この『プロスペル・メリメ全集』の推薦キャッチコピーとして、芥川龍之介の「ゴオチエ今日読むあたはず、メリメ日に新たなり」という言葉が引かれている。この「マダマ・ルクレチア小路」を読むと、芥川の述懐がよくわかるような気にさせられる。
こういう話を聞くと森鴎外の「欧州文学における小説家は小説の専門家とは限らず、それだけ評価しては全貌は見えない」なる提言を思い出します。まぁ彼が日本に紹介したE.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776年〜1822年)も「本職は音楽家」という異色の経歴の持ち主でしたからねぇ…
テオフィル・ゴーティエ (Pierre Jules Théophile Gautier, 1811年〜1872年)も確かに「死霊の恋(La Morte amoureuse、1836年)」の様な小説作品こそ、今日ではマニアくらいにしか読まれていませんがロマンティック・バレエ「ジゼル(Giselle、1841年)」の作者にしてバレエ・リュスの演目「薔薇の精(Le Spectre de la Rose、1828年)」「ある夜のクレオパトラ(Une nuit de Cleopatre、1838年)」の原作者でもある訳で…
まぁ、そういうプロスペル・メリメ(Prosper Mérimée, 1803年〜1870年)も、今日では主にビゼーのオペラ「カルメン(Carmen、1875年)」の原作者として思い出される人となったので、その辺りはおあいこなんですが…
その一方で「(クトゥルー神話の大元となった)Cosmic Horror文学」創始者H.P.ラブクラフトが「(かのラフカディオ・ハーンがルイジアナ州滞在期に英訳した)ある夜のクレオパトラ」をその大源流の一つに挙げたりもしているのです。
*要するにC・L・ムーア「シャンブロウ(Shambleau、1933年)」を含めパルプマガジン黄金期の「超」恐怖小説は、まとめて(カント哲学誕生の遠因の一つとなった)エドマンド・バーク「崇高と美の観念の起原(A Philosophical Inquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful、1757年)」における「美と戦慄が同居する崇高(Sublime)概念」の影響下にあったとも。
本当に和製コンテンツに与えた影響は「限定的」だったの?