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諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【シン・ゴジラ】【ゴジラ対ヘドラ】現実的な結末はどっち?

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庵野秀明監督映画「シン・ゴジラ(2016年)」には、ある種の「踏み絵効果」があるとされています。

  • ゴジラ(1954年)」の結末…若き天才科学者芹沢大助博士(平田昭彦)の決死の尽力によってゴジラの1匹が確実に倒されるも、山根恭平博士(志村喬)が「あのゴジラが最後の一匹とは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない…」と呟いて終わる。

  • シン・ゴジラ(2016年)」の結末…(とりあえず当面は原子力との共存を考え続けねばならない人類の現状を反映して)おそらく地上に1匹しか存在しないそれが、東京のど真ん中で一時的に機能停止する(何時活動を再開してもおかしくない)という結末を迎える。

ちなみに「シン・ゴジラ」の展開が「全然現実的でない正義が全く実践されてない」と口汚く罵る層は「ゴジラ対ヘドラ(1971年)」の結末を好むとも。

  • ゴジラ対ヘドラ(1971年)」の結末…「公害から生まれた怪獣へドラ」の襲撃を恐れるあまり、日本政府はあっけなく全発電所を停止。工業文明と自動車文明を全面放棄し「本当に人間らしい生活」へと回帰する。ちなみにへドラ退治後、結局元通りになった日本を再びへドラが襲う続編の企画もあって、それを示唆する場面もある。
    *国防上頼れそうなのはゴジラくらいだけど、そのゴジラがラストシーンで「今度は俺が人間を殺す番だ」と言わんばかりの勢いでこちらを睨み返し牙を剥く。そういえばゴジラも「人類の傲慢が生み出した災厄の一つ」で、必ずしも人間の味方とは限らない。そういう展開。


    *この結末、東宝がライバル視する東映が制作した「ジャイアント・ロボ(1967年〜1968年)」最終回への当て付けという側面があったとも。

これが理想的結末? ちょっと待ってください。「ゴジラ対ヘドラ」には、さらに当時流行した「若者否定文化」の一環という側面もあったのです。、ちゃんとその事、御存知なんですか?

 とにかく当時の旧左翼(親世代)は(新左翼運動や日活ニューアクション映画やゴーゴー喫茶なんてくだらないものに熱中する)若者達が徹底的に許せなかった様なのです。

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  • 当時若者達を熱狂させていたダイニチ映配の「日活ニューアクション映画」制作が反対運動もあって中止に追い込まれ、会社も倒産。
    「日活ニューアクション映画」から「東映ピンキー・バイオレンス」
    「野良猫ロック」と日活ニューアクションの時代/店主の誘惑

  • 松竹は「(同様に若者を熱狂させた)ハレンチ学園(原作1968年〜1972年、映画化1970年〜1971年)」の儲けを吐き出す形で「戦争と人間(1970年〜1971年)」を制作。そこで執拗に描かれた「大陸では民間人に対する略奪と強姦と虐殺に明け暮れ、八路軍ソ連軍といった(装備も何段階も上等な)正義の軍隊が現れると虫ケラのように殲滅されるだけだった日本軍」というイメージは、まさに今時の「無軌道な若者達」に密かに重ねられていたという。
    *「当時日本人でまともだったのは「日本唯一の良心」たる一部左翼だけで、残りはみんな本能の赴くままに貪る野獣と化していた」的なナレーションのも入る。新左翼運動衰退に乗じて相対的に勢力を取り戻した当時の旧左翼は(ソ連や中国の工作もあって)あくまで鼻息が荒かったのである。

  • ゴジラ対ヘドラ(1971年)」においても若者達は日本政府の方針を無視して自動車で富士山麓に集まり、エレキ楽器を掻き鳴らすゴーゴー大会を開催してへドラを呼び寄せ(それまで主人公格だったヒロインの恋人の爽やか青年も含めて)みんな溶かされて死んでしまう。その一方で自衛隊はヘマばかり繰り返すだけで全く役に立たないお笑い担当。

  • 角川映画もこの路線を継承し「野生の証明(1978年)」「戦国自衛隊(1979年)」において自衛隊を「(一部の良心的隊員を除けば大半は)獣の群れ」として描き続けたので、撮影に際して防衛庁の協力がほとんど得られなかった。

こういう状況を背景に1970年代後半には「旧左翼と新左翼の歴史的和解」が為されたというのが旧左翼側の歴史観。しかしその実態は割と「弱体化した新左翼陣営に対する旧左翼陣営側からの一方的併合宣言」だったという見方も存在します。家父長制を生涯肯定し続けたフロイトいわく「放浪息子は親の権威主義に全面的に服従する準備段階として反抗期を迎える」。そういう考え方に従う限り、若者側に反論の機会など与えられる筈もなかったのです。
*その一方では「双方ともイデオロギー的執着心を放棄したので喧嘩の理由がなくなった。だがそれこそが左翼陣営の「烏合の衆」化の始まりだった」とする立場もある。

ただ別にこうした歴史的展開そのものは、日本の枠内に限定して考えるべき話でもなかったりするのです。

また、当時流行した「若者否定文化」の背景に、毛沢東が1966年から1968年にかけて猛威を振るった紅衛兵の暴走を見るに見かねて上山下郷運動(1968年〜1969年)で約1600万を農村や辺境にバラバラに追放した事件の影響を見て取る向きもある。
紅衛兵 - Wikipedia

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  • 1988年にベルリン国際映画祭金熊賞、百花奨・金鶏奨最優秀作品賞を受賞した張芸謀監督の「紅いコーリャン(1987年)」の原作として知られるノーベル文学賞受賞作家莫言の「赤い高粱」「続 赤い高粱」において暴虐の限りを尽くす日本兵もまた「紅衛兵の暗喩」と理解されている。

    *ちなみに当時の紅衛兵イデオロギーは今日なお(当時その影響を受けた)北朝鮮の主導的イデオロギーであり続けている。一言で要約すると「富裕層や非愛国者を遺伝子的劣悪者と認定し絶滅を図る、ある種の民族優性主義」。数年前にアメリカのネット上にばらまかれた「身障者や黒人や東南アジア人や日本人を同じ人間として扱う方がむしろ国際社会が許さないレイシズム」というプロパガンダについて、韓国系アカウントが即座に「北朝鮮人かその影響を受けた朝鮮族の仕業」と断定したのを見るに、今日ではこういう立場が従北派の主張の基本フォーマットとなっているらしい(金正恩最高指導者の推奨によりアドルフ・ヒトラー我が闘争(Mein Kampf、1925年〜1926年)」が必読書とされる様になった事と無関係ではないとする説も)。ちなみにこの最終的には無残な失敗に終わったプロパガンダ、一時的にはKKKら白人至上主義らから「いずれにせよ劣等民族同士が殺し合ってその数を減らす事は世界平和の為に貢献する」という立場から激励される局面も存在した。

    *理論上、その歴史的経緯から中国共産党からも、それと対立する「毛沢東主義集団」からも徹底的に毛嫌いされている筈の思想だが、紅衛兵世代が中国共産党の上層部に浸透しつつある事、2014年以降本格化した「(全国各地の港湾使用権を獲得し、鉄道網を敷設し、近隣地域からじわじわと実質的植民地へと変貌させていく)一帯一路」路線との相性が極めて良い事などから、なかなか払拭出来ないでいるという話も。

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様するに「反動」って奴ですな。その一方で、そもそも当時流行した「若者否定文化」がどういう実績を挙げたかについても、ちゃんと検証しなければいけません。そもそも倫理規制の歴史なんて、前史からして滅茶苦茶なんですから。

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  • それが正しいか誤っているかはともかく、Hays Code(1930年制定、1934年〜1968年履行)に端を発する米国倫理規定は原則としてタルド模倣犯罪学から出発し「人間は模倣を通じて悪に染まる」「ならば模倣対象そのものを視野内に置かねば良い」という立場に立つ。
    *「誰が参照して悪用する分からないから、映画やTV番組で犯罪手口を詳細まで紹介するな」は、常識の範囲内で理解できる。だが「喫煙者根絶の為、映画やTV番組から喫煙場面を一切排除する」は嫌煙ファシズム。そもそも大元が「犯罪学」で犯罪予防が主目的だった事を決っして忘れてはいけない。

  • ギャングやその情婦を憧憬の対象となる様に美化して描いてはいけない」という条項も存在したが、結果的には「健全な生活や幸福な結婚を推奨する物語」でなく「ギャングや情婦が太く短く生きて悲壮な最期を遂げる物語」を推奨する形になってしまった側面も。
    *まぁこれは1929年に勃発した世界恐慌禁酒法(Prohibition、1920年〜1933年)が生み出した殺伐とした空気のせいでもあったのである。例えばマーガレット・ミッチェル風と共に去りぬGone With the Wind、1936年、映画化1939年)」に登場するレッド・バトラーのモデルは筆者の元夫だった密造酒の売人。本当に悪人として描き切れているだろうか? 自分も「情婦」の立場にあった事への反省は十分盛り込まれた作品だったろうか? 一が万事がこんな調子だったのである。

  • ただ皮肉にも、この時代の最終勝者となったのはフランク・キャプラ監督のスクリュー・コメディやウォルト・ディズニーの幻想的な長編アニメだったのである。当時の制作者側や「評論家達」からはボロクソに言われ続けたが、当時の大衆心理をつかむには、むしろ「健全な生活や幸福な結婚を推奨せよ」というHays Codeの趣旨に従うのが正解という側面もあったという事である。
    *「評論家達」…特にHays Codeを制定したのが禁酒法を廃止に追い込んだカトリック陣営だった事から対抗意識を燃やしていたプロテスタント系論客が執拗にこき下ろし続けたという。また日本における同時代の「小市民映画」でも同じ傾向が見られたが、こういうケースでは軍国主義者と社会主義者が声を揃えて「こんな現実無視の作品は発表を許されない」と連呼するものなのである。

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  • その後プロテスタント陣営とカトリック陣営はこの問題についての和解に至ったらしく、1950年代以降は(おそらく双方の「煩さ方」市民団体の合同が成立したか、あるいは実績競争に突入したが故に)全米規模での強力な倫理統制体制が敷かれる事になる。彼らを「手本とすべきリベラル派」と認識した日本のリベラル層も、これに便乗して「悪書追放運動」を展開。
    *「手本とすべきリベラル派」…実際には、むしろある意味、今日の「トランプ・サポーターズ」の先祖筋だったとも。ちなみに、流石にアメリカですらこれについては「え? それじゃテッド・クルーズを選んだのと同じだよ」の声も。

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    *近年のポリコレ騒動を彷彿とさせるが、当然この時も行き過ぎが原因で大規模な反動を誘発。ベトナム戦争泥沼化による国家権威失墜を契機に一気に激化したヒッピー運動と黒人公民権運動がそれ。そして冒頭に戻る。

徳川幕府による倫理規制も後世に「男の娘」とか「触手物」とかを残しただけでした。この領域では「なまじ罰が用意されると、逃げる楽しみも生じてしまう」 展開がしばしば見られるのです。

それでは「ゴジラ対ヘドラ(1971年)」ではどういう展開があったんでしょう?

「ゴジラ対ヘドラ(1971年)」 - Wikipedia

東宝チャンピオンまつり」の一編として公開された東宝製作の日本映画で、ゴジラシリーズの第11作である。観客動員数は174万人。シネマスコープ、85分、カラー作品。

  • 時代背景として、大きな社会問題であった公害問題を前面に打ち出し、特に当時話題だった「四日市コンビナートの工場煤煙」「田子の浦港ヘドロ公害」を題材に採った作品。その田子の浦港の汚染された海から生まれた怪獣ヘドラと、怪獣王ゴジラが対戦する。

  • 1971年当時、大都市圏では光化学スモッグによって児童生徒が集団で倒れる事件も相次ぎ、劇中で描かれるヘドラの猛威は、現実と重なるリアルさをもって描かれていた。劇伴音楽もこの公害の猛威を強調する意図で作られている。

  • また本作には人間の皮膚が焼けただれる描写や白骨化する描写などの残虐な演出も多く、劇中で主人公一家の青年・毛内行夫がヘドラに殺されるなど、物語や音楽も全体的に暗く重い。ゴジラをヒーローとして空を飛ばせる(飛ぶ直前には、ゴジラがヒーローらしくポーズすら決めてみせる)など、観客である子供へのサービスも忘れてはいないが、ラストシーンではゴジラに(身勝手な人類に対する)怒りの表情を持たせるなど、単なる勧善懲悪に終わらせていない。

娯楽の多様化とテレビの台頭による「邦画の斜陽」は、当時の東宝本社に深刻な制作本数の減少と売上の悪化をもたらし、「何をやっても当たらない」という状況となっていた。また、東宝特撮映画の顔であった特技監督円谷英二が前年初頭に死去したうえ、主要スタッフのほとんどが東宝を辞職もしくは異動させられるなど、当時の東宝特撮の現場はほぼ崩壊状態にあった。東宝本社は組織を解体細分化して「映像事業部」などを発足させ、東宝の看板であった特撮映像技術の生き残りを模索していた。

  • こうした中、プロデューサーの田中友幸は「もう一度ゴジラを考えよう」と、日本万国博覧会(1970年)の「三菱未来館」の企画や『日本海大海戦』(丸山誠治監督、1969年)の実景撮影などで円谷組の補佐を務めた、坂野義光に企画を依頼した。坂野は「何でもいい」と言われたので、前年に起きた光化学スモッグ事件(校庭にいた女子高生が集団で倒れた)をきっかけに本作の企画を考え「『いま最もポピュラーな悪は公害だから、公害の怪獣でもいいですか』と田中プロデューサーに聞いたら『いいよ』との答えだったので、ここから企画が始まった」と述べている。
    坂野義光黒澤明監督映画「蜘蛛巣城(1957年)」「どん底(1957年)」「隠し砦の三悪人(1958年)」「悪い奴ほどよく眠る(1960年)」の助監督も務めてきたベテラン。

  • ちなみにこの年春と前年夏、冬の「東宝チャンピオンまつり」興行では、旧作ゴジラ映画の短縮再編集版がメインにおかれた。夏興行用に制作された本作は「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃」以来、2年ぶりの新作ゴジラ映画となった。公開時のキャッチコピーは「流れ星でやって来た公害怪獣ヘドラ!街を森をふみつぶし 二大怪獣が大決戦!」。

  • 坂野の中で、当時の公害は大きな存在だったという。大阪万博の打ち合わせの行き帰りに通る四日市や田子の浦の環境汚染は、坂野に強い印象を残した。「第1作目の『ゴジラ』にあったメッセージ性を取り戻したい」との気持ちも強く「エビのお化けやなんかと闘うとかじゃなく、最もポピュラーな社会悪と闘うという形にしたい」という考えがあったという。

  • 坂野は馬淵薫と共同作業で脚本を執筆しているが、物語の基本的な構想は、すべて坂野の意向が反映されたものとなっており、「ヘドロの中から成長していく」というヘドラの設定については「ゴジラ放射能から出てきたのと同じ発想があった」と語っている。

  • 坂野は本作の主題歌「かえせ!太陽を」の作詞も手掛けているが、この歌の「鳥も魚もどこへ行ったの」や「野も山も黙っちまった」などの詩文は、当時アメリカの反公害運動のテキストだったレイチェル・カーソン沈黙の春」からイメージをとったものだった。

  • 坂野は特撮班の中野昭慶と「これまでのシリーズにない映像を採り入れよう」と打ち合わせたとのことで「マルチ画面やアニメーションによる抽象的な社会描写の多用」「監督自身による水中撮影」など、全編がゴジラシリーズとしては異色の映像で彩られている。

  • 冒頭ヘドロの海が延々と写されるのも「公害」を訴える演出意図によるものであり、坂野は「あれだけ強調してやっとわかるんじゃないかと思う」と語っている。汚染された海面は特撮大プールに本物の魚や各種素材を混ぜ込むことで表現したが、撮影当時の季節ゆえに腐敗が速く、悪臭がものすごかったという。

  • 本作では飛行形態となって逃げるヘドラゴジラが追う際、「ゴジラが口から熱線を放射する反動で後ろ向きに空を飛ぶ」というシーンが描かれて話題となったが、この描写のために撮影スケジュールには支障が生じている。「ゴジラの飛行」は、監督である坂野と特撮班のリーダーである中野が「テレビ時代のスピード感を」と提案して採り入れたものだが、これに対してプロデューサーである田中は猛反発した。このシーンでの田中と坂野による論争を含め、低予算での制作体制が現場にさまざまな軋轢を生み(本編班で助監督を務めていた川北は、正統派怪獣映画としては本流から外れるこの「公害テーマ」には違和感があったと述べている)、撮影中途で制作予算が尽きてしまった。このため、東宝本社は本作の制作を打ち切ることを決め、撮影を中止するよう現場に伝えた。

  • そこでスタッフは、前作まで本編演出の要として「ゴジラシリーズ」を支えてきた本多猪四郎に中途までのフィルムを観てもらい、監修してもらう形でなんとか本社から制作再開をとりつけた。こういう役割を本多に依頼しなければ、到底再開は無理な状況だったという。

  • こうした最中、田中が体調不良で入院した。坂野はこれを幸いと、その間に東宝の重役、宣伝部長、撮影所所長らから「ゴジラの飛行」の許可をとりつけ、劇中に盛り込んだ。中野によると、この「ゴジラの飛行」は内外でも賛否両論だったが、アメリカでは大絶賛されたといい、宣伝部長や撮影所所長らも「スピード感が出ていいんじゃないか」と褒めてくれたという。このシーンは坂野によると「カットしても前後がつながるよう撮った」とのことであるが、田中が退院した時点ではもう変更できない段階だったとのことで、試写でこれを観た彼は「ゴジラの性格を変えてもらっては困る」と立腹し、しばらく坂野と口をきかなかったそうである。後年、坂野は田中が「あいつには二度と特撮映画を監督させない!」と激怒していたことを人づてに聞いたと語っている。なお、坂野は本作の続編企画を立てていたが、実現しなかった。
    *アメリカ版「ゴジラ上映の歴史」という本にも「あいつ(坂野)には二度と特撮映画を監督させない!」という発言があったと記載されている。実際、以降は得意の水中撮影を生かしテレビ番組『すばらしい世界旅行』や海洋物などのドキュメンタリー、博覧会などのイベント映像に活躍の舞台を移すことになる。

しかし、こうした困難を経て完成した当作は、夏休み興行に空前の「変身・怪獣ブーム」を受けてまずまずのヒットを記録したため、東宝は「ゴジラが他怪獣とチャンピオンの座を競い合う」というコンセプトのもと、ゴジラ映画を中心とした「東宝チャンピオンまつり」興行を本格化する。また、翌年にはさらにヒーロー化したゴジラにキャラクタライズされた新怪獣ガイガンを加え「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」を制作することとなる。

そして、こうした展開の裏側では、さらにこんな苦境も。

春日太一「仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―」

東宝映画の藤本真澄社長は当時こう語っていたという。

「苦しくなったからといって裸にしたり、残酷にしたり、ヤクザを出したり……そうまでして映画を当てようとは思わない。俺の目の黒いうちは、東宝の撮影所でエロや暴力は撮らせない」

だが、東映が1960年代の後半に一気に興行成績を上昇させていったのに対し、東宝は会社創立最高成績を1967年に挙げるものの、翌年から急降下していくことになる。

藤本が見誤っていたのは、映画館を訪れる客層の変化だった。これまでは映画館には幅広い層が来ていたが、1960年代後半から1970年代初頭にかけてにかけては二十歳前後の若者が主体になっていった。当時の若者の多くは、学生運動が盛んになる中で、従来にはない激しさと新しさを映画に求めた。その結果、イタリア発のマカロニウエスタン、アメリカ発のニューシネマ、日本でもピンク映画と、従来の価値観に「NO」を叩き付けるような反抗的な「不健全さ」が受けるようになる。

東映はこうした時流に乗り、任俠映画とポルノ映画で隆盛を迎えるが「清く正しく美しく」の東宝は、時代に乗り遅れることになる。老齢を迎える森繁の「社長」シリーズや、三十歳を迎えるのに相変わらず爽やかな健全さで売る加山雄三の「若大将」が、こうした時代に受け入れられるはずもなかった。時代に対応できない東宝は「スター・タレントの養老院」と揶揄されるようになる。
*これが黒澤明監督映画「赤ひげ(1965年)」ラストで赤ひげ先生(三船敏郎)からバトンを渡された保本登(加山雄三)の末路?

「今の時代、そんなの作っていても当たりませんよ」

多くの批評家たちが藤本真澄に批判の声を浴びせた。「社長」シリーズのキャスティングの若返りなどがスタッフから持ちかけられるが、それでも藤本は「それでは『社長』ものにならん」としりぞけてしまう。

これまでのパターンを変えようとしない藤本の路線は飽きられ、1968年になると観客動員は一気に落ち込んでいく。特に二週目の客足が悪く、客層の浅さが露呈してしまった。それでも、新たな客層を獲得するのは藤本体制下では困難な状況にあった。

  • 国際的倫理規定がどうのこうのというより、とにかく東宝経営陣側としては「ライバルの東映の様な(今時の若者に媚びた)下賎な映画」は制作したくなかったのである。

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  • それでも制作側は諦めなかった。あくまで憶測だが「ゴジラ対ヘドラ(1971年)」は、企画段階では「確かにこの作品には(東宝経営陣側の大嫌いな)今時の風俗の若者が沢山登場します。でも御安心ください。彼らは悪魔に魅入られた根っからの悪人ですから、次々と容赦なくへドラの餌食にされて無残な最期を遂げていきます。なぁに自業自得だから観客も拍手喝采ですよ」とでも説明したのではなかろうか。
    *まさしく「Hays Code制定がかえってギャング映画を増やしてしまった」悪魔の理論。発想の源流自体はニューシネマ(New Hollywood)にまで遡れそうだが、そうした作品で非業の死を遂げる若者達には少なくとも悲劇的英雄として死んでいくナルティスティックな自己陶酔があり、観客から惜しみない同情が注がれたものである。しかしながら同じ体裁の「悪魔のいけにえ(The Texas Chain Saw Massacre、1974年)」や「13日の金曜日(Friday the 13th、1980年)」といったスプラッタ映画にその種のセンチメンタルな感情は一切残存してない。国際的な「若者否定文化」の流行と、それを逆手に取った制作側の悪知恵の組み合わせ。これが新たなジャンルを誕生させてしまったのである。しかもその展開に真っ先に拍手喝采したのは誰であろう(ニューシネマ的センチメンタリズムに飽き飽きしていた)若者達自身だった。このジャンルはなんと成立と同時に新たな顧客層開拓に成功したのである。


    *彼らのイメージでは「対話不可能で、理不尽なルールを一方的に押し付けてきて死に至らしめる殺戮者」こそが狂った大人達の象徴。そしてこの構図がスティーヴン・キング死のロングウォーク(The Long Walk、1979年)」、ブルック・シールズ主演映画「青い珊瑚礁(The Blue Lagoon、1980年)」、スティーブン・スピルバーグ監督映画「E.T. the Extra-Terrestrial (1982年)」といった作品を経由て高見広春バトル・ロワイヤルBATTLE ROYALE、1999年、東映映画化2000年〜)やスーザン・コリンズ「ハンガー・ゲーム(The Hunger Games、原作2008年〜2010年、映画化2012年〜2015年)」などに継承される事になる。その「ハンガー・ゲーム」も、大人達がいつの間にか自分たちの側に回り込んで「さぁ一緒に革命を達成しよう!!」とかはしゃぐ様になると、あっけなく若者達から切り捨てられてしまう。

  • こうして実際に完成したのは完全に「日本の若者向けの作品」だったので、それなりの興行成績を挙げたにもかかわらず東宝経営陣側は激怒。やがて監督は映画界を後にする事に。制作過程そのものがニューシネマ(New Hollywood)?
    *「日本の若者向けの作品」…当時の日本の若者文化そのものは、海外から見れば完全に時代遅れの代物だったので、それ自体についての国際的評価は皆無。しかしビートルズ映画「イエローサブマリン(Yellow Submarine、1968年)」や「空飛ぶモンティ・パイソンMonty Python's Flying Circus、1969年〜1974年)」めいたサイケデリック・アニメや「ゴジラが吐息で空を飛ぶ場面」については今でもそれなりにカルト人気が存在する。

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こうした「倫理規制」を巡る展開、共産圏においてはさらに凄まじいものとなります。

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  • それが正しいか誤っているかはともかく、科学的マルクス主義は「タルド模倣犯罪学」そのものを認めていない(社会学成立期にデュルケームの方法論的集団主義に完膚なきまでに論破されたという立場に立つ)。その代わり公開処刑の現場に幼少時から立ち会わせたりして「何が悪かについてしっかり条件付けする」のが基本。子供の頃から中沢啓治はだしのゲン(1973年〜1985年)」を読ませ、思春期に入ったら「サンダカン八番娼館 望郷(原作1972年、映画化1974年)」に繰り返し触れさせて「日本人が如何に劣等な民族か」骨の髄までたたきこむという考え方もこれに由来する。
    *フランスの思想家ミッシェル・フーコー「監獄の誕生―監視と処罰(Naissance de la prison, Surveiller et punir)」の基準で言うと近世絶対王政頃の身体論に該当。日本だと江戸幕藩体制(それも割と初期)に該当。まだまだ「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的体制」の残滓が色濃く、領内では「領主が自由に振舞う権利」を阻害する事そのものが犯罪視される。歴史上は市場経済浸透によって瓦解してきたが、逆に市場経済を放棄するとここに戻る事になる。

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    *こうした考え方が日本リベラル層に浸透した時期って、不思議と日本共産党中国共産党ソ連が次々と送り込んでくる工作員やスパイの撲滅に躍起になっていた時期と重なる。果たして偶然なんだろうか? 藤子不二雄「劇画毛沢東伝(1971年)」が執筆され、横山光輝が「中国物」に手を染めるのもこの時期。関連性の証明までは不可能ながら、とりあえず大金を投じてメディアを味方につけたり、シンパ確保を着々と進めていた活動の一環だった可能性が高い。

    『劇画 毛沢東伝』(藤子不二雄A) : 異常な日々の異常な雑記

  • それでは「戦争と人間(1970年〜1971年)」にヒントを得た「民間人に対する略奪と強姦と虐殺に明け暮れる日本軍を(装備も何段階も上等な)正義の軍隊が八路軍が姿を現した途端、虫ケラのように殲滅する反日作品ばかり、繰り返し繰り返し毎日視聴させられながら育った中国の若者達は一体どうなってしまったのか? その結果生み出されたのが、事あるごとに「一刻も早く日本に上陸させろ!! 一人残らず略奪し尽くし、強姦し尽くし、殺し尽くしてやる!! どうせ軍隊も警察も虫ケラみたいに弱いんだろ!!」と連呼する憤青達といわれています。要するに若さに任せて「戦えば無敵」という部分と「略奪・強姦虐殺し放題」という部分をくっつけて新たなヒーロー像を生み出してしまったという次第。娯楽の少ない田舎(移住の自由を与えられていない農村戸籍者の本拠地で、中国人口の6割を占め、生活苦から法を破って都会に出稼ぎに向かう少なくない)ほど「条件付け」が深いといわれる事もあるが、詳細はあくまでわからない。

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    *少なくとも都心部でデモを組織したりする連中が「生涯割り当て区画を出ず、自分の土地を耕して一生を終える模範的農村戸籍」ではないのは確か。そもそも農村戸籍者は都市戸籍者の大半から概ね人間扱いされておらず、その差別意識が生んだよくある流言の一つに過ぎないとも。

    ①この問題は掘り下げると案外ややこしい。例えば反日番組や反日映画を制作している人間が反日主義者とは限らなかったりする。それを誰の目から見ても荒唐無稽なファンタジーに変貌させたのはむしろ善意の人で、視聴者の迷妄を覚ます為にあえてそうしたのかもしれないのである。

    中国の「抗日テーマパーク」を緊急リポート

    ②事あるごとに「一刻も早く日本に上陸させろ!! 一人残らず略奪し尽くし、強姦し尽くし、殺し尽くしてやる!! どうせ軍隊も警察も虫ケラみたいに弱いんだろ!!」と連呼する連中も、全員が本心からそう主張しているとは限らない。こうした主張が過熱した結果、中国共産党反日番組や反日映画の制作体制を見直しを発表せざるを得なくなった。また実際の八路兵の証言として「よく訓練され、装備も充実した日本正規兵に対し、我々はむしろ生き延びるのに必死で銃も旧式のライフルが二人から三人に一丁あれば良い方だった」といった内容を公表し、自ら「八路軍無敵神話」を打ち壊そうとすらしている。最初からこういう動きを引き出すのが目的だった「頭脳派」も確実に混じっている様なのである。ただ、その程度の情報なら良い意味でも悪い意味でもエドガー・スノー「中国の赤い星(Red Star Over China 1938年・1944年)」にだって記録されてる。
    188夜『中国の赤い星』エドガー・スノー|松岡正剛の千夜千冊

    ③真の問題は「そもそも日中戦争(1937年〜1945年)で日本と主に戦ったのは国民党軍で、中国共産党華北を中心とする解放区で息を潜めていただけ」という国家機密を、それなりに目端の利く中国人ならとっくに知っているという事。その上で決っしてそれについて触れられない党側を揶揄したり、逆ギレした論客に矛盾だらけの嘘を重ねさせて喜んでいる「さらなる頭脳派」もまた確実に混じっている様なのである。最近の「(既に外国ニュースを取り込める唯一の手段となっていた)VPNの完全遮断」の背景にも、こうした存在を駆除し切れない焦燥感があったのかもしれない。
    *要するに「市場経済の否定=万事が政治的課題(権力闘争)の題材として扱われ得る」という等式が成立してしまう様なのである。

    *こうしてみると中国の「憤青」も、案外その実態は案外アメリカの「オルタナ右翼Alt-Right)」の構造と大差ないかもしれない。大勢の馬鹿を扇動する中核に「当人自身は何一つ信じてない」ゲッベル・スタイプのニヒリスト集団…

ハンナ・アーレントいわく「悪との絶えざる対決抜きに存続し得ない様な正義は、既にその悪の一部である」。「(制作過程も含めた)ゴジラ対ヘドラの世界」が暗喩してるのはユートピアどころか、西部開拓時代の開拓民みたいな「家父長が家産と家族を全人格的に代表する農本主義体制」への回帰であって、この世界で自由なのは家父長のみ(しかも自領内限定)だったんですね。まさしく「究極の自由は専制主義の徹底によってのみ達成される」世界。

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ただ、こうやって事例を重ねてみると「大人が迂闊な形で若者にちょっかいを出すと必ず事態がこじれる」が結論でもいい気もしてきました。若者側の抵抗力、案外侮れない気も…