諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

事象の地平線としての絶対他者⑦ 「文化リージョナリズム」と「贔屓の引き倒し」?

f:id:ochimusha01:20171025190458j:plain

世界に誇る日本のおもてなし、ご当地グルメ | eBigBridge

かくして「食卓ナショナリズム」の観点から後に残されたのは「御当地グルメ合戦」や「老舗同士の対立構造」といった水平次元のダイナミズムと、それを階層化して互いにカプセル化する「格式」と呼ばれる垂直次元のダイナミズムの直交空間という展開に。あれ、これもはや「(全体構造の機械論的(Mechanique)を志向する食卓ナショナリズム」というより「(機械状(Machinique)が構造の全てとなった食卓リージョナリズム」の世界なのでは?

*構造的には「海印三昧(華厳経)=縁起の世界」と「久遠在住(法華経)=絶対他者の世界」の「理論上の直交」と同じで、そもそも「縁起の世界」における各要素間の関係性が幾重にもカプセル化されているせいで真相を確かめる手段はない。

要するに21世紀においては「特定の主体を選任して後は従うのみのナショナリズム」も「理念上にしか存在せず、実現手段のないグローバリズム」も行き詰まり「贔屓筋が贔屓対象を経済的に支える泥臭いリージョナリズム」のみが実態として残ったとも。

贔屓(ひいき) - Wikipedia

自分の気に入った者に対して肩入れし、援助することである。贔屓をしてくれる人のことを贔屓筋(ひいきすじ)などと呼んだ。語源は中国の伝説上の生物である贔屓(ひき)。

江戸期から明治期にかけて町人文化が花開いた時期には、富裕な町人などが、気に入った相撲取りや歌舞伎役者などのパトロン(後援者)になり、物心共に支援する慣行が見られた。いわゆるタニマチ文化であり、形を変えながら現代も生き残っている。相撲のタニマチの場合は、力士や年寄個人に限らず相撲部屋に対するひいき・後援者も存在する。スケールは大きく違うが、いわゆるファンと呼ばれる人々も似たような心性を持っている場合がある。

肩入れしている理由が不透明で、公平でないと判断される場合は、依怙贔屓(えこひいき)などと呼ばれる。日常用語としてはこの意味で使われることも多い。

贔屓(ひき・びし、拼音:Bìxì、正字体:贔屭) - Wikipedia 

中国における伝説上の生物。石碑の台になっているのは亀趺(きふ)と言う。

f:id:ochimusha01:20171025144457j:plain

中国の伝説によると、龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、その姿は亀に似ている。重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった。

古くは「贔屭」と書いた。「贔」は「貝」が三つで、これは財貨が多くあることを表したもの。「屭」はその「贔」を「尸」の下に置いたもので、財貨を多く抱えることを表したものである。「この財貨を多く抱える」が、「大きな荷物を背負う」を経て、「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」などの意味をもつようになった。また「ひき」の音は、中国語で力んだ時のさまを表す擬音語に由来する。明代の李東陽(1447–1516)が著した『懐麓堂集』や、楊慎(1488–1559)が著した『升庵外集』にその名が見られる。


日本の諺「贔屓の引き倒し」とは、「ある者を贔屓しすぎると、かえってその者を不利にする、その者のためにはならない」という意味の諺だが、その由来は、柱の土台である贔屓を引っぱると柱が倒れるからに他ならない。

パトロン(英: patron) - Wikipedia

後援者、支援者、賛助者、奨励者、または特権を持つ人や財政支援をする人をいう。現代では、必ずしも金銭援助に限るわけではなく、パトロンの人脈や影響力によって貢献するケースもある。後援、支援、賛助、奨励の行為そのものは、パトロネージュ(パトロネージ/パトロネッジ/パトロネジ/パトロナージュ)(英: patronage、仏: patronage)と呼ぶ。

美術史や音楽史においてのパトロネージュは、王や教皇、資産家が、音楽家、画家や彫刻家等に与えた支援を指す。また、教会聖職禄授与権、得意客が店に与えるひいきや愛顧、また守護聖人を指すこともある。

語源はラテン語のパテル(pater、父)から派生した同じくラテン語のパトロヌス (patronus)に由来し、客に利益を与える者の意味であった。
*パトロヌスとは古代ローマにおいて存在した私的な庇護関係(クリエンテラ、パトロキニウム)における保護者を指し、被保護者であるクリエンテスとの関係は一種の親子関係にも擬せられた。パトロヌスはクリエンテスに対して法的、財政的、政治的援助を与える存在であり、こうした役割からもっと一般的に保護者を意味してパトロンが使われるようになった。

古代より、芸術の分野のパトロンは、美術史において大きな役割を果たしてきた。ヨーロッパ中世やルネサンス時代の芸術パトロネージュについてはすでに詳細がよく知られているが、封建時代の日本や伝統的な東南アジアの王国など、世界各地で行われた。
*芸術パトロネージュは、王室や帝国、貴族制が社会を支配した帝国主義構造主義の世界においては、どこでも生まれる傾向があった。サミュエル・ジョンソンは、芸術の分野のパトロンを次のように定義している:「水に溺れてもがいている人を何もせず眺めていて、その人が岸にたどり着いたら助けようとする者である」。為政者、貴族および富裕層は、芸術パトロネージュを彼らの政治的野心、社会的地位および特権を強化するために利用した。すなわち、パトロンは、スポンサーとして機能したのである。

フィレンツェメディチ家などのパトロンは、高利貸しにより不正に得た富を資金洗浄するために芸術パトロネージュを利用した。

芸術パトロネージュは、特に宗教芸術の創造には重要な役割を果たした。ローマカトリック教会や、後年のプロテスタントは、芸術や建築を支援したが、その成果は、教会、大聖堂、絵画、彫刻および手工芸品などに見られる。

芸術家への後援や、芸術作品への関与は、パトロネージュ・システムの最もよく知られた形態であるが、その他にも、恩恵を受けた弟子たちがいる。自然哲学を学ぶ人々、音楽家、作家、哲学者、錬金術師、占星術師や他の学者たちである。様々な分野の重要な芸術家たち(クレティアン・ド・トロワレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロシェイクスピア、ベン・ジョンソンなど)は皆、貴族パトロネージュまたは教会パトロネージュによる利益を享受した人々であった。後年のモーツァルトベートーヴェンも、ある程度は恩恵にあずかっている。

19世紀に入って、ブルジョアと資本主義社会の形態が生まれて初めて、ヨーロッパ文化はパトロネージュ・システムから現代世界で周知の、より公的な博物館、劇場、多数の聴衆や大量消費による支援システムに移り変わっていった。この種のパトロネージュ・システムは、多くの芸術分野で承継された。スポンサーの性質(本質)は、教会から慈善団体へ、また貴族から金持ちへと変遷していったが「パトロネージュ」という語には、政治におけるよりもより中立的な含意があり、芸術家を、例えば端的に資金の寄付などで直接に支援することを意味している。

20世紀後半、パトロネージュ研究の学術的なレベルが進化し始めた。そこには、パトロネージュという現象は、前諸世紀の文化生活において、重要でありながら忘れ去られた役割を果たしていたという認識がある。

現代では、英語以外のほとんどの言語では、スポンサーとしてのパトロンを指す場合、ローマ皇帝アウグストゥスの寛大な友人で助言者であったガイウス・マエケナスに由来するメセナ(フランス語: mécénat)と呼称する。

あれ、記載に「時空間的歪み(二点間の最短距離が直線になってない感じ)」を感じます。故意に以下の様な実在した流れを見落としてる様な…

  • 当初芸術家や作家は王侯貴族や聖職者のパトロネージュを受ける形でしか収入を得る事が出来なかった。欧州においてこの状況が打破されたのはイタリア・ルネサンス晩期(15世紀末〜16世紀)のヴェネツィアが(オスマン帝国に奪われたレパント交易に代わる収入源として発明された)「(好事家の書庫などを満たす)文庫全集の出版」「(観光客を呼び寄せる目玉としての)豪勢なオペラ上演」「(観光客に土産物として切り売りされる)キャンパス絵画」などを広めて以降となる。「あくまで商業主義が出発点」という辺りがいかにもヴェネツィアらしく、この系譜の営みの中心地はやがてオランダやパリやロンドンへと推移。

  • またベートーべン(Ludwig van Beethoven、1770年〜1827年)は「パトロン獲得こそ全てと考え、それに取り入る方法を徹底的に叩き込んだ父親への反感から)誰のパトロネージュも受けず楽譜販売のみで生計を立てた最初の音楽家」と目されている。
    *こうしたベートーベンの反骨精神にインスパイアされる形でロマン・ロラン(Romain Rolland, 1866年〜1944年)は「ベートーヴェンの生涯(Vie de Beethoven、1903年)」や「ジャン・クリストフ(Jean-Christophe、1904年〜1912年)」といった新ロマン主義小説を発表。それにさらにインスパイアされた形で梶原一騎が「巨人の星(1966年〜1971年、アニメ化1967年〜1979年)」「タイガーマスク(1968年〜1971年、アニメ化1969年〜1971年)」「あしたのジョー(1968年〜1973年、アニメ化1970年〜1971年、1980年〜1981年)」等を発表。日本にスポ根ブームを引き起こす。

  • 19世紀後半の欧州では産業革命導入によって大量生産・大量消費時代が到来。消費の主体そのものが王侯貴族や聖職者といったインテリ層から新興産業階層や一般庶民に推移した。こうした情勢下、最初にプロ音楽家として成功したのはリスト(Franz Liszt、Liszt Ferenc、1811年〜1886年)といわれている。彼はその美貌と超絶奏法によってブルジョワ階層の婦人達を魅了。たちまちファンクラブが結成され、キャラクターグッズが飛ぶ様に売れたという。

  • とはいえ、こうして始まった商業主義の時代は作家側からすれば「新たなる暴君の登場」に過ぎなかったという側面も。まぁ「金主」なるもの、それが誰であろうが「自分が気に入った作家にしかお金を払わない」という本質は変わらない。

  • 江戸幕藩体制下において既に消費の主体が武家や僧侶から商家や町人に推移していた日本においては身分ごとに「」と呼ばれるファンクラブが形成され、様々な芸人に対する様々な形でのパトロネージュが行われていたが、むしろその事が明治維新以降に(欧米の様にパルプマガジン文化や映画文化に立脚する形で)一気に大衆文化が花開く展開を迎える足枷になった側面も確実に存在した。

    *国際SNS上の関心空間に滞留する匿名アカウントも「日本の作品には、ごく限られた贔屓筋の機嫌だけ伺ってこじんまりと小スケールにまとまり「事象の地平線としての絶対他者性(要するに「これまで誰もした事がない経験をさせてくれる意欲」)を放棄する悪癖がる」と看過し「この作品もそういう展開を迎えるんじゃ?」と毎回ハラハラして入る。歌舞伎や人形浄瑠璃といった江戸時代の芸能まで遡っても同じ事を観客から言われてたりするから根が深い。例えば当時発明された画期の一つ「(突然意表をつく形で内輪ネタを混ぜて笑いを取りに行く)白化け」も「それが受ける」と証明されて以降、ただひたすらクドいまでに使い回さてきた。逆に「お約束」として何度やっても受け続けるケースもあるのだが…この辺り実に勘所が難しい。

問題はこうした変化が「格式」の次元にいかなる変化を与えたかなんですね。話題を「食卓リージョナリズム」に戻すと…

  • 日本人から「我々の洋食文化の起源は貴方達です」と指摘された欧米人は一体どう答えるべきなのか?

  • 欧米人から「今や国際的には寿司の定番といったらドラゴンロール(Dragon Roll)やキャタピラーロール(Caterpillar Roll)やサーモン巻(Salmon roll)やピンク湯葉巻き(Pink Lady Roll)」と指摘された日本人はどう返すべきなのか。

こういう問題についての国際SNS上の関心空間における匿名アカウントの反応は単純明快で「投稿回覧数が全て」。まぁ、ある意味実際「投稿の回覧」なる日常の営みそのものが、リアルタイムに「アンケート結果発表」に直結してくるので、そもそも悩む余地がないのです。例えば誰かが「日本料理や中華料理に入ってる柔らかくて小振りで美味しいのが本物のブロッコリー。我々が普段食べさせられて入る固くて大きくて不味いのは偽物」と投稿し、たちまち回乱数が伸びてコンセンサスが成立するのも目の当たりにした事も。

f:id:ochimusha01:20171025170940g:plain

*要するにある意味「PINGの打ち合いが全て」の世界。

それで済まないのは、おそらく相応の「(政治力学的次元における可視性・不可視の問題に関わってくる)格式」に執着しなければならない立場にある利害関係者。だから独自に理論武装して人を説得しなければならず、その口上が十分に上手なら相応の勝利を納める事もないではありません。

日本の伝統的食文化としての和食:農林水産省

そう、この世界観における「格式」の次元は(身分制や家制度という実態を失った以上)今やこうした形でカプセル化され、視野外へと追いやられ「事象の地平線化=絶対他者化」され断片的な形で(それも主観的誤謬の範囲内で)しか可視化されない存在へと変貌してしまっているのです。

私達は本当に忘れっぽいけれど、忘れていく中で何を継承しているのか、という事について私は考えてみたいんです。興味深い事に継承しているものは目に見えて価値がありそうなものではないんです。例えば文書様式だとか、儀礼の次第=有職故実とかですね。
*文書様式や儀礼の次第…朝廷では作成される文書の様式が厳然と定められ、また儀式の手続きや作法も細密に規定された。こうした事は(例えば献納物の増大など)直接的利益こそ生み出さなかったが、あくまで恣意的改変は排除され続け、大事に後世へと伝えられていく。

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-f1-c4/kitasan1970/folder/1047013/92/44819192/img_0

何の役に立つのかよくわからないのだけど、時代を超えて多くの人々が共通の地平で語る事の出来るテーマとして大事に継承されていくという事実が厳然としてある。それは平安時代から江戸時代までをずっと貫いているわけです。具体的に何を継承しているのか、それらが継承されるのは何故か、現代の私たちが考える価値との齟齬なり差異なりがどうして起こってくるのかという問題について、考えをまとめられないかと思っております。

*ある意味「明治は遠くになりにけり」の世界とも。

とはいえ、その一方で上掲の様な「(それぞれの瞬間には確かに相応に信頼出来そうな状態を示す)縁起の世界の観測結果」を過信し過ぎるのも危険。何しろ「多重にカプセル化された向こう側で何が刻々と進行中か決して知り得ない(突如として、観測者の観点からは何の脈絡もなく振る舞いを変える可能性が決して排除出来ない)」事こそが「縁起の世界」の基本的本質である事を決して忘れてはいけません。

この「絶えざる実存不安から決して解放される事のない不安定かつ不完全な世界観」こそが科学実証主義の立証地点。そしてこの状態を虚無主義(英Nihilism、独Nihilismus)と上から目線で軽蔑し「さらなる安定感」を求め人々は必ず何らかの形で宗教の領域に足を踏み入れる事になるとも。
*ただし本物の宗教家となれるのは、そのうち後者の立場に理解を示しつつも前者の状況の直視をやめない、決して現実から目を逸らさない、ある種の「精神的超人」に限られる。

もし実際に「Cオボル」なる言語をその語義ニュアンス通りに実装するとしたら、それはきっと「VBAVisual Basic for Applications、1993年〜)やJavaScript(1995年〜)の様に庶民が日常生活の中で気軽に使える様にスケールダウン化されかつ安全化されたC言語のサブセット」といった感じになるんじゃないでしょうか。

要するに「宗教的政治的全人格的権威主義から離れた商業特化タイプ」とか「選民的というより庶民的な日常的スクリプト」とか。最初期のMacintoshに標準バンドルされてたHyper Card(1987年〜2000年?)のスクリプト言語「Hyper Tark」に込められた理念とか。

ところが実際の庶民が本当に心の底から求めているのは、そもそも「誰でも使えるコンピューター言語」ではなく、浄土宗や浄土真宗の名号たる「南無阿弥陀仏」や、法華宗の御題目「南無妙法蓮華経」めいた「あらゆる問題を、それを唱えるだけで一発で解決してしまう汎用的かつ一撃必殺の呪文」なので、こうした試みは全て無駄に終わってしまうのでした。
*「私は安倍晋三を見る度、瞬間的に「死ね!!」と頭の中で叫んでしまいます。日本中のまともな人は皆そうなのではないかと思っています(人類平等を実現する為、この考え方に少しでも違和感を覚えるカルト狂信者も皆殺しにしなくてはいけません)」と公言してはばからない「安倍死ね」派。こうした「御題目連呼」の大源流は、おそらく「全員が心を一つにし、皆で一心不乱に(全ての原因たる)悪霊調伏を念じ続ければ解決しない問題は一つもない(問題解決に失敗したら裏切り者のせいだから見つけ出して処刑する)」と考える呪術的思考様式にある。自分の考え方を無条件に肯定しない人間は全て「洗脳されたカルト狂信者」にしか見えないし、目的達成に失敗しても「味方に裏切り者がいたせいだ。殺せ!!」と内ゲバに走るだけなので会話は一切成立しない。おそらく「戦国時代の一向宗」もこんな感じ。しかも信者から集めた軍資金で鉄砲足軽などを大量に養っていたから戦えば強かった。


*ちなみに「死ね安倍」派の大源流に198年代を席巻した「死ねナチ曽根」派の面影を見る向きも。集団の結成と存続に「絶対悪への宣戦布告」を必要とする辺り「青年フランス」めいている。ずっとそういう状態に留まり続けている事こそ、彼らにとっての最大の幸福?

*青年フランス…7月革命(1830年)から2月革命(1848年)にかけてを結成し「国王と教会の権威への絶対不服従」を誓って気勢を上げた政治的浪漫主義者達。国王が国外逃亡し、教会も権威を喪失すると生き甲斐を失い、参加者の大半が破滅的最後を迎えた。

*そして1970年代に入ると「精神的超人になれなかった人々(すなわち「現実の宗教面」に足を踏み入れつつ、本物の宗教家に率いられていない人々)」は究極的に最終的に例外なく全て「(狂った教祖の公私混同が盲従する信者全てを巻き添えにした)ガイアナ人民寺院集団自殺事件(1978年)」の境地へと到達するのではないか? なる疑念が浮上してくる。
*「例外なく」という事は「(贔屓筋が贔屓対象を経済的に支える泥臭い)リージョナリズム」も全てこの範疇に自動的に組み入れられてしまうという事。そもそも語源的に「贔屓=苦労して人に奉仕したりお金を貯めたりするのを好むが、しばしばその「未必の故意」に基づく振る舞いが究極的には破局を引き起こす中国伝承における悪魔的怪物」という解釈の余地もあるから概念上、相性は悪くない。
その一方で1980年代に入るとエイドリアン監督がソフトSM映画「ナインハーフ(NINE 1/2 WEEKS、1986年)」で活写された様にBDSM界隈においては「M側にとって新しい体験を供給出来なくなったS側は捨てられる」「M側が寄せる基本的信頼感を裏切ったS側は捨てられる」といった「契約条件」が公然と語られる様になっていく。

また日本においては「夜明けのヴァンパイア(Interview With the Vampire、1976年、映画化1987年)」を第1作とする「ヴァンパイア・クロニクルズ」シリーズでのみ知られるアン・ライスは「女性向けSMポルノ作家」なる顔も備えており、同時代に「全てのBDSM的情緒は宗教的感情に由来する」「M側はS側の前で頭を垂れる時、究極的には下克上を狙っている」といった名言を残していたりする。

要するに「蒲田行進曲も遠くになりにけり」という話…

むしろこういう状況には、下手に危険に対して過敏に反応してしまう人より「少しボォっとしてるくらいの人」の方が向いているのかもしれません。そういえば「イワンの馬鹿」といった民間説話の多くがこのパターン。

ここでも「文化リージョナリズム」は重要で、カソリック文化圏だと「全てのBDSM的情緒は宗教的感情に由来する」「M側にとって新しい体験を供給出来なくなったS側は捨てられる」と表現した方が理解も共感を得やすい内容が、日本文化圏だと「贔屓の語源は苦労して人に奉仕したりお金を貯めたりするのを好むが、しばしばその「未必の故意」に基づく振る舞いが究極的には破局を引き起こす中国伝承における悪魔的怪物」と表現した方が理解も共感を得やすかったりする訳です。

以前「だめんず・うぉ~か~」という言葉(マンガ)が流行りました。

ダメ男(ダメンズ)ばかりを渡り歩く(ウォーカー)女のことを言ってるみたいなのですが、
実はこれ、渡り歩くというよりも「作る」と考えた方がわかりやすいのです。

だから、
ダメンズ「うぉーかー」ではなく
ダメンズ「メーカー」なんだということですね。

これはどういうことかと言うと、
ダメンズ」つまりダメな男を「作り出す女」です。

ダメンスメーカーの特徴は、

  • 自分が役に立ちたい女
  • 自分が役に立つ女だと思いたい女
  • 自分のことをすごいと思いたい女

ということです。

冷静に考えるとわかるのですが、
自分の周りが素晴らしい男ばかりだと
その女は「役に立つチャンス」がないのです。
だって出来るやつばかりですから。

だから、

  • 自分が役に立つ女

になるためには
ダメンズ」が「必要」になるわけです。

だから、本当はダメな男を
ダメにしてしまう、というか
ダメな方が都合がいいわけです。

で、そんなダメな男ばかりいるのかと言うと
そうではなくて、
もともとは「出来る男」「素敵な男」に引かれるわけです。
それは、心の底では「甘えたいキモチ」であるから。
その惹かれてしまう本音はごまかせない。

でも、その「甘えたいキモチ」を押さえて
「甘えさせる」ことで役に立とうとするわけです。
しかも「そもそも出来る男」が
甘えてくることが至福の喜びになるわけです。

で、その「素敵な男」「出来る男」にも、
当然ですが「出来る面」と「出来ない面」があるわけです。

で、ダメンズメーカーは、その
「出来ない面」を引き出すのが絶妙にうまい。

だから、どんないい男も
どんどんダメンズに変身させられていく。

で、どんどん「もう、駄目ねー」なんていいながら
世話をする喜びに身を浸すわけです。






ダメンズメーカーの女は
「役に立つことで自分の存在価値を確かめる」ので、
「そのままの自分ではだめ」と思っているわけです。

  • 「そのままの自分」
  • 「ダメな自分」
  • 「甘える自分」

を抑圧して抑えつけているわけです。

つまり、

  • 「ほんとはダメ」
  • 「ホントは甘えん坊」

なわけです。

それを抑圧している。
我慢している。

  • しっかりものの女
  • 出来る女

として生きているから。

それは、

  • 「甘えてはいけない」
  • 「ダメではいけない」

という子供の頃の
経験が作り出すものです。

で、自分が「甘え」と「ダメ」を抑圧しつつ、
「いい男」の「ダメ部分」「甘え部分」を満たすことで
「役立つ女」をやる。
すると「抑圧」が暴れ出すわけです。

  • 「私も甘えたい!!!」
  • 「私も、ダメでもいいって言って欲しい!!!」

でも、言えない。
だって「言ってはいけなかった」から。
だって「言えなかった」から。

その抑圧、つまり我慢しているところを
ダメンズ」が目の前で見せてくれるから、
もう腹が立って仕方がない。
イライラしてくる。

  • 「しっかりしなさいよ」
  • 「もっと頑張りなさいよ」

と、イライラする。

これは「ずるいっっ」と怒っているのと同じです。
そして、

  • 「そんなことしたら怒られるよ」
  • 「そんなことしから嫌われるよ」

と、いう、子供の頃に体験した
恐怖が発動してくるのです。

私が太るから(怖いから)ケーキ我慢してるのに
目の前で食べるの、ずるい!!!
と怒っているのと同じ。
わたしも甘えたいのに
わたしもダメでも許して欲しいのに
でも、我慢してるのに!!!!!
あんただけずるい!!!

と切れて別れて、
次の「獲物」を探しに行くのです。

そう、素直な欲求にしたがって

  • 「甘えさせてくれる人」
  • 「自分のダメを許してくれる人」

を探しに行く。

でも、結局怖くて
甘えられず、ダメを見せられず、
いつもの「役に立つ」ことで
自分の存在価値を保とうとしてしまう、

という繰り返しが「ダメンズメーカー」の作業です。

このパターンを繰り返しているのが
だめんず・うぉーかー」ということになるのです。

ここまで踏み込むと宮崎駿監督「魔女の宅急便(1989年)」の原作でもある角野栄子魔女の宅急便シリーズ(1989年〜2009年)」がどういう作品だったかについても触れずにはいられません。実は原作におけるキキはまさしく「駄目男製造女」そのもの。魔女の間には「生まれつき異質な魔女を好きになってくれる男性なんて生涯独自の浪漫を追求し続ける享楽的な変わり者ばかりで、そこは我慢しないといけない部分」と割り切る伝統的諦観が存在し、キキもそれを疑う事なく盲目的に継承しているという21世紀に通用させるにはちょっと厳しい裏設定
*原作には黒猫ジジの「人間の男っていつも格好つけるんだよな」「人間の女ってさ、いつも簡単だよな」なる酷評も登場する。こういうのも20世紀的というか、1980年代的?

f:id:ochimusha01:20170717091740j:plain
*「伝統的諦観」…アニメ版未登場のキキの母親と父親の関係も似た様な感じで、その構造は別の宮崎駿作品である「崖の上のポニョ(2008年)」におけるグランマンマーレ(海の神秘そのもの)とフジモト(地上の人間界を憎むあまりそれを滅ぼそうと計画しているマッド・サイエンティスト)の関係、「風立ちぬ (2013年)」における堀越二郎と里見菜穂子の関係などでも繰り返されていく。「ピーターパン・シンドローム(1983年)/ウェンディーズ・ジレンマ(1984年)」で覚醒し「誰にも頼らず生きる自律的な女」ティンカー・ベルを理想視する様になったフェミニストなら裏側に「女性としての自尊心が未熟な故に、同様に未成熟な男性と共依存関係を構築しようとする卑屈な態度(まぁ要するにそれが21世紀でいうところの「駄目男製造女」という事)」を見て取る事請け合い。 

f:id:ochimusha01:20170717093348j:plainf:id:ochimusha01:20170719004137j:plain
f:id:ochimusha01:20170717093633g:plain
例えばその駄目男製造女」っ振りは以下の様なエピソードに典型的な形で現れます。

キキはまだ赤ん坊のサアさんの面倒を見ながら新聞を売って暮らしているマアさんから「そろって合唱する珍獣ウタウモノを探して消息を絶った夫の発見家ガンタさんを探し出してサアさんの写真を渡す」仕事を受ける。マアさんからは「魔女なら私の夫を石にしてくれないかしら? もう何所へも出掛けられない様に」と愚痴られる一方で、捜索の助言を求めた「飛行倶楽部」のトンボさんは「ガンタさんは浪漫を追い求める男の鑑!!」と勝手に感動して「そんな人に会いに行けるなんていいな。羨ましいな。僕にも魔女の素を分けてくれない?」と言われてすっかりむくれてしまったキキ(私が魔女として継承したのは、飛行能力と普通の人間からの依頼は、それが悪意や虚栄心の満足に由来するものでない限り何も断らないという処世訓だけだっちゅうの!!)。トンボさんの助言に従って星屑群島の指輪状の孤島を探し当て、発見者ガンタさんと無事邂逅を果たすも…

ガンタさん「夜と朝の境目に一瞬だけ聞こえる宇宙の合唱って御存知ですか? それがウタウモノには聞こえるらしいんです。僕はウタウモノが地上の生き物全てを代表して世界の遙か向こうに返事してくれてる気がしてるのです。それをマアやサアにも、そして出来ればもっと大勢の人達に聴かせてあげたい」

キキ「トンボさんも、ガンタさんも、人と同じではまるで生きてる意味がないとか、見知らぬ世界の開拓者になりたいとか、そんな事ばっかりいってる。気になるのは自分の事だけで、私とか奥さんとか子供はみんなおいてけぼり。本当に男の人って気楽ねぇ…」

それでも「だがそれがいい」とも思ってしまうキキ。もはや末期症状? 

*ちなみに20世紀とは21世紀女子より「この作品において男とは好き勝手放浪生活を送り、家に金も入れず子育ても手伝わず「種付け」の為にのみ帰ってくる存在」と酷評されている鳥山明ドラゴンボール1984年〜1995年)」の全盛期でもある。だから国際的人気を獲得したという辺りが何とも…

そしてキキとトンボさんが出会うエピソードがこれまた酷い。アニメ化されなかった所謂「水着回」なのですが、トンボさんは突如海難事件に巻き込まれたキキから商売道具の箒を盗み出して請け負った仕事を危険にさらした上に(危うく人命が失われる所だった)自分で飛ぼうとしてその箒を破壊してしまうのである。そんな状況を「僕も飛びたかったんです!!」の一言で許してしまった時点からキキの「駄目男製造女人生」は始まったとも…

f:id:ochimusha01:20170717093445j:plain

まぁその一方で「魔女が黒い服しか着ないのは、そこにこの世の全ての色が含まれてるから。昔から人の願いを可能な限り受け容れようとしてきた象徴なの」「昔の魔女には呪い専門の人もいたみたいだけど、呪いだって色々。切ない呪いだってあるかもしれないじゃない。どれがいい心から出たものか、どれが悪い心から出たなんてなかなかわからないと思う。誰にもそれを決める力はない。だから自分で満足出来るものをつくって、人に喜んでもらう事を考える様になった。つくるって不思議。自分がつくっても、自分がつくってないのよ」「魔女が人を思い遣る心を失ったら黒いドレスしか残らないの」なんて断言するシッペ返しとかも含まれてるのが原作版。そしてこうした暗黒面が21世紀に入ると「魔女化/悪魔化する美樹さやか/暁美ほむら」のイメージ形成に繋がっていくのです。
*21世紀に入ると価値観を逆転させて「愛、それは呪いより深くおぞましきもの」なんて観点も出てくるのである。そういえばニール・ゲイマンコララインとボタンの魔女(Coraline、原作2002年、映画化2009年)」も主題はこれで、「パラノーマン ブライス・ホローの謎(ParaNorman、2012年)」に至っては「魔女の呪いの恨解」が物語そのものを推進させる原動力に。

最近ではテッド・チャン「あなたの人生の物語(Story of Your Life 、1999年)」における「パパは娘の私のおっぱいが膨らみ出した事に勝手に打ちのめされてるのよ」「同世代の男の子達がどんなものか私は知らないですって? 知ってるわよ、それくらい」「どうして有りのままの私を受け入れてくれないの?」といった「娘」の名台詞が高く再評価されている。
*映画版「メッセージ(The Arrival、2016年)」ではあっさり削除されてしまいまったが。まさしく「娘の私は、いつまでパパの成長を待たないといけないの?」の世界?


 そういえば同時代には「優柔不断な文学少年がヤンデレ少女の破滅的行動に振舞わされる」ジャン=ジャック・ベネックス監督映画「ベティ・ブルー 愛と激情の日々(37°2 le matin、英題:Betty Blue、1986年)」が大ヒットしていたりもしますね。
*当時の文章を読むと「不条理こそ人間性の源」なんてロマン主義パワーワードが頻出する。

*動画のコメント欄に「うちの旦那が好きなの。魂を80年代に置き去りにしてきてしまったの」と記されていたのが印象的だった。21世紀に入ると浅野いにおおやすみプンプン(2007年〜2013年)がこの路線を継承して人気を博す。ただしそこに登場するヤンデレヒロインは、もはや「人間性の象徴」として賛美されるどころか「明らかに統合失調症の症状。精神科の治療を受けていればこの悲劇は避けられていました」と冷静に分析されてしまうのである。

f:id:ochimusha01:20171026091548j:plain

そう、これらは全て主に1980年代、すなわち1970年代まで世界を主導してきた「(全体構造の機械論的(Mechanique)を志向するナショナリズム」が1990年年代以降主流となる「(機械状(Machinique)が構造の全てとなったリージョナリズム」に推移する過程で一斉に起こったムーブメントの一部。

f:id:ochimusha01:20171026090025p:plain

  • 当時はこうした多様化の進行を「カンブリア大爆発」に例える向きが主流だったが、歴史の現時点から俯瞰すると、実際には(国家間の競争が全てだった)総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)が完全に終焉し、その抑圧下で育まれ、かつ視野外に追いやられてきた様々な「権威主義的/反権威主義的諸概念」が一斉に帰還を果たした「啓蟄の時代」とも。
    *「啓蟄」…「啓=ひらく、開放する」「蟄=虫が土の中で冬ごもりをする」なので二つの字が合わさると「土中で冬眠していた虫たちが、穴をひらいて地上に出てくるころ」を意味する。中国では「驚蟄」といい欧州では魔女達の大集会「ワルプスギスの夜」の開催時期に該当。
  • そしてカンブリア大爆発期も1980年代もそうだが「種の爆発的大量発生」は必然的にその大半が生き延びられない展開を生み出す事に。
    *そういえば特に1970年代末から1980年代前半にかけてのエンターテイメント業界は「視野外の怪物」に次々とスポットライトを当てるのが御洒落と考えていた節がある。ドラキュラ伯爵、怪僧ラスプーチンジンギスカン共産主義…そういえば「無念の死を遂げた英傑達が魔物に身を落として復活を果たす」深作欣二監督映画「魔界転生(1981年)」が公開されたのもこの 時期。



    *こうした風潮に後押しされる形でデビッド・ボウイデヴィッド・リンチティム・バートンといった「既存秩序がそのまま存続してたらカルト業界に一生封印されていたであろう人々」が次々と「表の世界」を蚕食する様になっていく一方、不思議と「カリスマを「聖なる捕食動物」認定して熱狂的に帰依しようとするカルト宗教的雰囲気」が醸成されていく。今から思えばあれは一体何だったのか? 

    *いずれにせよこうした系譜の最後に待ち受けていたのはバブル崩壊(1991年3月〜1993年10月)やソ連崩壊(1981年12月)に続いた角川春樹逮捕(1982年)やオウム真理教サリン散布事件(1994年〜1995年)など。こうして1973年(昭和48年)12月から続いてきた「安定成長期」は終焉を迎える。

カンブリア爆発(Cambrian Explosion) - Wikipedia

古生代カンブリア紀、およそ5億4200万年前から5億3000万年前の間に突如として今日見られる動物の「門(ボディプラン、生物の体制)」が出そろった現象である。カンブリア大爆発と呼ばれる事もある。
The Cambrian Explosion - Evolution?

f:id:ochimusha01:20171026074554j:plain

20世紀前半までカンブリア紀とそれ以前との間の化石資料の差については謎とされてきた。カンブリア紀の地層からは、各種サンゴや貝類、腕足類、三葉虫など、数は多くないものの、多細胞動物として高度に分化した動物が見いだされるが、それ以前の地層からは動物化石がほとんど見つからない。

f:id:ochimusha01:20171026075109j:plain

  • チャールズ・ダーウィンも自己の進化論の中で、生物進化がゆっくりと進んできたはずであることを説いたが、そうであれば、先カンブリア時代からは様々な単純な多細胞動物の化石が出るべきであって、それが出ないことを謎だと述べている。このことを説明するために「その時代の地層が何らかの理由で欠失している」「多細胞動物の祖先が化石になりにくい生活をしていた」「ごく小形で軟体性であったので化石にならなかった」など様々な考えが提示されてきた。

    f:id:ochimusha01:20171026075302j:plain

  • しかし、その後の研究で先カンブリア時代の化石が次第に発見され、カンブリア紀の化石産地も新たに調査が行われた結果、謎はさらに深まってきた。先カンブリア時代の化石からはその時代に様々な大形生物がいた。しかし、エディアカラ生物群に見るように、それらが必ずしも先祖的多細胞動物には見えないことが判明したのである。それらを現在の生物とはまったく異なる系統のものと考える説すらあり、仮にそれらを現在の動物につながるものと見なしたにせよ、カンブリア紀の多様性とは似つかないものである。また、カンブリア紀の化石については、バージェス動物群の見直しや新たな化石群の研究から、その多様性の高さがより明らかとなり、それまではもっと後になって出現したと考えられていた脊索動物など(魚類を含む)の化石までが発見された。

    f:id:ochimusha01:20171026075541j:plain

今では、動物については、苔虫動物門を除くすべての動物門がカンブリア紀に出現した可能性があると考えられており、しかも現在の所、これらの先祖をさかのぼることが出来ていない。

f:id:ochimusha01:20171026075934j:plain

f:id:ochimusha01:20171026080011j:plain

①「カンブリア大爆発」は、カンブリア初期に一斉に生物の体制が出そろった現象と説明されてきたが、これはスティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould、1941年〜2002年)に依るところが大きい。グールドはカンブリア紀に異質性(生物の体制の種類)が爆発的に増加し、その後は減少に向かっていると主張した。彼によればこれは偶然か、自然選択では説明できない何らかのメカニズムが存在することになる。
*しかし、その後の分子遺伝学の進歩から遺伝子の爆発的多様化はカンブリア爆発のおよそ3億年前に起こっていることが分かり、カンブリア初期に短期間に大進化が起こったわけではないとの考え方が主流となった。すなわちカンブリア爆発は「化石記録の」爆発的多様化であり、必ずしも進化的な爆発を意味しない。

f:id:ochimusha01:20171026080429j:plainf:id:ochimusha01:20171026080639j:plain

リチャード・ドーキンスカンブリア紀あるいはそれ以前に特殊な(総合説では説明できないような)進化現象が起き、生物の体制が出そろったというグールド以来の視点、爆発という概念自体に批判的である。彼に依れば、例えば現代の脊椎動物と無脊椎動物が根本的に異なっているのは、両者が長い地質学的時間の間に異なる方向に進化してきたからであり、少なくとも現在の証拠からは種分化した当初から全く異なる体制を持っていたと考える理由はないと主張する。

f:id:ochimusha01:20171026080939j:plain

f:id:ochimusha01:20171026090102j:plain
③1998年に進化生物学者で古生物学者のアンドリュー・パーカーはカンブリア爆発の原因として、有眼生物の誕生による淘汰圧の高まりをあげた「光スイッチ説」を提唱した。生物の歴史上、はじめて眼を持った生物(三葉虫)が生まれ、積極的に他者を捕食することによって眼をもっていない生物に対して有利となった。眼と、硬組織を獲得した生物がその捕食に対抗できるようになったという説である。そのために化石記録は短期間で爆発的に多様化したように見える。パーカーはカンブリア爆発を「多くの門が同時期に一斉に硬組織を獲得した現象」と推定している。

奇怪な生物を新しい「動物門」に分類すべきかどうかが大きな論点として存在していて、グールドはカンブリア紀の爆発を生命の多様性の爆発的増加として考え、新しい動物門を主張したりしていたが、ではこの「門」というのは何なのか、よくわからなかった。門が増えたり減ったりすることにどんな意味があるのかわからない。門と門がどのような基準で分けられているのかもよく分からない。

本書では、門とは内部体制(ボディ・プラン)の差であると解説されていて、そこは非常に納得ができた。体内の設計は、突然変異などで部品の設計が変わるとすなわち生命活動に支障がでてしまい、変異が保存されにくいが、ある門のなかでその体内設計は基本的に維持される。が、外部体制はそこまで厳密ではなく、たとえば角が長かったり短かったりする程度であれば、それだけで生存不能なエラーとはならず、その変異が生存の上で有利であれば子孫に受け継がれることもあるだろう。だから、同じ門とは思えない外形をしている動物も多数存在し、同じような生存環境で同じような生活をしている似た形の生物が、違う門に属している、ということもあり得る。

門とはそうした内部体制の差異であり、外部体制に比べ変異しない。そして、カンブリア紀の爆発とは著者の定義によると、それぞれの動物門がいっせいに硬い殻を獲得した出来事だという。だからこそ、化石に残りやすくなり、一斉に世界でその時代の地層から化石が発見されるようになる。また、内部体制自体は、カンブリア紀以前、一億から五億年まえまでにできあがっており、カンブリア紀に多数の門が生まれたわけではない、と著者は強調する。あくまで、カンブリア紀の爆発とは、外部体制の爆発的な多様化であるというのが本書の基本的な前提だ。

④またカンブリア爆発の原因として、スノーボールアース(Snowball Earth=全球凍結状態=雪球地球仮説)の終結との関連性が従来から指摘されてきた。

  • 約10億年前に多細胞生物が出現し、その後スノーボールアース(8億年前〜6億年前)の間、生物は存在し続けた。

    生命の誕生と40億年の進化

    現在の学説では地球が誕生してから6億年ほど経った頃(40億年前),海で生命が誕生したといわれています。当時の地表は強い紫外線や荷電粒子が容赦なく降り注ぎ,生命にとっては致命的な環境でした。生命が存在できる環境は海中だけでした。

    原始の海には生命に必要な有機分子(アミノ酸核酸塩基,糖,脂肪酸炭化水素など)が豊富に存在していたと考えられています。それは,星間物質に含まれ小天体と一緒に地球に到達したものもあれば,紫外線,荷電粒子,落雷などにより活性化されていた地球の原始大気中でできたものかもしれません。起源はどうあれ生命の素材に溢れていた原始の海で生命は誕生しました。

    アミノ酸が化学的にくっついたり離れたりしている中から,しだいにたんぱく質核酸を薄い膜の中に収め,自己の形を持ち増殖することが出来るようになったと考えられています。生命は身近にある材料を組み合わせて誕生し,その基本構成は現在まで受け継がれています。

    生命の増殖に必要なエネルギーの観点から考えると,最初の生命が誕生した場所は海底火山の熱水噴出口付近であると学説が有力です。マグマと接触した熱水には多くの硫化水素二酸化炭素が含まれており,原始生命はそれらを還元してエネルギーを得ていたようです。

    現在でも海洋底中央海嶺にある黒い煙のような熱水を噴出する環境では硫化水素を還元してエネルギーを得ている原始的なバクテリアが存在しており,暗黒世界に小さな生命圏を形成しています。もっとも,生命の誕生はいつも順調だったわけではありません。40億年前にはまだ微惑星の衝突が続いており,せっかく誕生した生命が破壊されることも何回かあったと考えられています。

  • この間に多細胞生物は原口を獲得し、強力な捕食能を有するに至る。海底には熱水鉱床などの熱水を発する箇所があり、スノーボールアースの間、その近辺で生物は隔離されて生存したと考えられる。このような地理的な隔離は、ガラパゴス諸島オーストラリア大陸のように生物の多様性を形成する。

    f:id:ochimusha01:20171026082319j:plainf:id:ochimusha01:20171026082416j:plain

  • スノーボールアースの地理的な隔離の間、どのように捕食するか、どのように捕食から逃れるかの観点から多細胞生物は多様性を形成し、これがエディアカラ生物群やバージェス動物群のような多様性を形成し、スノーボールアース終結からカンブリア爆発まで、少なくとも3200万年も経過していることから、その間、全地球的な捕食と被捕食の生存競争が存在したと考えられる。

    f:id:ochimusha01:20171026082632j:plain

  • バージェス動物群に見られるアノマロカリス(Anomalocaris)やオパビニア(Opabinia)などの大型捕食動物の出現とともに、カンブリア爆発の際には堅い外骨格をまとった動物が多く見られるようになった。そしてエディアカラ生物群は、新たに出現した捕食動物に食い尽くされて絶滅したと考えられている。

    f:id:ochimusha01:20171026083521j:plainf:id:ochimusha01:20171026083557j:plain

この様にパーカーはスノーボールアース終結からカンブリア爆発まで、少なくとも3200万年も経過していることから、関係があったとしても間接的なものにとどまると述べているのである。

 そういえば1980年代は「誰もが浮かれて背伸びをし、地に足がついてない状態」だったのと表裏一体を為す形で「(エコ左翼を熱狂させた)ガイア仮説」や「(人間の知性再現を指向した)第二世代人工知能研究」や「(過剰なまでにエロティズムとバイオレンスの要素が盛り込まれた伝奇ロマン小説人気を支えた)オカルト/サイキック・ブーム」の時代でもあったのですね。

 

ところでヘルムート・プレスナーは「ドイツロマン主義とナチズム、遅れてきた国民(1935年)」において「(守備範囲が狭過ぎて問題解決能力に乏しい)科学実証主義や(それに実用性を放棄してまで没頭した)当時のドイツにおける社会学政治学のあり方」や「形而上学に没頭して現実対応に当たらないドイツ哲学者」に失望した非インテリ層が1890年代から1910年代にかけて「民族生物学」すなわち「ドイツ特有の情念の一切を投入して生物学への信仰と民族の根源性への信仰を結び合わせて直接行動に向かわせるイデオロギー」や「ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(Wilhelm II.,在位1888年〜1918年)とその側近達の積極的植民地獲得政策を「自然淘汰圧」とか「適者生存の宿命」とか「生存圏確保の為の総力戦(負けた側が滅び去るのは自然の理)」といった生物学用語の援用によって正当化しようとする政治的態度」を流行させたと指摘しています。

この現象が「民族生物学」あるいは「国家生物学」と呼ばれたとすれば「手段を選ばぬ視聴率獲得戦争」や「(ファン層の狂信的熱狂を背景とする)カリスマ的スターやマーケッターやクリエーターの捕食動物視」や、そうした残酷な展開を「自然淘汰」とか「適者生存の宿命」とか「生存圏確保の為の総力戦(負けた側が滅び去るのは自然の理)」といった生物学用語の援用によって正当化しようとした(いかにも「産業至上主義時代(1970年代〜2010年代)」全盛期らしい)当時の企業やマスコミの態度は、さしずめ「産業生物学」とでも呼ぶのが正しいのかもしれません。
*企業やマスコミは、こうした産業至上主義の反動として高まった自然回帰願望や地球生物学への関心すら飯の種としてきた。天文学者カール・セーガン監修のドキュメンタリー「コスモス(COSMOS)」放映が1980年。ドラマ「北の国から」放映が1981年から2002年にかけて。後者は「このドラマを見てTVを捨てて自然に還る生活を始めました」と主張する信者まで生み出している。


ここまで漫然と語ってきましたが、全体を貫く最も重要な構造上の重心は案外「贔屓の原義は中国伝承上の怪物で、艱難辛苦を伴う蓄財や奉仕を好むが、究極的には裏目に出て誰かや何かの破滅を引き起こす」ジレンマそのものかもしれません。そして以降の時代に入ると…

バブル崩壊後の1990年代は「失われた10年」と呼ばれる。しかし、2000年代に入って銀行の不良債権問題や企業のバランスシートの毀損などが解決しても、日本の経済成長はバブル崩壊前の勢いを取り戻せていない。このことから深尾京司FFらは、バブル崩壊後から今日までを「失われた20年」として長期的・構造的な視点から分析した。

1990年代、2000年代を通じて堅調な成長を続けている米国は、ICT(情報通信技術)革命によって労働生産性を大きく高めたのに対し、日本ではICT投資が驚くほど少ない。また、TFP(全要素生産性)を分析すると、大企業は1990年代半ば以降、活発なR&D(研究開発)や国際化でTFPを高めている。深尾FFは、日本経済が長期的停滞から脱するには、生産性の高い企業がシェアを拡大できるよう、新陳代謝を促すことや中小企業の生産性を高めることが必要だと指摘する。

贔屓の引き倒し」は、現在なお形を変えて進行中?