諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

【雑想】たかが「パンチラ」、されど「パンチラ」?

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ところが、どうやら女子は「(女性のものだけでなく男性のそれを含め)パンチラ」を本当に喜ばない様なんです。背景にあるのは 安部公房が「砂の女(1962年)」の中で指摘した「見る側には愛があるが、見られる側には憎悪しかない」心理とも。

「エロティズムこそ不変なんてとんでもない。焼け跡時代にはまだ足袋と着物の裾から覗く太股と襦袢、身八つ口を巡る駆け引きなどが日本人の性衝動の中心だった。しかし今じゃ洋装がすっかり当たり前になり、当時のチラリズムの一部がパンチラの追求に残ってる程度。時代が移れば人も変わっていくのだ」
*以下に述べる様に、男子の性欲は短期的観測上、女性のそれに比べて生得的要素が強い様に見受けられる。しかし十年百年単位の長期的観測の結果はまた異なるという話。

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国際SNS上の関心空間を跋扈する女子アカウントはは「(室内で下着姿で寛いでる描写の一部としての)パンモロ画像」などには比較的寛容。それどころか集まって「ホットパンツの上からBig T shirtsを着て男の人をドギマギさせるの好き」なんて談義までしてるほど解放的。要するに「はいてない」までは割とOK?

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ところが何故か好きな作品にパンチラ画像があると「パンチラなし動画」を大量回覧して押し潰したりするし、またその手の画像を回覧する男子アカウントを一発ブロックしてしまう。
*最近国際的にヒットした漫画アニメGAME系コンテンツの多くが「パンチラ」場面に抑制的なのは、おそらく「彼女達に嫌われたら国際的ヒット作品にはなり得ない」現実と対応している。
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安部公房砂の女(1962年)」における「見る側には愛があるが、見られる側には憎悪しかない」という名台詞を思い出す。

 要するに「みっともない」が先に来ちゃう様なんです。そんなこんなで、むしろこういう「えげつない」のが空気さえちゃんと読めば通る…

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かつて国際SNS上の関心空間で女子アカウントが「ビキニアーマーが性差別的なのは女性だけ高い露出度を強要されるから。男子も同じなら問題ない」「でもかえって喜んじゃう男子もいるかもよ?」「それこそ性差別撤廃に必ずつきまとう「支払うべき対価」って奴じゃないの?」 みたいな会話を交わしてました。彼女ら、大半が「自分の気になる範囲以外は全部スルーする」スキルを備えている上、スカート自体は嫌いじゃないし、隙あらば気に入った男性に着せ様とするくらいなので、割と普通にこういう会話が成立したりする様です。あと「誰もが正体を隠してその本性を剥き出しにする」匿名SNSならではの展開。

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*匿名SNSならではの展開…様々な意味ですっかり「羽を伸ばした」国際SNS上の関心空間に成功する女子アカウント達は「私達は男子が美少女や美女をシャワールームでどう扱おうが気にしない。私達がシャワールームで美少年やイケメンをどう扱おうが気にしない範囲において」「私達は男性の裸を求めてる訳じゃない。その筋肉美を照覧したいだけである(特に下腹部や尻の締まり具合)」とか「乙女ゲーにはイケメンを弱らせて看病するイベントが必須(そう要約すると実にサイコパス的)」といった名言を残して来た。

とはいえまぁ「女子の性的嗜好」なるもの、男子のそれほど生物学的拘束を受けている訳でなく、上記の様な傾向も一定の確率として存在しているに過ぎないのです。「女子はこういうもの」なんて下手な決めつけは禁物。
*「国際SNS上の関心空間における男子アカウントの性的嗜好」…欲望開放効果によって「おっぱい!! おっぱい!!」といった単純で即物的な方向に向かう。「見る側には愛があるが、見られる側には憎悪しかない」なる観点に従うと「見る側」に徹しようとする態度が顕著になるといってよい。「素人娘への愛着」もこうした「見られる側に回りたくない心理」の一環として解釈可能とも。そして男子のそういう側面について女子側の少なくとも一部は確実に以下の様な反応を盲目的に見せるものである。

*ただまぁ上掲の様に、女子も女子なりには「見る側」へのシフト自体は起こしているのである。こうした男女間の性欲のあり方の差異について、インターネット上に蓄積された膨大な情報の解析に立脚するオギ・オーガス&サイ・ガダム共著「性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し女は「男同士」に萌えるのか」は「男性のそれは映像志向、女性のそれはストーリー志向」「男性のそれが生得的欲求の強い拘束下に止まるのに対し(確率論的収束が観測しやすい)、女性のそれはプログラマブルで自由度が高い(条件分岐の個体差が激しく、確率論的収束が観測しにくい)」といった説明を試みている。

日常(自分)と現実(他者)の狭間」には、こうした厄介なフィルターも被さっているのです。それが「(誰もが気兼ねなく匿名空間において欲望開放可能な)インターネット空間」において初めて定量的観測が可能となった辺りも興味深い?