ホワイト・ゾンビ(White Zombie1932年)」…ベラ・ルゴシ演じる傲慢なゾンビ・マスターが主役。本作に登場するゾンビは後年の映画に登場する生きる屍ではなく、彼に仮死状態にされた人間である。ゾンビマスターの命令に忠実で、人を襲うことも人肉を食らうこともない。したがって本作における恐怖はゾンビそのものに対するものではなく、ゾンビにされること(またはゾンビマスター)に対するものである。当時ハリウッドでは、『魔人ドラキュラ』、『フランケンシュタイン』などのホラー映画がブームとなっており、古典的モンスターに代わる新しい素材を渇望していた。それでインディペンデント系映画を製作するハルベリン兄弟は、シーブルックの著作にあるゾンビに着目し、ブロードウェイで上演されていた "Zombie" という演劇を元にして『恐怖城』を企画し「魔人ドラキュラ」のセットを流用する形で本作品を製作したのだった。それなりの興行成績を収めたハルベリン兄弟は、1936年に再びゾンビ映画”Revolt of the Zombies”を製作。これはカンボジア生まれのゾンビを絡めた単なるメロドラマだった。また「Ouanga(1935年)」「死霊が漂う孤島(1941年)」といった追随者を生み出した。
*1929年、アメリカの探検家、ジャーナリストであるウィリアム・シーブルック(William Buehler Seabrook 1884-1945)はハイチに渡り、その民間信仰であるブードゥー教の信者を取材して「The Magic Island」を発表。それによるとハイチにはゾンビと呼ばれる生きる屍が存在しており、それはブードゥー教の神官ボコールの呪術によって蘇った死体で、神官の命ずるまま奴隷のように使役されるという。この話は驚きを持って迎えられ、ゾンビはさまざまなメディアで取り上げられた。
- 新婚のニールとマデリーンは、旅行中に知り合ったボーマンという男に勧められ、結婚式を挙げるためにハイチを訪れる。ボーマンは、ハイチでプランテーションを営む大地主だった。ハイチに到着してボーマンの屋敷に向かう2人は、そこで奇妙な習俗や葬儀、そしてゾンビと呼ばれる気味の悪い集団に出くわす。ようやくたどりついたボーマンの屋敷には、先客の宣教師ブルーナー博士がいた。ブルーナーは2人に、ここには長居をしないように忠告する。
- ボーマンは、ブードゥー教の白人司祭であるルジャンドルの工場を訪れる。そこで働いていたのは全てルジャンドルに操られるゾンビであり、食事も休憩も取らずに働き続けているという。マデリーンに横恋慕していたボーマンは、ルジャンドルにマデリーンの誘拐と監禁を依頼する。ルジャンドルは、ボーマンにゾンビパウダーを手渡す。
- 結婚式当日、ボーマンはゾンビパウダーを使ってマデリーンを仮死状態にして自分のものにするが、ゾンビ化した彼女はボーマンに愛を向けることはなかった。ボーマンはルジャンドルに詰め寄るが、逆に自分がゾンビにされてしまう。ルジャンドルも、マデリーンの美しさに心を奪われたのだった。
- 事を知ったニールは、ブルーナーと共にルジャンドルの屋敷に向かう。しかし、ゾンビ化したマデリーンはゾンビマスターの命ずるままニールを殺そうとする。最後の良心をもってボーマンがルジャンドルを突き飛ばすと、そのまま2人は海に転落死し、マデリーンは元の心を取り戻したのだった。
「透明人間(The Invisible Man、1933年)」…H・G・ウェルズの同名のSF小説を原作にジェームズ・ホエールが監督。
- 物語は、顔を包帯で覆い、目を黒いサングラスで隠した奇妙な男が、サセックスのアイピング(Iping)という村の宿屋に泊まりに来るところから始まる。
- クォーター硬貨を置いていくこともせずに、従業員に自分を一人にするよう頼む。しかし、宿屋の主人(フォレスター・ハーヴェイ)と半分ヒステリックになっている妻(ウナ・オコーナー)が部屋をめちゃくちゃにして他の宿泊客を追い出した男に出て行くよう頼むと、男が狂ったように笑いながら包帯を剥ぎ取って主人を階段から落とすことで、彼が透明人間だったという秘密が明らかとなる。彼は服を全部脱いで透明な姿を現すと、警官を絞め殺しにかかる。
- 透明人間の正体は、モノケインと呼ばれる不思議な新薬の実験を行っているうちに透明化の秘密に気づいた科学者ジャック・グリフィン博士。彼は師であるクランリー博士(ヘンリー・トラヴァース)のいるラボに戻る。そこには彼の秘密を漏らした元同僚のケンプ博士(ウィリアム・ハリガン)と、グリフィン博士のフィアンセであるフローラ・クランリー(グロリア・スチュアート)もいる。モノケインはグリフィンの肉体全体に行きわたり、グリフィンは人間の目には完全に見えない肉体となった上、狂気のとりこになってしまう。
- 宿屋から逃げてきたその夜、グリフィンはケンプのリビングに現れ、ケンプを監禁する。彼はケンプに、宿屋へ一緒に戻って自分の書いた透明化に関する書物を取りに行くよう脅す。そこへ警官がやってくるが、グリフィンに木製のスツールで殴り殺される。
- ケンプはクランリーに助けを求め、ケンプの秘書は警官を呼ぶ。フローラもやってきて、警察が来るまでの間グリフィンと会話を交わす。会話の内容は、グリフィンとフローラが互いに夢中になるほど愛し合っているということがわかるものである。フローラの前で彼女をダーリン(Darling)と呼ぶほどグリフィンの気分は落ち着く。
- グリフィンは力について大言壮語を吐くが、警察が来たのを見てケンプが自分を裏切ったことに気づき、まず最初にフローラを外へ避難させることにする。彼女は一緒にいたいとせがむが、グリフィンに「僕ができることは君を逃がすことだけだ。そうなったら警察は君に手出しができない。さあ行ってくれ。」と説得されてしまう。
- ケンプを翌日の午後10時に殺害すると予告した後、グリフィンは再び逃走し、人を殺したり、強奪したり、悪意のある声でわらべ歌を歌ってみせながら通りを駆け抜ける。警察は透明人間を捕まえる方法を見つけた人に賞金を与えることにすることを発表する。
- ケンプは自分を守るために、警察官の一人に変装することになったが、グリフィンはその様子をずっと見ていて、ケンプの手を縛って乗用車の前の席に乗せ、緊急ブレーキを解除して逃走する。車は丘を転げてがけから落ちて爆発する。それから電車を脱線させて、捜査に協力していた警官2人をがけへ投げ飛ばして納屋へ隠れるが、農夫からの通報で警察が納屋へ火を放ってしまう。グリフィンが納屋から出てきたとき、雪の上の足跡や炎に照らされて見える、ひどい重傷を負ったグリフィンを見つける。
- 彼は死の床でフローラに、ある種の科学の力が自分を孤独にしたと語る。死んだ途端、モノケインの効果が薄れていき、本来の姿が再び現れる。
「倫敦の人狼(Werewolf of London、1935年)」…ヘンリー・ハル主演。当時ガイ・エンドア「パリの狼男(The Werewolf of Paris、1934年)」がベストセラーとなっていたが「虐殺が日常化していたパリ・コミューン期のパリを舞台に、人殺しを重ねる狼男が逆に「人間の方がよっぽど罪深くないか?」と聞き返してくる」という当時の倫理基準では映像化不可能な内容だったので、完全に別物のオリジナル脚本を書き下ろした。*「狼男に噛まれた者は狼男になる」「銀で出来たもので殺せる」といった設定の初出。「パリの狼男」にはまだそれはない。
- 英国の著名な植物学者・グレンドン博士が、"狼憑き"という奇病の治療薬である"狼草"を求めて、チベット高原までやってくる。雇った労働者や助手までもがおびえて消極的になる中、グレンドン博士はついに"狼草"を見つけ出すも、一匹の狼に噛まれてしまう。
- 帰国後、博士が主催する植物展覧会をヨガミ博士なる謎めいたアジア人学者が来訪する。ロンドンに"狼憑き"の患者がいると言って"狼草"を手に入れようとしたこの男は、グレンドン博士を襲った狼そのものだった。
- グレンドン博士は"狼憑き"の症状が出て正気を保てなくなり、自宅を去って貧民窟を転々としながら研究室の"狼草"が咲くときを待つ。 "狼草"が咲きだした時、グレンドン博士はヨガミ博士が研究所に侵入しているところに出くわし、殺し合いになる。ヨガミ博士を殺した直後、グレンドン博士は"狼憑き"について調べていたフォーサイス大佐によって射殺され、"狼憑き"から解放される。
「フランケンシュタインの花嫁(Bride of Frankenstei、1935年)」…第一作に引き続いてボリス・カーロフ主演、ジェームズ・ホエールが監督。同性愛者だったホエール監督の思いが最も強く込められた最高傑作とも。
- 燃え落ちる風車小屋の中で焼死したと目されていた怪物は、地下水道で生きていた。盲目の老隠遁者が住む小屋に逃げ込み、彼の奏でるヴァイオリンの音を契機として人間性に開眼する怪物。片言の英語を話すまでになるが、つかの間の平穏は、訪れた狩猟家たちに破られる。
- 墓地で怪物を発見したのは、墓荒らしにやってきた科学者プレトリアス。彼は独自に編み出した生命創造術を援用し「怪物に花嫁を与える」という目論見にフランケンシュタイン博士を巻き込む。実験室ではついに花嫁たる‘The Mate’が誕生。しかし、熱望していた花嫁から拒絶され意気消沈した怪物は、彼女とプレトリアス共々、実験室ごと自爆する。
- この物語前後に原作者メアリーと後に夫となる詩人パーシー・シェリー(当時は駆け落ち中)、バイロン卿とその同性の愛人ジョン・ポリドリ(決別後「吸血鬼(The Vampyre、1819年)」を残して自殺) ) が集った「ディオダディ荘の怪奇談義(1816年5月)」の場面が挿入される。‘The Mate’の姿は原作者のメアリーそのもの。
「女ドラキュラ(Dracula's Daughter、1936年)」…「魔人ドラキュラ(Dracula:1931年)」の直後から始まるストーリーを描いており、エドワード・ヴァン・スローン演じるヘルシング教授も引き続き登場する直接の続編。「夜の悪魔(Son of Dracula:1943年)」と合わせ三部作と見る向きも。ドラキュラ伯爵は登場しない。
「フランケンシュタイン復活(Son of Frankenstein、1939年)」…「怪物」役はボリス・カーロフが続投。それを悪用しようとする悪人イゴール役にベラ・ルゴシを抜擢。後にコメディ映画「ヤング・フランケンシュタイン(Young Frankenstein、1974年)」で忠実にパロディ化された。
*背骨の曲がった男や、片腕が義手の警部など、設定が著しく共通するキャラクターが頻出。脚本の骨子も忠実になぞる。
- フランケンシュタイン博士の息子ウォルフ・フォン・フランケンシュタインが家族を連れて亡き父の居城に戻り、背骨の曲った男イゴールの意のままに廃墟に眠っていた怪物を再生する。
- 計略殺人の道具にされた怪物は、幼い息子を救わんと必死になった創造主ウォルフによって煮えたぎった硫黄の中へ蹴り落とされ、再び「冬眠期」を迎える。
「ミイラの復活(Mummy's Hand、1940年)」…前作の『ミイラ復活』の続編だが、今回のミイラは意思を持たない。古代より連綿とエジプトの王女の墓を守ってきたカルナックの高僧の操り人形に過ぎない。
ミイラの復活
*理由は不明だが「トトの書」が(生命を復活させる)タナの葉に差し替えられている。ドラクエの世界樹の葉の起源?
- 現代に至るまで代々カルナック僧は古代エジプトの女王アナンカの墓所を守ってきた。最大の武器は(生命を復活させる)タナの葉で操るミイラ。
- 当代カルナック僧のアンドヘブも手掛かりを得た発掘隊阻止の為に全力を尽くす。しかし発掘隊に同行していたヒロインに懸想してしまい、これをミイラに攫わせて「未来永劫添い遂げよう(つまり一緒にミイラになろう)」とか言い出す。その場に踏み込まれてミイラは燃やされ、アンドヘブは射殺される(ただし続編に生きて登場)。
「狼男(The Wolf Man、1941年)」…人狼伝説に基づいているが、特に原作小説を持たないオリジナル作品。サイレント時代の怪奇スター、ロン・チェイニーの息子ロン・チェイニー・Jr.を新たなスターとして製作したホラー映画。彼の演じた狼男は本来好人物だが、狼憑きに噛まれた為に満月の夜になると狼男に変身し、自分の意思に関係なく殺人を犯してしまう二重人格者で「苦悩する人間」と「凶暴な獣人の恐怖」を巧みに演じ分け1940年代を代表する怪奇スターとなった。一方、彼を襲う狼憑きを演じたのはベラ・ルゴシ。本作では端役に近い位置付けで、怪奇の主演スター交代を印象付けた。
*「ウェールズの名門出身」という事は、おそらくブリトン人文化圏(ウェールズやブルターニュ)に取材したマリー・ド・フランス(Marie de France、12世紀後半、おそらくヘンリー2世とその王妃アリエノール・ダキテーヌの宮廷メンバー)の「ビスクラレッド/狼男(Lai du Bisclavret)」を念頭に置いている。
- ウェールズの名門タルボット家の次男ローレンスが兄の死に伴い故郷に帰ってくる。父のジョン卿は健在だが、その跡取りとしての帰郷である。ローレンスは町を眺めていて一目惚れした骨董屋の娘グエンと、その友人ジェニーと共にジプシーの占い師ベラの元にでかける。
- しかし、ベラは狼憑きであり、狼に変身したベラに襲われたジェニーを助けようとしたローレンスはベラに噛まれてしまう。狼の呪いを受けたローレンスは満月の光を浴びると凶暴な狼男に変身し、自分の意思とは無関係に殺人を犯してしまうようになる。
「ミイラの墓場 (The Mummy's Tomb、1942年) 」…「ミイラの復活(1940)」から直接繋がる続編。本作からミイラ男カリスを演じるのはロン・チャニー・Jr.となり、以降のシリーズは全てロン・チャニー・Jr.がカリスを演じた。前作のフィルムを回想という形でそのまま使い回し、約2週間で撮影された低予算映画。
The Mummy's Tomb(1942) | Digitalvampire.net
- アナンカ王女の墓を発掘していたスティーブら調査隊一行の恐るべき体験から30年後(1970年代?)、スティーブはマサチューセッツで結婚を控えた息子達家族と共に平和に暮らしている。
- しかしカイロでは高僧アンドヘブが後継者に遺言を残していた。「再びカリスを操り、アメリカに渡ってアナンカ王女の墓を暴こうとした一行の生存者達を皆殺しにするのだ」。がくっと絶命するアンドヘブ(ただし続編に生きて登場)。
- しかしこの後継者も元隊員を全員殺すのに成功した後にヒロインに懸想してしまい、これをミイラに攫わせて「未来永劫添い遂げよう(つまり一緒にミイラになろう)」とか言い出す。その場に踏み込まれて当人は射殺。ミイラもヒロインを連れて逃げるが、やがて捕まって燃やされる、
「フランケンシュタインの幽霊(The Ghost of Frankenstein、1942年)」…本作では「怪物」をロン・チェイニー・Jrが演じている。
- 度重なる不幸をフランケンシュタインの呪いと考えた村人たちによって、フランケンシュタイン城が爆破される。しかしそれが引き金となり硫黄の中で眠っていた怪物が目覚め、生きていたイゴールと共にウォルフ・フランケンシュタインの弟ルドウィグのいる新天地を目指す。
- ルドウィグの住む村に辿りつくも「怪物」はまたもや村人と騒ぎを起こす。ルドウィグは怪物を解体する事を決心するが、そこに初代フランケンシュタインの幽霊が現れ、怪物が人殺しとなる根源になった犯罪者の脳を正常な脳に入れ替える事を提案する。
- 手術で怪物の脳は入れ替えられるが、その脳は名声欲に駆られた助手のボーマーによって、イゴールのものとすり替えられている。不死身の体を手に入れた事を喜ぶイゴールだったが、怪物とイゴールの血液型が違ったため失明。怒れる怪物はボーマーを殺害するが、医療器具を倒したことで出火し、ルドウィグ共々炎の中に姿を消す。
「フランケンシュタインと狼男(Frankenstein Meets the Wolf Man、1943年)」…「狼男」のヒットを受けて製作された続編だが、同作はフランケンシュタインシリーズの続編でもあり、二つのシリーズが融合して一つの世界を形成することになった。ロン・チェイニー・Jr.は先行する「フランケンシュタインの幽霊(1942年)」では「怪物」を演じたが、本作ではその役をベラ・ルゴシに譲り、狼男役に専念している。チェイニーはその後も3本、合計5本のユニバーサル・ホラーで狼男を演じた。
『フランケンシュタインと狼男』 1943「夜の悪魔(Son of Dracula:1943年)」…原題が「ドラキュラの息子」とはなってはいるが、ロン・チャニー・Jr.演ずるアルカード伯爵はドラキュラ伯爵その人であり、本作は紛れもないドラキュラ映画。
- アメリカ南部の都市にやってきたドラキュラ伯爵は美女ケイをその毒牙にかけ、自らの妻として迎え入れる。しかしケイには生前婚約者がおり、ケイは不死者となるやその婚約者にドラキュラの棺の在処を教え、ドラキュラを滅ぼし二人で永遠の生命を生きようと持ちかける。
- 実は本作品はドラキュラ映画初の悪女ものであり、ドラキュラ伯爵は何とも情けないことにケイの裏切りによって陽光の下で朽ち果てて行く。ただでさえ情けないのに本作でドラキュラ伯爵を演ずる「千の顔を持つ男」の息子ロン・チャニー・Jr.にカリスマ性が備わっていない。「狼男ローレンス・タルボットの苦悩とも泣き顔とも取れる表情」をケイに謀られ滅び行く際にされても情けなさを助長するばかりである。
- それでも本作に怪奇映画としての価値が皆無という訳ではない。後年幾度となく繰り返されることになるアルカード、ドラキュラというアナグラムの初の登場、ドラキュラが蝙蝠へと変身する初ショット、陽光の下で白骨化する初ショットなど初物尽くしではあるのである。とはいえ「魔人ドラキュラ(1931年)」の倍近くかけられたという予算が一体どこに使われたのかまるで判らない。
「執念のミイラ (The Mummy's Ghost(、1944年)」…戦時下で撮影された低予算映画。怪奇映画には珍しく怪物側勝利に終わる。
The Mummy's Ghost(1944) | Digitalvampire.net
- エジプトの高僧アンドヘブは新たなる手下ヨーゼフ・ベイをアメリカへと送り出す。発掘されマサチューセッツ州の美術館に展示されているアナンカ王女のミイラを取り戻し、再び安息を与える為である。
- 現地でカリスを回収したヨーゼフ・ベイは美術館へと潜り込みアナンカ王女の元へ辿り着く。しかしカリスの腕がアナンカ王女に触れた瞬間、彼女の遺骸は霧散するかのように消えてしまう。何とアナンカ王女の魂は3000年の時を超え、再び転生しようとしているのである。
- ヨーゼフ・ベイはカリスを使ってアナンカ王女の魂が乗り移ったヒロインのアミーナを連れ去る事に成功する。しかし懸想して「永遠に添い遂げよう」と思った途端、カリスに殴り殺される。そしてカリスは徐々にミイラ化していくアミーナを連れて沼の底へと沈んでいく。
「フランケンシュタインの館(House of Frankenstein、1944年)」…「フランケンシュタインと狼男(1943)」の怪物共演が好評だった為、遂にドラキュラ(最も原作のイメージに近いと評された高貴さを漂わせるジョン・キャラダイン)、「怪物(活劇出身で体格のよいグレン・ストレンジ)」、狼男(ロン・チェイニー・Jr.)の夢の共演が実現。
House of Frankenstein(1944) | Digitalvampire.net
- 牢獄に捕われていたニーマン博士は、ある夜雷によって牢が崩れた機に乗じて脱獄し、傴僂男のダニエルと共に地方巡業の見世物小屋の馬車を奪い去る。見世物小屋の目玉はドラキュラの遺骨であり、棺に納められたその心臓には杭が打ち込まれているという趣向である。ところが、偶然にニーマン博士がその杭を引き抜くと、なんと遺骨は本物でドラキュラ伯爵がこの世に甦る。
- ニーマン博士はドラキュラを利用して彼の素性に気付いた警察官を殺害させるが、追っ手がかかったドラキュラを陽光の下に置き去りにし、再び逃走を続ける。やがてフランケンシュタインの城跡へと辿り着いたニーマン博士は、そこに氷漬けとなった狼男とフランケンシュタインの怪物を発見し、弱りきった怪物を回復させるべく、邪悪な研究を再開する。
- しかしフランケンシュタインの怪物は度重なる復活・手術・氷結のせいか弱りきっており手術台から起き上がることも覚束ない。やっとのことで起き上がった時には既に狼男は死んでおり、単独で暴れ出す。
「ドラキュラとせむし女(House of Dracula、1945年)」…前作に引き続いてジョン・キャラダインのドラキュラ伯爵、ロン・チェイニー・Jr.の狼男、そしてグレン・ストレンジの「怪物」が登場。
ドラキュラとせむし女 House of Dracula 1945
- エデルマン博士の城館にコウモリに変身した姿で忍び込んできたドラキュラ伯爵が「日光に強くなりたい」と申し出る。血液交換を試すが、実験完了前に日光に当てられ滅ぼされる。
- 同じくエデルマン博士の城館を尋ねてきた狼男が「人を殺さないようになりたい」と相談してくる。薬の調合に成功して狼男の症状は治まる。
- ドラキュラ伯爵と血液交換したエデルマン博士は最終的に狂気に陥り、最近発掘された「怪物」を操って人を襲い始める。最終的に狼男に射殺される。
「凸凹フランケンシュタインの巻(Abbott & Costello Meet Frankenstein、1948年) 」…当時人気の衰えかけていた喜劇チームのアボット・コステロをユニヴァーサルの有名モンスター達と組み合わせて、再ヒットさせたコメディ。何せ狼男役はロン・チェイニー・Jr.、ドラキュラ伯爵役はベラ・ルゴシ、「怪物」役はグレン・ストレンジ。さらに透明人間の声をヴィンセント・プライスが当てている。
「大アマゾンの半魚人(Creature from the Black Lagoon、1954年)」…本作品に登場するモンスターであるギルマン(Gill-man:鰓のある人間)は(後に「007サンダーボール作戦(Thunderball:1965年)」のヒット要因となった)水中撮影技術を活かす為にジャック・キーヴァンがデザインしたオリジナル・モンスター。「古代生物と現代文明の接触によって起きる悲劇」「人間の女性に恋をした半魚人の悲恋」と「キングコング」の類似性が指摘されている。アナグリフ方式による3D映画として公開され、当時制作された3D映画群の中では最も興行的に成功した為に続編として「半魚人の逆襲(Revenge of the Creature、1955年)」「The Creature Walks Among Us(1956年)」が撮影された。
*ちなみにビリー・ワイルダー監督の「七年目の浮気(1955年)」にマリリン・モンローのスカートが地下鉄の風でめくれ上がる有名なシーンがあるが、これはトム・イーウェル演ずる主人公とモンローが本作を観た後の映画館前で起こるという設定である。
- アマゾンの奥地探検中にカール・マイア博士により、デボン紀の地層から水かきのついた手の化石が発見された。報告を受けたブラジルの海洋生物研究所から、所長のウィリアムズ博士と魚類学者のリード博士、所長助手のケイ・ローレンスが調査に向かうが、マイアのキャンプの留守をあずかる現地人二人の無残な死体が発見される。
- 一行は現地人が「魔物が住む」と言う、化石が発見された黒い入江を潜水調査するが、ウィリアムズとリードが不在の間、泳いでいたケイは人間の体ながらも全身に鱗を持つ怪物に襲われる。ケイは危うく難を逃れるが、リードは入江に毒物を流し、仮死状態に陥っていた怪物を船に生け捕りにすることに成功する。
- しかし、息を吹き返した怪物・半魚人は復讐心に燃え、船の関係者多くを、殺し始める。やむなくウィリアムズら一行は船を引き帰させようとするが、入江は半魚人の作った防壁で既に封鎖されていた。防壁を排除しようと、潜水作業を行ったウィリアムズは半魚人に殺されるが、結局、半魚人はマイアの放った銃弾に痛手を受けて、入江深く消えていった。
しかし1950年代に入るとレイ・ブラッドベリ「霧笛(The Fog Horn、1951年)」にインスパイアされる形でハリー・ハウゼン(レイ・ブラッドベリの高校時代からの親友)が「原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms、1953年)」に特撮監督として参画。さらにこれにインスパイアされる形で日本の東宝映画が「ゴジラ(Godzilla、1954年)」を撮影。こうして大アマゾンの半魚人の出番は次第になくなっていく。
レイ・ブラッドベリ「霧笛(The Fog Horn、1951年)」
RKOの「キングコング(1933年)」と「40年代サスペンス」
「キングコング(King Kong、1933年)」…当時重度の経営不振だったRKOは、本作の世界的大ヒットによって一気に持ち直した。ハリーハウゼンや円谷英二が特撮監督の道を志すきっかけとなった作品としても知られる。
*当時のアメリカは世界大恐慌の残禍が色濃かった時期であり、大ヒットとなった背景についても「当時のアメリカの膨大な失業者と経済的世情不安」「黒人や新移民に対する旧移民側の恐怖」などを挙げる向きがある。この映画におけるキングコングは、恐竜などが生息する南洋のドクロ島(Skull Island)から見世物にされるためにニューヨークへ連れて来られた巨猿。当時はターザン映画を始めとする「ジャングルを舞台とした秘境冒険映画」や「実写の猛獣映画」が盛んに作られており、本作でもその趣向が大いに取り入れられた。本作でのコングも兇暴な猛獣として描かれており、敵対するものは容赦なく葬る。アンの衣服を剥がしてその臭いをかぐシーンなど、まさに「美女と野獣」のイメージで描かれている。
- 向こう見ずな上、経済的に追い詰められていた映画監督のカール・デナムは、謎の孤島・スカル島で巨大生物がいるという話を聞き、猛獣映画を撮るために女優を探す。そして街で、アン・ダロウという駆け出しで失業中の女優をスカウトする。
*カール・デナムもまた「ロマン主義者(自分の欲求に忠実で、他人など一切視野になく、欲しいものが出来たら手段を選ばず獲得しようとする)」の一人であり、アン・ダロウは万引きを考えるほど生活に困っていた。それで両者の間に「悪魔の取引」が成立する過程にこそ当時のアメリカ人は同情を感じたとも。この辺りの背景は「風と共に去りぬ(Gone With the Wind、原作1936年、映画化1939年)」の分析とも重なる。- 船はスカル島へ向かう。そこでは原住民が、若い女性をコングの生贄にする儀式を遂行している最中。デナムがフィルムをまわすと、原住民はそれに気づき、立ち退くよう要請。さらに、アンをよこせと要求する。
*「ロマン主義者」たるデナムは、人身御供の儀式そのものを一瞬たりとも止めさせ様としていない。- デナム一行はひとまず船に戻る。しかし、デッキに一人でいる時を狙われてアンが原住民に攫われ、コングの生贄にされてしまう。
*無論、原住民側にもエゴがある。余所者を生贄に捧げてそれで済むなら、それに越したことはない。- コングは島の奥地に彼女を連れ込む。デナムを含めた船員達は追いかけたが、ジャックとデナムを残してみんな殺されてしまう。ジャックはコングがプテラノドンと戦っている隙を突いてアンを助出。川へ飛び込み、何とか逃れることに成功する。
*「ロマン主義者」たるデナムは無論「生贄を攫われたら村が襲われるかも」なんて一瞬たりとも心配しない。- アンをさらわれたことを知ったコングは原住民の集落を襲う。しかし、デナムがガス爆弾でコングを眠らせて捕まえ、アメリカ本土まで連れ帰る。そしてコングショーを開く。コングを一目見ようとする客で席は満員となり、一晩で1万ドル稼ぐ。
*「ロマン主義者」たるデナムは無論、コングが逃げたら周囲が危険に曝されるなんて考えない。- 鋼鉄製の手枷と足枷をつけられていたコングだったがが、取材陣がフラッシュをたくと、アンが襲われていると勘違いし、怪力を発揮し、枷を外す。そしてアンを攫うとエンパイヤステートビルの頂上に登る。しかし飛行機部隊の機関銃が襲い、ついにビルから落下して死んでしまう。
*飛行機は第一次世界大戦で初めて投入された新兵器。機関銃は第一次世界大戦を契機に欧州人に初めて向けられた。「RKO40年代サスペンス」…フランス人映画監督ジャック・ターナー/ジャック・トゥールヌール(Jacques Tourneur, 1904年〜1977年)が手掛けた低予算のホラー映画。異国情緒あふれる一方でどこまで現実か分からない不安定感を特徴とする「文芸ホラー」が多い。
「キャット・ピープル(Cat People、1942年)」…オーソン・ウェルズ監督「市民ケーン(Citizen Kane、1941年)」「偉大なるアンバーソン家の人々(The Magnificent Ambersons、1942年)」の興行的失敗で破綻しかけていたRKOの経営を救った。
- 原作はヴァル・リュートン(Val Lewton)の「The Bagheeta(1930年)」。アルジャーノン・ブラックウッドの「太古の魔術(Ancient Sorceries、1927年)」の影響を色濃く受けている。
*アルジャーノン・ブラックウッド(Algernon Henry Blackwood、1869年〜1951年)…M.R.ジェイムズ(Montague Rhodes James、1862年〜1936年、レ・ファニュを再評価しアンデルセン英訳でも知られる古文書学者でもあった)やアーサー・マッケン(Arthur Machen, 1863年〜1947年、アンブローズ・ビアス(Ambrose Bierce、Ambrose Gwinnett Bierce, 1842年〜1913年失踪)と双璧をなす「クトゥルフ神話の父祖」)と並び称される近代英国怪奇小説三巨匠の一人。魔術結社「黄金の夜明け団」に所属する魔術師でもあり、生涯独身であった。- 「ユニバーサルモンスター的狼男」ローレンス・タルボットの二重人格(「苦悩する人間」と「凶暴な獣人の恐怖」の同居)はあくまで客観(Object)である。しかしこの物語のヒロインが抱える「自分は知らないうちに人を食い殺している猫族かもしれない不安」は主観(Subject)であり、カント的主客二元論(世界そのものは自分の認識範囲を超えて広がっているという現実にどう対処するかという問題)の領域に踏み込んでいる(そしてこの問題に徒手空拳で正面から向かい合うと自殺や発狂という結末を迎えやすい)。幻想小説の歴史からいうと「神経症と夢遊病の世界」というジャンルに該当。文学表現上はあくまで「(確信犯たる)偏執狂とストーカーの世界」である客観の領域と区別される。「ロマン主義文学」は両方に跨るが「ロマン主義者」は概ね前者のみを指す。何故なら「ロマン主義者」は立派に人格類型の一種だが「神経症と夢遊病の世界の住人」はそもそも確固たる人格が構築出来ないで悩んでいる段階に過ぎない。すなわち「無人格」の一種としてまとめて分類され忘れ去られてしまうだけなのである。
*ややこしい事に心理学の世界では前者を(統計的手法による類型抽出に基づく)人格心理学(personality psychology)が扱い、後者を(被験者の内的世界解析に徹する)対象心理学(object psychology)が扱う。前者の立場は「人間と狼男の間を往復する事」をユニークな個性(人格類型)の一種と考え、後者の立場は「人間と狼男の間を往復する事」が当事者の内的世界においてどういう意味を持っているか徹底的に構造解析する。表裏一体の関係にありながらこの二者の観測技法には全く互換性がなくて情報共有が極めて難しい。RKOとジャック・ターナー監督はこの成功に気を良くして以下の様な作品を次々と量産。
「私はゾンビと歩いた!(I walked with a Zombie 1943年)」…戦前ゾンビ物の掉尾。悲劇的かつ幻想的なラブストーリー映画で、犯罪とは言い難いが一見フィルム・ノワール調でサスペンス的な要素も伺える。ストーリーは1942年、American Weekly Magazine誌にInez Wallaceが執筆した記事がベース。そこには「ハイチの農園ではゾンビが奴隷として働いている」と書かれていたが、実際には生きた人間がドラッグづけにされていただけ、と後に判明する。プロデューサーのヴァル・リュートンはこの記事をとっかかりに「ハイチを舞台としたジェーン・エア」っぽい脚本を仕上げさせた。
- 全体としてはゾンビとなったハイチの富豪の妻を介護するために雪のカナダからやって来た看護婦の回想という体裁をとっている。
- 「奴隷達が復讐の為に旧家の妻をブードゥで操り、夫の弟を誘惑し家庭を崩壊させようとしたが母が気付いて同じくブードゥの呪いをかけ妻をゾンビにしてしまった」とも「厳格な夫より雄弁で楽しい弟が好きになった妻が駆け落ちを計画するが熱病にかかり高熱で脳が麻痺してしまった」とも受け取れる内容で、どちらの立場に立つかによって弟が槍で兄の妻を刺し殺したと考えられるラストの受け止め方も変わってくる。
「レオパルドマン 豹男(The Leopard Man、1943年)」…舞台は白人も沢山住んでいる1940年代のニューメキシコ。白人に征服されながら、今やその恩寵にすがって生きるしかないこの街独特の雰囲気が物語全体を支配する。
- シカゴから来たショービズ宣伝マンの目に留まりたくてナイトクラブの女達が競い合う。その過熱ぶりに便乗する形でショービズ宣伝マンがステージ上に黒豹を連れ出し、これが逃げる。
- 街の女達が次々と襲われる。しかし実は黒豹が襲ったのは最初の一人だけで、それをたまたま目撃していた街の名士(白人)の殺戮本能を目覚めさせ、それを模倣した犯行を繰り返していたのだった(偶然見つけた豹も始末)。
- 昔からの中南米の信仰と白人がもたらしたキリスト教が融合した祭日の異様な熱気の最中、ついに犯人が明らかとなる。「誰も私を理解できない。もうずっと眠っていない。引き裂かれたテレサ(最初の犠牲者)の姿が頭から離れなかった。墓地や町角で見た、女たちの怯えた顔。柔らかい肌…」
「キャット・ピープルの呪い(The curse of the cat people、1944年)」…主要登場人物は配役まで前作と同じで完全に前作の後日談となっているが、趣は全く異なり、揺れ動く児童心理をファンタジックに描く。全く異なる物語なので監督は「キャット・ピープル」の看板を外したがったが、RKOはそれを許さなかった。
- 「キャット・ピープル」のヒロインだったイレーナ(シモーヌ・シモン)は発狂して自分を猫族と思い込み殺人を犯した上に自殺した。少なくとも当時恋人だったオリバー(ケント・スミス)はそう信じており、その事がトラウマになっていた。
- その彼もアリス(ジェーン・ランドルフ)と結婚し、エミー(アン・カーター)という娘を設けていた。ところがこのエミーは想像力が強く感受性が豊かで、それゆえ周囲に打ち解けないこともある。トラウマのせいでオリバーは精神障害の可能性を心配せざるを得ない。
- やがてエミーは同様に「イレーナの呪縛」に囚われたファーレン家の老婆ジュリア(ジュリア・ディーン)と、人間性に乏しいその娘バーバラ(エリザベス・ラッセル)と出会う。ジュリアはどうやらジュリアは本当の娘は六歳で死に、バーバラはそれに成りすましたメイドと思い込んでいるらしい。そうした話をしたことが契機となって両親が喧嘩を始めたショックからエミーは見えない友達と会話する様になり、両親が隠していた写真を目にして以降、その友達はイレーナの姿で現れる様になる。
- 最終的にオリバーもジュリアも「イレーナの呪縛」から「解放」され、バーバラは人間性を取り戻し「見えない友達」イレーナは姿を消す。
「吸血鬼ボボラカ(Isle of the Dead 1945年)」…映画の舞台はバルカン戦争中のギリシャ孤島。世界中から迷信が払拭されていく最中にあってそれが残る閉鎖的地域で迷信が再生産されていく恐ろしさを描く。原題の「Isle of the Dead」は間違いなくベックリーンの「死の島」に着想を得ている。(上陸する際の小島の形が絵の構図とまったく同じ)。
- 老齢で厳格な将軍ニコラス(ボリス・カーロフ)は近くに埋葬した妻の墓参りのため従軍記者とともに戦場をつっきりある小島へ向かう。
- しかし、到着してみると墓荒らしの手によって墓は暴かれていた。近くの館へ話を聞くために立ち寄るが次の日そこで伝染性の敗血症が発生してしまう。
- 戦場への蔓延を防ぐため将軍は館の人たちに島から出ることを禁止する命令を出す。閉鎖的状況下で取り残される人々、そのうちに迷信深い老女はこの伝染病を「吸血鬼ボボラカ」の仕業だと考え、その場にいた若い娘シアこそボボラカだと言い始める。
- 「見たものしか信じない」理性に執着する軍人の典型たるニコライ、も次第に「ボボラカがシアに宿っている」と信じ始める。島の住民も次第に老女の話に耳を傾ける事になっていく。
この時代がフィルム・ノワール全盛期と部分的に重なるのは決して偶然ではない。ナチスによるユダヤ人迫害や第二次世界大戦の戦禍を逃れて米国に流入した欧州映画人達は本国における流儀を貫くことでハリウッド映画に新しい風を吹き込んだのである。
*フィルム・ノワール(film noir)…1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ低予算犯罪映画 の総称。フリッツ・ラング監督やビリー・ワイルダー監督といった欧州映画界の重鎮が参画。ジャック・ターナー監督も悪女の裏切りによって破滅していく私立探偵を描いた「過去を逃れて(Out of the Past、1947年)」を製作している。
*日本の「化猫映画」はこうしたドイツ表現主義を起源とする国際的な「影絵演出」の流行の影響を最も色濃く受けたジャンルの一つ。
その一方で『キング・コング』(1934年)におけるウィリス・オブライエンの影響を受けてストップモーション・アニメーションの世界に足を踏み入れたハリーハウゼンは「原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms、1953年)」以降も1950年代を特徴付ける「特撮襲来物」を手がけ続けます。
「水爆と深海の怪物(It Came from Beneath the Sea、1955年)」…水爆実験の影響で深海に住んでいた巨大な蛸が餌を求めて船を襲い始め、遂にはサンフランシスコ上陸。ゴールデン・ゲート・ブリッジを破壊する。
「世紀の謎 空飛ぶ円盤地球を襲撃す(Earth vs. the Flying Saucers、1956年)」…UFO特撮への初挑戦、ティム・バートンの「マーズ・アタック(1996年)」のUFOはこのパロディ。
「地球へ2千万マイル(20 Million Miles to Earth、1957年)」…初めてのヨーロッパロケを敢行。この作品では古代ローマの遺跡コロッセオで金星の生物「イミーア(Ymir)」が暴れまわる。人間によって地球に連れて来られ、モンスターとして人間によって殺されてしまうイミーアは『キング・コング』へのオマージュでもある。
そしてこうした潮流から、次の時代に結びつく新しい流れが分かれ出るのです。一つは東宝制作の「空の大怪獣ラドン(1956年)」を嚆矢とする日本の「カラー特撮映画」路線、もう一つは英国ハマープロの「カラー恐怖映画」路線でした。
ハマー・フィルム・プロダクションズ(Hammer Film Productions)
イギリスに存在した映画制作会社。特に1950年代末から1970年代前半、ピーター・カッシングとクリストファー・リーの2大スターを擁し、フランケンシュタインやドラキュラシリーズに代表されるクラシックホラー映画の作品を多く生み出した戦後の名門ホラーメーカーとして知られる。
- いくつかの前段階を経て1948年に設立された。1949年の『ドクター・モレル/消えた相続人』が公式な第1作となる。その後は堅実な歩みを続け。1955年にはイギリスの人気テレビドラマ『クォーターマス』シリーズの一編を映画化したSFホラー映画『原子人間(The Quatermass Xperiment、1955年)』を世界的にヒットさせる。この成功を受け配給サイドから,1930年代から1940年代にかけてアメリカのユニバーサル映画が怪奇ブームを巻き起こした、古典派ホラー映画のリメイクを打診された。
- 1957年、ユニバーサルホラーの代表作『フランケンシュタイン(Frankenstein、1931年)』のカラー版リメイクとして『フランケンシュタインの逆襲(The Curse of Frankenstein、1957年)』の製作に着手。監督はハマー作品を何本も手がけてきたベテランのテレンス・フィッシャー、主役のフランケンシュタイン男爵にはイギリスのテレビドラマのスターだったピーター・カッシング、怪物役には無名に近かったクリストファー・リーを起用した。完成した映画は試写の段階では残酷性や、ユニバーサル版と違う怪物のデザインがグロテスク過ぎる等の不評もあったが、公開されると世界的なヒットを記録した。
- この好結果を受け、ハマーは続いてユニバーサルホラーの第一作であった『魔人ドラキュラ(Dracura、1931年)』のリメイクとして、前作のフィッシャー、カッシング、リーの新ホラー黄金トリオを再収集し『吸血鬼ドラキュラ(Dracula、1958)』に取り掛かった。カッシングは正義の吸血鬼ハンター、ヴァン・ヘルシング役で主演、リーがドラキュラに扮した。完成した映画は前作を上回る大ヒットになった。この2作の成功により、ハマーはホラーメーカーのトップとして長く君臨することになった。
以降、ハマーはフランケンシュタインとドラキュラをシリーズ化して軸とし、ミイラ、狼男、ゴーゴン、オペラ座の怪人、ブードゥー・ゾンビ等古典的なテーマのホラー作品を次々手がけた他、SFやファンタジー、サスペンス、ミステリー等の分野で作品を多く送り出し続ける。
「フランケンシュタインの復讐(The Revenge of Frankenstein、1958年)」…『フランケンシュタインの逆襲』の続編で、怪奇映画の名優として知られるピーター・カッシング主演のフランケンシュタインシリーズ第2作である。監督も前作同様テレンス・フィッシャー。
「バスカヴィル家の犬(The hound of the Baskervilles、1959年)」…ホームズ役は怪奇ホラーの名優ピーター・カッシング。監督はテレンス・フィッシャー。
「ミイラの幽霊(The Mummy、1959年)」…戦前のユニバーサル映画によるホラーの名作『ミイラ再生』(1932年)のカラー版リメイク的作品。テレンス・フィッシャー監督、ピーター・カッシング、クリストファー・リーを再結集して製作された。19世紀末のエジプト。遺跡発掘に携わるジョン・バニングらはアナンカ姫のミイラを発掘。イギリスに帰ったバニングらを追ってエジプト人のメヘメットが渡英し、ミイラとなっていた古代の高僧カリスを復活させ、バニングらを襲わせる。
「吸血狼男(The Curse of the werewolf;1960年)」…ユニバーサル作品のリメイクではなく、フランス人作家ガイ・エンドアの小説「パリの狼男」が原作。ただし舞台は18世紀後期のスペインに変更されている。
吸血狼男「吸血鬼ドラキュラの花嫁(The Brides of Dracula;1960年)」…タイトルにもある「ドラキュラ」伯爵は登場せず、先出の作品でドラキュラ伯爵を退治?したヴァン・ヘルシング博士がドラキュラ伯爵の”呪い”で吸血鬼になったマインスター男爵と闘う。同年にはフランス=イタリア合作映画の「血と薔薇(Et mourir de plaisir;原作はレ・ファニュ『カーミラ』)」、イタリア映画の「血ぬられた墓標(La maschera del demonio;監督マリオ・バーヴァ)」「吸血鬼と踊り子(The vampire and the ballerina;1963年には続編的位置付けの「グラマーと吸血鬼(L'ultima preda del vampino)」が制作される)」なども封切られてちょっとした吸血鬼ブームとなった。
「妖女ゴーゴン(The Gorgon、1964年)」…ピーター・カッシングとクリストファー・リーが久し振りに共演。ハマーホラーのヒロインの中でも屈指の美人女優バーバラ・シェリーも出演。
「炎の女(She、1965年)」…H・ライダー・ハガードの小説を「渚のデイト」のデイヴィッド・T・チャントラーが脚色「泥棒株式会社」のロバート・デイが監督したロマンティック・ファンタジー。撮影は「金庫破り」のハリー・ワックスマン、音楽はジェームズ・バーナードが担当。出演は「007は殺しの番号」のウルスラ・アンドレス、舞台出身のジョン・リチャードソンほか。
「凶人ドラキュラ(Dracula:Prince of Drakness, Disciple of Dracula, Revenge of Dracula、1966年)」…クリストファー・リーによる『吸血鬼ドラキュラ』シリーズの第3作。監督はテレンス・フィッシャー。
「吸血ゾンビ(The Plague of the Zombies、1966年)」…イギリスのコーンウォール地方で謎の奇病から死者が続出する事件が起こった。調査に乗り出した主人公は、事件に、ブードゥー教の呪法が絡んでいることを知る…「Night of the Living Dead(1968年)」の源流と目される作品の一つ。
「恐竜100万年(One Million Years B.C、1966年)」 1940年の映画『紀元前百万年』のリメイク。特撮はレイ・ハリーハウゼンが手がけている。
「恐竜時代(When Dinosaurs Ruled the Earth、1970年)」…いけにえとして太陽に捧げられていた山の民サンナは、海に落ちたところを現地の住民に拾われる。だが、彼女の故郷の者たちが襲いかかり、サンナは恐竜の卵の近くまでくる。 彼女は恐竜の親に養子として育てられ、その恐竜の子供たちとも親しんだ。
1970年頃になると、より刺激の強いホラー映画が氾濫してくる中、クラシックスタイルのハマー作品は低迷するようになる。そして不振を打開すべく様々な異色作に手を出した。
「バンパイア・ラヴァーズ(The Vampire Lovers、1970年)」…『吸血鬼カーミラ』を原作とするセクシーさを強調した女吸血鬼映画)」「ドラキュラ'72(Dracula AD 1972、1972年)」…ドラキュラを現代に蘇らせた異色作
「新ドラキュラ/悪魔の儀式(The Satanic Rites of Dracula、1973年)」…生きるのに飽きたドラキュラ伯爵が国家権力の中枢を支配下に置いてニュータイプの腺ペスト菌で世界を破滅させようとする。
「ドラゴンvs7人の吸血鬼(英国題:The Legend of the 7 Golden Vampires、香港題:七金屍または七屍金。1974年)」…香港の映画会社ショウ・ブラザーズとの提携でカンフー映画とホラーの融合の融合を目指した異色作。当時は黒人やアジア人向けのアクション映画が流行していたので便乗を図ったが、上手くいかなかった。
しかしどうしても劣勢を挽回する事は出来なかった。日本の東宝との合作映画『ネッシー』なども企画するが実現には至らず,1970年代半ばで映画製作はほぼ中止される。
こうした「カラー怪奇映画ブーム」にすかざず便乗したのがロジャー・コーマンの「エドガー・アラン・ポー物」でした。
ハマー・プロのカラー恐怖映画の成功に注目したロジャー・コーマン監督は大好きなエドガー・アラン・ポオの作品を映画化したくてモノクロ映画を2本作るよりはカラーのシネマスコープ映画を1本作る方が得と配給会社AIPを説得。セットはハリウッド中のスタジオから払い下げされた使い古しの中古セットで組み、出演者やスタッフは最小限にして徹底的な合理化で低予算ながら、観客に受ける恐怖映画を世に送り込みんだ。ポオの原作は有名だっただけではなく、既にパブリックドメインだったので映画化の権利金が一切不要なのも思惑のひとつ。以降もコーマンは脚本家のリチャード・マスシンと組んでエドガー・アラン・ポーの短編小説を自由に翻案し次々と怪奇映画を生み出し続け、そのほとんどにヴィンセント・プライスを出演させ、チャールズ・ボーモントを脚本に参加させ続ける。そのうち一つが『赤死病の仮面』(1964年)で、撮影監督をイギリスのカルト映画監督であるニコラス・ローグが担当。
- 『アッシャー家の惨劇(House of Usher、1960年)』…エドガー・アラン・ポーの短篇『アッシャー家の没落』の映画化。脚色リチャード・マシスン。撮影は「真昼の決闘」のフロイド・クロスビー。音楽は「蛮族の恐怖」のレス・バクスター。出演は「地獄へつづく部屋」のビンセント・プライス、「ならず者部隊」のマーク・デーモン、日本初登場のマーナ・ファーイ、ハリー・エラーブの4人(ほかにはアッシャー家代々の亡霊役で数人出演しているだけ)。旧友アッシャーが妹と二人で住む屋敷に招かれた語り手が、そこに滞在するうちに体験する様々な怪奇な出来事を描く。美女の死と再生(あるいは生きながらの埋葬)、得体の知れない病や書物の世界への耽溺など、ポー作品を特徴づけるモチーフの多くが用いられている。
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 佐々木直次郎訳 アッシャー家の崩壊 THE FALL OF HOUSE OF USHER- 『恐怖の振子(The Pit and the Pendulum、1961年)』…エドガー・アラン・ポーの『穴と振子』『早すぎた埋葬』の2つをあわせて映画化した怪奇映画。この作品もリチャード・マシスンが脚本、撮影をフロイド・クロスビー、音楽をレス・バクスターが担当。姉エリザベス(バーバラ・スチール)の死因を確かめるべく英国からスペインに渡ったフランシス(ジョン・カー)。荒海に突き出たメディナ家の陰鬱な館に到着。しかし姉の夫で当主のニコラス(ヴィンセント・プライス)は血の病で死んだとしか語らず、主治医レオンは「エリザベスの死はこの暗い建物のせい」と話す。やがて幽霊騒ぎが起こるが実はエリザベスは生きており(死んだものとして葬られた彼女を相思相愛の関係にあったレオンが救いだし、地下室の片隅にかくまっていた)彼女の亡霊でニコラスを発狂させ、その財産を横領する計画だった事が明らかとなる。かくしてニコラスは残虐で知られた先代が地下に敷設した恐ろしい拷問室に追い詰められるが鉄棒でレオンを斃し、エリザベスを死の拷問箱に押し込み、フランシスをも殺そうと企むが飛び込んできた執事と争って自滅してしまう。
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 佐々木直次郎訳 落穴と振子 THE PIT AND THE PENDULUM
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 佐々木直次郎訳 早すぎる埋葬 THE PREMATURE BURIAL
- 『姦婦の生き埋葬(The Premature Burial、1962年)』…チャールズ・ビューモント、レイ・ラッセルが共同で脚色、撮影はフロイド・クロスビー、音楽はロナルド・スタインが担当。1860年代ロンドンの荒廃した墓地でゴールト博士(アラン・ネイピア)と2人の医学生(レイ・ミランド扮するガイとリチャード・ネイ演ずるマイルス)の3人がある墓を掘り起こし、棺の中の死体が生きたまま埋められた事を確かめる。ショックをうけたガイは自分の部屋にとじこもり博士の娘エミリー(ヘイゼル・コート)との婚約も破棄してしまう。エミリーはガイを問いつめ、彼の祖先の不可解な死と、持病の硬直症に悩んでいることを知る。またガイは自分もいつかは生きたまま埋葬されるのでは、と信じてしまう。エミリーは説得につとめ、やっとのことで結婚式を挙げたが以降もガイの脅迫観念は激しくなり、万一誤って葬られても抜け出せる工夫を施した棺まで造らせるまでとなる。そんなある日、四方を塗りこめた壁に猫を閉じこめたことから、ますますガイの妄想がつのる。エミリーから助言を求められたマイルスは納骨堂を開き、彼の父が生き埋めになったのではないことを証明することにする。しかし一同立ち合いで開いた棺の中の遺体は、明らかに生きながら葬られたものだったのでガイは卒倒する。マイルスも博士も死亡と断定、ガイは生きながら棺に入れられる。その夜、博士に買収された2人の墓掘りが棺をあけると、ガイが踊り出て2人を討ち倒し、さらに博士を襲って殺してしまう。そして邸にとって帰すとエミリーまで生き埋めにする。博士達との共謀を疑ったのである。マイルスは、ガイの妹ケイトを誘い、エミリーを探して歩くうちガイに襲われる。マイルスの命が危いと思われたときケイトの拳銃が火を吹く。狂った兄の凶行を見るに耐えず、死を与えたのである。ホフマンの幻想小説をも思わせる神経症的世界。
- 『黒猫の怨霊(The Black Cat、1962年)』…ポーの同名小説をリチャード・マシスンが脚色。撮影はフロイド・クロスビー、音楽はレス・バクスターが担当。酒好きのモントレソー(ピーター・ローレ)は妻のアナベル(ジョイス・ジェームソン)と2人暮らしの気易さから、毎夜酒場で大酒を呑んでいる。そしてある夜、利き酒の会場にまぎれ込んでその筋の名人フォルチュナト(ヴィンセント・プライス)に挑戦して酔い潰れてしまう。一方、淋しさのあまり黒猫を溺愛していたアナベルは、夫を送って来てくれたフォルチュナトと深い仲になってしまう。それを夫モントレソーに見つかり、2人とも殺害され、地下室の壁に死体を塗り込まれてしまう。数日後、2人の亡霊に悩まされ続けていた彼の前に、思いがけず警官が訪れる。アナベルのいなくなったのを、不審に思った隣人の届出で、調べに来たのである。部屋中を捜索した警官は別に異状のないことを知って立ち去ろうとするが、その瞬間、壁の向う側から猫の鳴き声が聞えて来る。驚いた警官は壁が新しく塗りかえられているのに気づき、壁を叩き破る。すると2つの死体が転り出る。
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 佐々木直次郎訳 黒猫 THE BLACK CAT
- 『忍者と悪女(The Raven、1963年)』…ポーの物語詩「大鴉」が原作。低予算ホラーを支えた三大怪優の一人ヴィンセント・プライス、元フランケンシュタインのボリス・カーロフ、サスペンス作品でお馴染みの怪優ピーター・ローレ、AIPの人気俳優ジャック・ニコルソンといった錚々たるメンバーが集結した単純明快なコメディ作品。クライマックスではヴィンセント・プライスやボリス・カーロフの演じる「黒魔術使い」がユーモラスな黒魔術合戦を展開するが、当時の日本では「黒魔術使い」という存在がメジャーでなかったのと忍者ブームの最中だったのが重なってこの邦題となった。
- 『赤死病の仮面(Masque Of The Red Death;1964年)』…ヴィンセント・プライス演じる暴虐な貴族がその暴虐ゆえに滅びさっていく悲劇を描く。その演技を支えるのは、もはやB級とは言えない豪奢なセット。
- 『黒猫の棲む館(The Tomb of Ligeia;1964年)』…死んだ美人妻が化けネコになって蘇る。ポーの短編『リジイア』を基底に構築しつつも『黒猫』要素も取り入れて原作の雰囲気を再現した。
ちなみに「1960年代吸血鬼ブーム」で名前が挙がった中では、イタリア映画のマリオ・バーヴァ監督(1914年7月30日 ~1980年)が後世に残した功績がずば抜けています。
- イタリア・ゴシック・ホラー映画『血ぬられた墓標(A Máscara de Satã /Legendas Black Sunday、1960年)』ははバーバラ・スティールを一躍スターにしたばかりでなく、白黒フィルムの光と影の使い方で高い評価を受けた。
血ぬられた墓標 1960 <古城と怪奇映画など - ボリス・カーロフ主演のオムニバス・ホラー『ブラック・サバス 恐怖! 三つの顔(I tre volti della paura/Black Sabbath or The Three Faces of Terror、1963年)』とクリストファー・リー主演のホラー『白い肌に狂う鞭(La Frusta e il corpo/Le Corps et le fouet/The Body and the Whip/The Whip and the Body、1963年)』ではカラー映画での評価を得た。
ブラック・サバス 恐怖!三つの顔 1963 <古城と怪奇映画など
白い肌に狂う鞭 1963 <古城と怪奇映画など - ジョン・サクソン主演の『知りすぎた少女(La ragazza che sapeva troppo/The Girl Who Knew Too Much、1963年)』はイタリア・ジャッロ映画の最初の1本と呼ばれる。
知りすぎた少女 1963 <古城と怪奇映画など - SFホラー『バンパイアの惑星/恐怖の怪奇惑星(Terrore nello spazio/Planet of the Vampires、1965年)』は「エイリアン(Alien、1979年)」に大きな影響を与えたと言われる。
バンパイアの惑星 1965 <古城と怪奇映画など - ハリウッドで漫画を原作にした子供向けのシリーズ物が量産されるのに先だって「黄金の眼(Danger: Diabolik、1968年)」により漫画原作でも大人向けの映画が作れる可能性を示した。
今日こんな映画観た : マリオ・バーヴァ(1967)『黄金の眼』 - 『血みどろの入江(A Bay of Blood、1971年)』はスプラッター映画の最初期の1作と見なされている。「13日の金曜日」シリーズの元ネタとしても有名。
最低映画館〜血みどろの入江(BAY OF BLOOD) - マーティン・スコセッシなど多くの人々がバーヴァの最高傑作と評価する『呪いの館(Operazione paura/Kill, Baby, Kill、1966年)』は、Jホラーなどアジアのホラー映画のじわじわと迫る恐怖描写にその影響が見受けられる。
最低映画館〜呪いの館
そして「スターウォーズ(Star Wars、1977年)」や「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind、1977年)」といったSF特撮大作路線の復活により、それまで米国内で黙々と製作されてきた(ハリー・ハウゼンの参画する)カラー特撮大作も独特の影響を受ける事に。
「シンバッド七回目の航海(The 7th Voyage of Sinbad、1958年)」
「アルゴ探検隊の大冒険(Jason and the Argonaut、1963年)」
「シンドバッド黄金の航海(The Golden Voyage of Sinbad、1973年)」
「シンドバッド虎の目大冒険(Sinbad and the Eye of the Tiger、1977年)」…悲しくも同年公開の「スターウォーズ(Star Wars、1977年)」や「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind、1977年)」に興行的に惨敗。
「タイタンの戦い(Clash of the Titans、1981年)」
また1980年代にはファンタジー映画の大流行を背景として以下の様な異色のマペット大作映画も制作されている。
「ダーククリスタル(The Dark Crystal、1982年)」…『セサミストリート』、『マペットショー』などで、世界的にマペット操演者&クリエイターとして知られるジム・ヘンソンが手がけたマペットによるファンタジー大作。
「ラビリンス/魔王の迷宮(Labyrinth、1986年)」…ヒロインとデビッド・ボウイ演じる魔王以外のほとんど全てがマペットで演じられている。マウリッツ・エッシャーやマグリットの影響が色濃い世界観。
こうした展開において怪奇色が払底されていく一方で、怪奇分野においては既に1970年代から既に古典的ホラー(Classic Horror)からの脱却とモダン・ホラー(Modern Horror)への移行が始まっていたのでした。
モダン・ホラー(Modern Horror)
まずこの分野における第一人者として名前が挙がるのは「キャリー(Carrie、原作1974年、 映画化1976年)」「呪われた町 (Salem's Lot 、1975年、ドラマ化1979年)」「シャイニング (The Shining 、原作1977年、映画化1980年)」などで70年代から足跡を残し続けてきたスティーブン・キング(Stephen Edwin King)。リチャード・バックマン(Richard Bachman)名義で「死のロングウォーク The Long Walk (1979年)」「バトルランナー(The Running Man 1982年)」なども発表している。
- アン・ライスの「夜明けのヴァンパイア(Interview with the Vampire、原作1979年、映画化1994年)」に続くヴァンパイア・クロニクルズ(The Vampire Chronicles)も含め(「Night of the Living Dead(1968年)」登場を嚆矢とする)ゾンビ映画登場以降の吸血鬼物語再建を真剣に考える態度が顕著。
- クライヴ・バーカー(Clive Barker)の「血の本(Books of Blood)シリーズ(1984年〜1985年)」や「魔道士(The Hellbound Heart 、原作1986年、映画化「Hellraiserシリーズ(1987年〜)」の様に「悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre、1974年)」「13日の金曜日(Friday the 13th、1980年〜)」「死霊のはらわた(The Evil Dead、1981年)」以降急速に市民権を獲得したスプラッター映画を意識している。
*スプラッター映画の起源をさらに遡るとドライブインシアター向けに配給されたハーシェル・ゴードン・ルイス(Herschell Gordon Lewis)の「血の祝祭日(Blood Feast、1963年)」「2000人の狂人(Two Thousand Maniacs!、1964年)」「カラー・ミー・ブラッド・レッド(Color Me Blood Red、1965年)」といった「ゴア(血糊)映画(Gore Movie)」に辿り着く。まだまだ白黒映画が多かった時代、フルカラーの流血は、マンネリ化したショッキングな視覚効果で飽和状態であった、ホラー映画製作者たちにセンセーションを引き起したのである。- 1980年に発表した映画「Demon Seed(1977年)」脚本や「ウィスパーズ(Whispers、1980年)」でブレイクしたディーン・R・クーンツ(Dean Ray Koontz)はSF、ホラー、ミステリー、サスペンスなどジャンルミックスで名前を残してきた。
他にはラムジー・キャンベル、ピーター・ストラウブ、そして『タイタス・クロウ』シリーズで知られるブライアン・ラムレイや、映画『ザ・フォッグ』の原作者であるジェームズ・ハーバート、などがいる。 現代のベストセラー作の中にも、ホラー小説に関連したジャンルの作品がいくつかある。たとえば、人狼ものと現代ファンタジーを融合させたキャリー・ヴォーンの『キティ・ノーヴィル(Kitty Norville)』、映像化もされたR・L・スタインのオムニバスホラー『グースバンプス』など。 また、他ジャンルとのクロスオーバー作品も増えている。たとえば、ダン・シモンズの『ザ・テラー 極北の恐怖』は古典ホラーの「もし」を描いた歴史改変SFであり、セス・グレアム=スミスの『高慢と偏見とゾンビ 』はジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』のパロディとしても知られている。また、マーク・Z・ダニエレブスキーの『紙葉の家』( en:House of Leaves)は恐怖をより突き詰めた複雑怪奇な作品であり、全米図書賞の最終候補作になったことでも知られている。
ちなみにジョージ・ロメロ監督作品「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(Night of the Living Dead、1968年)」を端緒とするゾンビ映画の流行については、こうした側面に加えHays CodeやComic Codeといった既存の倫理規定の崩壊を視野に入れないと読み解けない側面もあります。要するに「なまじ罰があったからこそ、逃げる楽しみもまた生じてしまった」パターン。
視点を変えると「1970年代から準備されてきた趣味趣向の多様化が1980年代に入って本格化した」という見方も出来そうです。その過程で「怪奇映画」なる解像度の荒いジャンルは自己崩壊を遂げたとも。その一方で最近のユニバーサルはアメリカン・マスクド。ヒーロー達のジャスティスリーグ映画やアベンジャー映画の成功を受け、そのユニバーサル・モンスター版の製作を決定。共通テーマは「ファミリー・アイデンティティの起源の追求」となると発表しました(第一弾「The Mummy/ミイラ再生」は2017年公開予定)。
どうなっちゃうの、これ?
さて、私達は一体どちらに向けて漂流してるのでしょうか…