とりあえず私の観測範囲でいうと、アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854年〜1891年)というと「デュカプリオの尻」がセットで連想される様になってしまいました…
今や女性だけでなく男性についても「性的関心の対象としてどうか」について大っぴらに語られる様になった?
女性用ポルノ(AVやマンガなど)の売り上げが伸びている話を聞いた。「metoo」と同じで、これまでできなかったことを解放したという点で、ネットは女性の味方なのかもしれない。
— 一色伸幸 (@nobuyukiisshiki) 2017年12月25日
女性向けAVは男性でも楽しめるんじゃないかと思いますよ
— 絶好@Splatoon2楽しい (@Itoshiki_Joshi) 2017年12月25日
男性向けAVばっか見てきましたが、理想半分現実味半分って感じで、女性向けAVを初めて見たときは男性向けでは感じなかった照れ臭さみたいなものが溢れ出て数分おきに止めちゃいました
ところで「私達は男の裸をむやみやたらと見たがってる訳じゃない。素晴らしい筋肉の照覧を心が求めているだけである」なる名言を残した国際SNS上の関心空間に滞在する匿名女性アカウント達…
自分達の視線が男性の尻を脊髄反射レベルで追随してしまう現象についてはこう説明しています。「それはきっと私達の先祖が捕食動物だった頃、襲撃した草食動物の群れが逃げ散る際に、どの個体を仕留めるか尻の肉付きを観察して瞬時に決めないといけなかったから」。もしかして貴方達は揃って「人間のイケメンの男に惚れて嫁に来た化猫娘の末裔」とかなんですか?
*それにつけても女子は国際的に本当に猫っぽく振る舞うのを好む…
一方、国際SNS上の関心空間に滞在する匿名男性アカウント達は、概ね専用のサブ垢を作ってエロ画像を共有する巨大配信網を構築。次第に趣味ごとに専門コミュニティが分裂していくその有様、例えば「おっぱいTumblr」などと呼ばれてきました。女子アカウントが構築するのが「群れで狩りをする共同体」だとしたら、こちらは差し詰め「考える葦の大草原」といった体裁…
*考えてみればこれも、最近このサイトで繰り返し触れている「(相互の連続性と同期性がカプセル化によって互いの視線から隠された諸集団の寄り合い所帯として構築される)縁起の世界」そのもの。この構造を横軸に取って、それを垂直方向から貫く「事象の地平線としての絶対他者」を模索すると…まぁ男性側も男性側で「内臓まで全部剥き出しになってる」感がひしひしと。
こうして全体像を俯瞰してみると、むしろ「どうして匿名ネット上においてまで、人は人間としての原型を保っていないといけないの?」と開き直った清々しさすら感じます。そして成立したのが「男子が妄想の中で何を弄んでいようが、私達女子は気に掛けない。貴方達が私達が妄想の中で何を弄んでいようが気に掛けない限り」なる鉄の盟約。ええ「絶天地通=カプセル化」は時として明示的に行われたりもするのです…
*この「女子側の上から目線」は国際SNS上の実際の男女間の力関係に基づいている。そこで見る限り女性は男性より集団行動によって自分が不快と感じる対象を排除される能力に優れ、かつその能力を男性や自らが不愉快にならない様に運用する術も心得ているとしか思えない。
*アカウント数の比率でみても過半数を超え、かつ票をまとめるのも上手い層が揃って黙殺し続ける話題はSNSから消える恐ろしい世界。
ユングやフロイトは(現実世界における拘束から離れた)無意識の世界には「人類が時空を超えて共有して来た巨大な象徴体系」が潜在していると考えました。しかし実際にはジャック・デリダが指摘した様に「(相互の連続性と同期性がカプセル化によって互いの視線から隠された諸集団の寄り合い所帯として構築される)縁起の世界」が広がってるばかりなのかもしれません。
もしかしてこれが21世紀版「幼年期の終わり(Childhood's End、1953年)」なの?