諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【今は亡きTumbrの思い出】「女子は可愛いものと猟奇が好き」?

ここ最近手元の画像倉庫を整理していたのは10年前2010年代前半に流行した「女子は可愛いものと猟奇が好き」Memeをほじくり返したかったからです。

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この一見「私は人種差別と黒人が嫌い」みたいな矛盾を内包してるかの様に見える章句、実は以下の様な生理学的根拠に基づいていたんですね。

1960年代も後半に入ると映画業界は国際的に「TV普及に伴う観客動員数の減少」なる現実に直面した。当時日本の映画館に掛かっていたのは主に(海外基準からすれば早撮り=粗製濫造の類に部類される)国産中編三本立てであり、(当時ハリウッド界隈で流行していた)ブロックバスター災害映画Templateに選んだ東宝の「日本沈没(東宝、1073年)」や「(The Godfather,1972年)」をTemplateに選んだ東映の「仁義なき戦いシリーズ(東映、1973年~1976年)」の商業的成功を契機に「相応の予算を投じた娯楽大作の一本立て上映」が興行形態として安定するまで試行錯誤の時代が続く。つまりここでいうTemplate導入とは物語類型の類というより「娯楽大作に単独公開が可能な内容を持たせるベく相応の予算を投じる枠組み」そのものの輸入だったといってよい。

  • そもそもそれ以前の映画業界における最大の悩みのタネはカラー化コストであり、在りし時代のハリウッド業界は基本的に豪華キャストの古典的名作やスペクタル史劇やミュージカル映画のみカラー映画として国産し、大衆向けの怪奇映画や特撮映画のカラー化は英国や日本に任せる戦略を採用してきたのである。
  • もちろん当時も体制反逆者達(Rebels)自体は生まれ続けてきた。「ニュース報道同様、本編の前座に過ぎない」モノクロ短編として出発したアニメ映画に大予算を注ぎ込んで単独公開可能なアニメーション大作映画「白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs, 1937年)」を興行的に成功させたウォルト・ディズニー。そしてかかる国際的分業体制に疑問を持って(当時既に著作権フリーになっていた)エドガー・アラン・ポー作品を原作とするカラー怪奇作品群をリリースしたロジャー・コーマン監督。しかし当時は、その(ウォルト死後、その「芸術的大作路線」が祟って大衆支持を失った)ディズニー・スタジオがTVアニメ・ジャンルで苦戦し、ロジャー・コーマン監督が監督業廃業を宣言するほど過酷な状況だったのである。
  • この時代のハリウッド業界は「もはや映画は良家の白人向けの娯楽ではなくなった」と判断して低予算の黒人搾取映画(Blaxploitation Movie)制作や香港映画界の量産するカンフー映画輸入に邁進。かかるある種のアパルトヘイト戦略の産物として後世にはSex Symbolとしてのパム・グリアAction Heroとしてのブルース・リーが時代代表者として語り継がれる展開となった。一方英国映画界も(そもそも「カリブ海大好きおじさん」ことイアン・フレミングの原作からして普通に黒人もアジア人も登場しまくる)007シリーズや怪奇カラー映画の老舗ハマー・フィルムが生き残りを賭して様々な試行錯誤を繰り返す。何故「死ぬのは奴らだ(Live And Let Die,1973年)」だったのか? 何故「ドラゴンVS.7人の吸血鬼(The Legend of the 7 Golden Vampires,1974年)」だったのか? かかる当時の経営判断こそがまさにその答えだったという次第。

こうした時代背景さえ理解してしまえば、当時あれほど映画業界において「(TV放映不可能という意味合いで聖域に位置付けられる)過激な性描写と暴力描写」が重要課題として急浮上してきたのは自明の理としか言い様がなくなってくる。

  • 監督廃業宣言をしたロジャー・コーマンが直後にプロデューサーとして手掛けたのが女囚物の嚆矢「残酷女刑務所(The Big Doll House;1971年)」「女体拷問鬼看守パム(Women in Cages,1971年)」「残虐全裸女収容所(The Big Bird Cage;1972年)」の三部作。もしかしたらロジャー・コーマン1970年代以降の映画界業界について「未来の映画館には(倫理的制約を逃れる為に異国を舞台とした)ピンク・バイオレンス(性的要素を含む過激な暴力表現)を売り物とする低俗映画しか残らない」と判断し、そんな世界で監督は続けたくなかったのでプロデューサーへ業の専念を宣言したのかもしれない。
  • 一方、ハマー・フィルム・プロダクションも「Vampire Lovers(1970年)」「ドラキュラ'72(Dracula A.D.1972,1972年)」「 新ドラキュラ/悪魔の儀式(The Satanic Rites of Dracula, 1973年)」「ドラゴンVS.7人の吸血鬼(The Legend of the 7 Golden Vampires, 1974年)」と制作を進める過程で次第にピンク・バイオレンスへの傾斜を強める。しかしながら「(海外のサイケデリック・ムーブメントを大胆に取り入れた)ゴジラ対ヘドラ(1971年)」同様「性と暴力に耽溺する無軌道な若者達はその勝手さ故に自滅する古典的勧善懲悪観から脱するまでには至らず新規顧客獲得に失敗し、倒産を余儀なくされてしまう。

こうして国際的にあらゆる映画監督が「(ネットMemeでいうところの)英雄として死ぬか、生き延びて悪に染まるか(You either die a hero…or you live long enough to see yourself become the villain.)」問われた時代、奇しくも日本の少年漫画業界は(PTAに屈して自粛の塊になり果てた)少年向け月刊紙が(劇画ブームの影響なども受けてより過激な性描写や暴力表現ををウリとする様になった)少年向け漫画週刊誌によって駆逐され廃刊に追い込まれる展開を迎える。そしてまさにかかる国際的閉塞感を突破する錐として時代の寵児として「漫画家永井豪爆誕した訳である。

  • デビルマン(1972年~1973年)」は「人間の悪しき願望を体現するデーモン軍団の来襲が不可避となり、最後の救いがデーモンと融合してその力を得つつ人間としての倫理観を保つ若者の登場に託される」物語であり、「マジンガーZ(1972年~1974年)」は「科学至上主義に憑かれて息子夫婦も殺してしまった狂科学者がその償いとして研究結果を孫に託す。孫はその力を好きな様に使う事が出来たが(研究の過程で人間の心を失った他の)科学至上主義者から人類を守る盾となる道を選ぶ」物語だった。しかし当時の時代的制約から前者は「正義を選んだデビルマンが最終勝利を飾る勧善懲悪譚」としては語り得なかった上に、かかる意味合いにおける「兜甲児の正義」は「グレートマジンガー(1974年~1975年)」での、より職業軍人めいた「剣鉄也と炎ジュンの正義」への差し替えを余儀なくされたのである。
  • むしろ皮肉にも今日的価値観につながったのは「けっこう仮面(1974年〜1978年)」だったといってよい。1960年代から1980年代にかけて日本漫画界に革命を起こした女性漫画家達は揃ってこの作品について横山光照伊賀の影丸(1961年〜1966年)」同様、拷問シーンで「最初の性の目覚め(体の内側に感じられるムズムズ感)」を得たと述懐。その次元におけるエロティズムにおいては「最後は必ず助かる」安心感こそが成立の前提状件となる事を繰り返し強調した(ただし竹宮恵子は後に未来の少女達に「かかる劣情も男性の同性愛に仮託すれば恥ずかしくない」なる強力な免罪符を与えてしまった事を後悔している)。一方、1980年代後半以降性行為描写を過激化させたレディコミにおいては、作中の女性人物が、強姦されたり緊縛されるなどマゾヒスティックな立場におかれる事が多かったが、漫画評論家藤本由香里によれば「女性が自分から異性を求めるのははしたない」なる規範を打破する為、男性に強制されるという形で性行為を描く必要があったという。こうしてピンク・バイオレンスの領域には、それまで人類に知られてこなかった未知の側面が存在する事が次第に明かとなってきたのだった。

こうした謎の重要な一環が解明され、世に広まるのは21世紀に入ってからである。例えばトム・スタッフォード&マット・ウェッブ MIND HACKS:実験で知る脳と心のシステム(Mind Hacks: Tips & Tricks for Using Your Brain, 初版2004年)」には、くすぐったさと笑いを生み出すメカニズムとして、以下を紹介している。

  • くすぐったいと感じる場所は、一般に耳の周辺、首筋、脇の下、手の甲、もものつけね、膝の裏、足の甲や裏など、動脈が皮膚に近いところを通っている部位である。こうした部分は万一怪我をすると多量の出血を伴いかねない「危険部位」であり、そのため付近に自律神経が集まって外部からの刺激に対して特に敏感になっている。くすぐりによる刺激は、クモが体をはい上がる・ハチが肩に止まるといった危険を含んだ刺激と判断され、注意が向けられる。
  • この自律神経と密接な関係にある小脳は、こうした危険部位への刺激に対する予測と、それに対する感覚の制御を行っている。したがって自分でそうした部位をくすぐってみても、その刺激は小脳の予測どおりなので、小脳が感覚を制御するため違和感が生じない。ところが他人にくすぐられると小脳はこれを予測することができないので、感覚の制御は不能として脳は混乱状態に陥る。その不快な感覚が「くすぐったい」という感覚であり、そうした「生命にとっての危機かもしれない」と錯覚された状態から逃れようとする自律神経の過剰反応が「笑い」にあたる。
  • くすぐられる人間の脳をスキャンした研究によれば、他人にくすぐられた場合には小脳とともに喜びに関係する前帯状領域の活動が活発になるという。このように「危険部位」を他人に触れさないようにするのは人の本能に拠るものだが、逆にそれをあえて許す事は厚い信頼や愛情の証となる。さらには許諾の上でのくすぐりが、時として性的快楽につながるケースすら現れてくる訳である。

なるほど、一見「私は人種差別と黒人が嫌い」なる章句同様の矛盾を孕んでいるかの様に感じられる国際的ネットMeme「女子は可愛いものと同じくらい猟奇が好き(We rally love Cute Things. But Also love Scoopy and Creepy Things.)」の背景には、こんな生理的基盤が隠されていたのである。そして重要なのがこの感覚、どの感覚器と紐付けられていないので女性だけでなく男性も「内側からこみ上げてくるムズムズ感」としてしか感じ得ないという事である。

ああ、やっと数年前から言語化したかった事を言葉に出来ました。次は数式化にチャレンジしたいですが…そっちは一生かけても無理かもしれない?