ウェブ小説出身の人たちと話して、何ごとも「まず異世界転生」から始まるのにどうも違和感を覚えたが、ミステリ作家が「まず殺人事件」から始まるのも、昔はさぞ異様だったろうと気づいた。時代小説の「ここは大江戸八百八町」、昔のSFの「時は20XX年」も同じようなもの。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) June 25, 2018
世紀末な核戦争とかで人類滅ぼすとか、舞台となる世界を異世界化してたものが、もう異世界に主人公だけ飛ばしてしまえと…
— first_オヤジ@サムライトルーパー30周年 (@the_thingX) June 26, 2018
ヒットしてる作品は色々とパターンに工夫を加えてますな。
こういう「お約束」は「話の締め方」にもあって、むしろそこからの逆算で「冒頭はどうあるべきか」決まってくる側面もありますね。ところが、そもそもウェブ小説の場合「話が締めまで辿りつく」が絶対前提ではないという。といえば…
この辺り、19世紀後半から20世紀前半にかけて英米で大流行したパルプマガジン掲載短編の主人公の様に「実際にあるのはその人物の生涯史のみ」という感じになっているかもしれませんね。むしろ古代メソポタミア時代のギルガメッシュ叙事詩とか、古代ギリシャ時代のヘラクレスやテセウスなどの英雄冒険譚とか、平安時代の伊勢物語や源氏物語にまで遡る最古の物語フォーマットとも?