諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】アフリカ系アメリカ人は移民じゃない?

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アメリカ大統領選挙で日本人をぽかーんとさせる展開が。

米大統領選の共和党候補トランプ氏は19日、中西部ミシガン州で演説し、大統領に就任すれば黒人のために働くと述べ、人種差別対策を重視する姿勢を強調した。白人労働者層を支持基盤とするトランプ氏は、最近の演説で黒人に投票を訴えることが多くなっている。黒人の間で支持率が極端に低く、危機感を強めているとみられる。

ウォールストリート・ジャーナル紙とNBCテレビが今月初旬に伝えた世論調査によると、黒人のトランプ氏支持はわずか1%で、民主党候補クリントン氏の91%と圧倒的な差がついている。


演説でトランプ氏は「民主党は黒人を票として利用しているだけで、選挙が終わったら何もしない」と主張。自身が大統領になれば、黒人やヒスパニック(中南米系)など少数派の雇用対策を強化し、4年間の任期を迎えた時には「黒人から95%の支持率を獲得してみせる」と豪語した。(共同)

反移民」をモットーに掲げるトランプのマニフェストを単なる「白人至上主義(White SupremacyあるいはWhite Nationalism)の再建」程度にしか把握していないと、この流れに完全についていけなくなってしまいます。

 まぁ、こういう話もある訳ですが、それはそれとして見落としてはいけないのが以下。

  • アメリカ建国の父祖達」の中で今日なお圧倒的国民人気を保ち続けているのは奴隷制農場主でなかったべンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、1706年〜1790年)くらいである事。

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  • そうした奴隷制農場において黒人奴隷は格付上、貧乏な白人自作農(White TrushあるいはPoor White)よりは上の立場にあった事。
    マーガレット・ミッチェル風と共に去りぬGone With the Wind、原作1936年、映画化1939年)」において、D.W.グリフィス監督映画「國民の創生(The Birth of a Nation、1915年)」でも描かれたKKK(Ku Klux Klan)の成立過程同様に活写されている。

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    中南米においてメスティーソスペイン語: Mestizo、ポルトガル語: Mestiço、白人とインディオの混血)やムラート(Mulatto, Mulato)が白人と非白人の中間層を形成していった様に、奴隷貿易廃止後の米国南部社会では領主とその黒人情婦の間で混血が進む。実際、現代アメリカ黒人の相当割合が白人の血を引いているという遺伝子調査結果もある。
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    *こうした話について公に語るのは長らくタブーとされてきた。1929年に起草され、1930年に導入が決定され、1934年から履行された世界初の映画倫理規定「Hays Code」においても「白人と黒人の情交」は「(清教徒革命(1638年〜1660年)当時におけるアイルランドカソリック教徒の奴隷輸出を連想させる)白人奴隷」同様に「映画が絶対扱ってはならない題材」と規定されている。それは19世紀アメリカで社会進化論(Social Darwinism)が広まる過程で根付いた誤謬の一つ「混血は人種を劣化させる」に基づくものでもあり、皮肉にも黒人側にも同調者が存在したのである。

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    *とはいえアフリカ系アメリカ人にも「リベリア共和国(Republic of Liberia)建国」という思い出したくない「恥部」が存在したりする。
    リベリア共和国(Republic of Liberia) - Wikipedia
    http://www.hubert-herald.nl/Liberia_bestanden/image056.jpg
    *そもそも多種多様な部族社会に分断されたアフリカ大陸に「黒人」なる人種単位など存在しない。奴隷としてアメリカに売れれ、同種族同士で仲間意識を培ってきたアフリカ系アメリカ人にはそもそも帰る場所も呼び寄せるべき同族も存在していなかったのである(ここが他の移民との最大の相違点)。そして黒人小説家アレックス・ヘイリーは「マルコムX自伝(The Autobiography of Malcolm X、1965年)」において宗教的統合によって民族問題と無縁となったイスラム世界をある種の理想郷として描き、「ルーツ(Roots: The Saga of an American Family、原作1976年、テレビドラマ化1977年)」によってアフリカ系アメリカ人の民族史の基礎固めを行った。かくしてアフリカ系アメリカ人は、次第に英国を脱出した分離派清教徒スコットランドアイルランドやオランダやドイツなどのプロテスタント系移民を吸収する形で形成されてきた「W.A.S.P.(White,Anglo‐Saxon,Protestant、ボストン・バラモンと称される名門門閥一族を頂点に推戴するハーバート大卒業者を中核とするエリート階層)」同様に「アメリカ固有のエスニック・グループ(ethnic group)」という地位を獲得していく。

    リベリア共和国(Republic of Liberia) - Wikipedia
    519夜『マルコムX自伝』マルコムX|松岡正剛の千夜千冊
    アフター・アメリカ

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  • そもそもトランプ候補が立脚する「アメリカ的伝統が最近ないがしろにされている」という立場は原則としてティー・パーティ同様「アレクサンダー・ハミルトンの掲げた貴族主義的連邦制とは敵対しながら、農場経営を支える奴隷制と家父長制は否定しない)ジェファーソン流農本主義的民主主義」の系譜に位置付けられるという事。
    *その直系の起源は、進歩主義時代(1890年代〜1920年代)のアメリカを象徴するセオドア・ルーズベルト元大統領が第一次世界大戦期(1914年〜1918年)に展開した「(その愛国心ゆえにアメリカ建国に参画してきた)旧移民の価値観を脅かす(愛国心の片鱗も示さずアメリカに寄生する)新移民」という図式のキャンペーン。ただし当時「新移民」として叩かれたのは主に(米国参戦に否定的だった)ドイツ系・オーストリア系・アイルランド系移民であって(世論形成力と無縁だった)黒人やヒスパニックや南イタリア系や中国系や日系(琉球系(Okinawan)や朝鮮系(Korean)含む)は良い意味でも悪い意味でも視野外だった。

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    *そもそも「W.A.S.P.の司令塔」ボストンは伝統的に「陰謀を得意とするユダヤ人と実働部隊としては優秀なアイルランド人のタッグに乗っ取られた」ニューヨークや「黒人解放奴隷の聖地として急成長を遂げた偽りの首都」ワシントンなどを敵視してきた。ニューヨークを脱出して「映画の都」を現出させたハリウッド業界人、「大富豪ハワード・ヒューズや「サウジアラビア王国の叩き上げビン・ラディン家と親しいブッシュ一族の様なテキサスの石油成金、金の匂いにつられて越境してくるヒスパニックらが不思議な形で共存を果たしている西海岸はあくまで視野外だったのである。要するに「アメリカに人種問題や民族問題は存在しない」という言い回し自体に間違いはない。ただそれどこれではない程激烈なエスニック・グループ間の合従連衡が繰り広げられてきた歴史が存在するばかりなのである。まさしく「例外状態」「敵友理論」を掲げたカール・シュミットの政治哲学すら色褪せて見えるほどの生物学的現実。これこそが「アメリカを動かしてきた何か」そのもの。その意味でトランプ候補の「政治的正しさ(political correctness)に構っている余裕はない」発言は拍手喝采を浴びたのだった。

    *とはいえトランプ候補陣営はこうした「アメリカの伝統」を分かっている様で案外分かってない。「急増するメキシコからの不法移民」に注目してこれを弾劾した点は確かに相応の支持を得た(それが「新移民に対する基本的嫌悪感」と合致するからだ)。しかしその一方でアメリカの大義に準じたイスラム系軍人への侮蔑は壮絶なまでの支持者急減をもたらした(それが「愛国心を最大の拠り所とする旧移民の尊厳」をも蹂躙する振る舞いと映ったからだ)。これではまるで地雷原を何の考えもなく「僕は死にましぇん!!  アメリカを愛してるから!!」と叫びながら突っ切ろうとしている様なものとも。

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  • そして何より重要なのは、アメリカには1960年代前半にリチャード・ホフスタッターが「アメリカの反知性主義(Anti-intellectualism in American Life、1963年)」の中で予言した様な「米国におけるエリート=インテリ=ブルジョワ階層の危機」が黒人公民権運動(African-American Civil Rights Movement、1950年代〜1960年代)の受容によって克服されたとする神話が存在するという事。
    *その結果、今や黒人はその1/4が(残り3/4から嫉妬される中産階層以上の)Black Establishment」となり(他のエスニック・グループからの嫉妬を緩和する為に)アファーマティブ・アクションaffirmative action)の返上を申し立てるまでになる一方で、Nation of Islamら「公民権運動時代の英雄達」がジェファーソン流農本主義的民主主義に基づいて「男尊女卑は黒人が黒人であり続ける為に守り伝えるべき伝統」などと言い出して肝心の黒人層からの支持を激減させている。

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    *アメリカ世論は冷徹にもフロリダ州ジマーマン事件やミズーリ州ファーガソン暴動といった黒人を台風の目玉とする人種対立暴動の背景に「ヒスパニック系自警団が黒人少年を射殺した事件すら白人対黒人に嵌め込んで扇動するマスコミの不条理」「成功した黒人は貧民街を脱出して富裕層の仲間入りをしたがる。その一方で貧民街にはさらに貧しい黒人層が流入して治安環境がさらに悪化していくジレンマ」などを指摘する。

    *こうした状況を背景としてしばらく前の国際SNS上ではKKKなどの(白人から見捨てられた)白人至上主義者達が「有色人種同志が殺しあってその数を減らす事は国際平和実現に貢献する」という立場から(全アジア系移民から揃って目を背けられている)「先天性戦犯民族日本人が全財産を奪い尽くされ、全員が強姦され尽くして、拷問による苦悶死を遂げてこそ世界平和と人類平等が達成される」と主張する過激反日団体(一般の韓国系アメリカ人が「これはもう中国共産党北朝鮮による韓民族孤立戦略の一環としか思えない」と弾劾して距離を置くほど酷い)や(黒人からさえ見捨てられた)あらゆる妥協の可能性を暴力によって排除しようとするNation of Islamを熱狂的に支持するのがトレンドとなった。こうした誰にとっても困った事態が「トランプ候補大躍進」をガス抜きとして緩和した事をアメリカ人はむしろ喜んでいる。

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こうした錯綜する状況を踏まえて初めて「どうして「公民権運動の勝者」たる黒人に対する「アメリカにおける永遠の敗者」南イタリア人の勝利が「エイドリア〜〜〜ン!!」という個人的絶叫に収束するボクシング映画に全米が泣いた」及び「どうしてその事がアメリカン・ニュー・シネマ(New Holywood)運動を終わらせたとまで評価されるに至る衝撃力を備えたか」が見えてくるんですね。「いちご白書(he Strawberry Statement 、原作1669年、映画化1670年)」においては「黒人労働者のデモに駆けつけた白人学生運動家達が白人というだけで袋叩きにされた」トラウマを「ロッキー(Rocky、1976年)」は心象風景的に、それも黒人を不愉快にさせない形で実現する事に成功したのです。それもよりによって「ギャング専(笑)」と馬鹿にされていた南イタリア人系移民の手によって!!
*しかしまぁ、フランシス・コッポラ監督「ゴッドファーザー(The Godfather、1972年)」、マーティン・スコセッシ監督「タクシードラーバー(Taxi Driver、1976年)」あっての「止めの一撃」だったという指摘もなくはない。そして、そうやって用意された「更地」に突如として「スターウォーズStar wars 1977年)」や「未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind、1977年)」が降り立つ訳である。

ちなみにシルベスター・スタローンは2010年代に入ってなお「面倒見がいい親分肌」という感じで戦い続けています。「The Expendables」とは「(戦場の)消耗品(つまり傭兵)達」の意。ハリウッド映画界が使い捨てにしてきたアクション俳優達に再起のチャンスを与える「七人の侍」的映画がコンセプトなのだそうな。


どうして「グラン・トリノ(Gran Torino、2008年)」みたいな傑作をものにしながら最近は「老害」と罵られるばかりのクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)とこんなにも差が開いてしまったのでしょうか?

もしかしたら、それはマルコムXが提唱した「誰も人に自由、平等、正義を分け与える事は出来ない。それは自ら掴み取る形でしか得られないものなのだ」という精神にどれだけ忠実に振る舞うかで決まってくるのかもしれません。「親分」はキャスティングまではしてくれますが、作中で目立ってちゃんと次のキャリアにつなげられるかは各人の度量次第という案外厳しい世界…


*「誰も人に自由、等、正義を分け与える事は出来ない。それは自ら掴み取る形でしか得られないものなのだ(Nobody can give you freedom. Nobody can give you equality or justice or anything. If you're a man, you take it. (Malcolm X (1925〜1965), Speaks, 1965年)」…米国においては最大人気を誇るこの名言、何故か「日本のマルコムXファン」の間では忌避されている模様。代わりに人気なのが以下の様な台詞。

  • 自由のために死ぬ覚悟がないのなら、「自由」という文字をお前の辞書から消すがいい(If you’re not ready to die for it, take the word ‘freedom’ out of your vocabulary)

  • 我々の目的は、いかなる手段をとろうとも、完全な自由・正義・平等を確立することだ(Our objective is complete freedom, justice and equality by any means necessary)

  • 自由を得るためなら手段を選ばない、そのことを敵にわからせろ。そうして自由が手に入る。それが唯一の方法だ(You get your freedom by letting your enemy know that you’ll do anything to get it. Then you’ll get it. It’s the only way you’ll get it)

  • 真実は虐げられる側にある(Truth is on the side of the oppressed)

  • 前科者であることは恥ではない。犯罪者であり続けることが恥だ(To have once been a criminal is no disgrace. To remain a criminal is the disgrace)

要するに「日本のマルコムXファン」って今日なお「公民権運動時代の英雄」Nation of Islamを理想視し続け「俺達が殺せと命じた相手を殺せない似非平和主義者は、まず本物の平和主義者たる俺達に殴り殺される」と豪語する層と完全一致? Nation of Islam同様、マルコムX当人が自伝の中で否定した「時代遅れのマチズモ」に今でも共鳴し続ける立場。最後に行き着く果ては間違い無く「究極の自由は専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマ。彼らは「自由の達成には軍隊と警察の廃止が必須条件である」と豪語するが、その結果として達成されるのは間違いなく自警団が割拠して各地住民の生死与奪の権利を握るジェファーソン流農本主義的民主主義の世界なのである。

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まぁ「ロッキー的解決」の先には(ロサンゼルス暴動(1992年)を予言したといわれる事も多い)「Do the right thing(1989年)」なんて思わぬ「しっぺ返し」も待ってた訳ですが。ただしロサンゼルス暴動で黒人暴徒達が実際に襲ったのは(しっかり「同じ底辺」という自覚のある)南イタリア人が経営するピザ屋ではありませんでした。
ドゥ・ザ・ライト・シング (映画) - Wikipedia

ロサンゼルス暴動 - Wikipedia

襲撃による被害額の半分弱が韓国人商店のものであるともされる。韓国人商店主らが防衛のために拳銃を水平発射しているシーンも幾度となくテレビにおいて放映された。

ちなみに彼ら韓国人店主らの多くはベトナム戦争の帰還兵だった。ベトナム戦争に参加した韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与えたため、70年代に韓国系移民が4倍も増えた。彼らは主に競合相手のいない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニック系を雇い、閉店すると店を厳重にガードし、そそくさと韓国人街へ帰るというスタイルで商売していた。黒人の間では「自分達を差別しながら商売する連中」というイメージが定着し、そうした黒人による日頃からの韓国系への鬱憤が、暴動時の韓国人商店襲撃へと結びついたといわれている。

また、当初は韓国人商店が襲撃されたが、後には他のヒスパニック系/白人/黒人/日系/中国系の店も襲撃されるようになった。
*まさしく「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く」世界。

こういう複雑に入り組んだ全体像を「アメリカでは今でも白人の黒人に対する差別が根強く続けている」の一言で要約し続けてる限り、アメリカで何が起こってるのかについての予測が外れ続けるのは、もはや必然とも?