諸概念の迷宮(Things got frantic)

歴史とは何か。それは「専有(occupation)=自由(liberty)」と「消費(demand)=生産(Supply)」と「実証主義(positivism)=権威主義(Authoritarianism)」「敵友主義=適応主義(Snobbism)」を巡る虚々実々の駆け引きの積み重ねではなかったか。その部分だけ抽出して並べると、一体どんな歴史観が浮かび上がってくるのか。はてさて全体像はどうなるやら。

「精神と肉体の齟齬」の超克方法

精神と肉体の齟齬」はどうやって克服されるべきなのか?

  • エドマンド・バークの「時効の憲法prescriptive Constitution)」は、あらゆる存在に「ゆっくりと時代遅れになったアトラクションが更新されていくディズニーランドの様な存在たれ」と説く。一応絶えず動き続けてはいる訳だから「急がば回れ」とはちょっと違う。この感覚って英国や日本の様な適度な規模の島国の住人でもないと実感が難しいのかもしれない。

  • 生まれたての人工国家ドイツ帝国1871年~1918年)の臣民だったマックス・ウェーバーの「鉄の檻(Gehäuse)」理論は真逆を説く。社会と人間の関係は「外骨格生物における外骨格とその中身」の関係であり、中身の成長に脱皮が間に合わなくなると死ぬ。まぁこの絶えず切羽詰まってるイライラ感が後にナチスが台頭を招いたとも。

  • さらに第三の立場として「精神の肉体に対する超越性」を主張するトランセンデンタリズム(transcendentalism)、第四の立場として「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」なんて考え方もある。どちらも概ね辺境開拓地や焼け跡で必然的に奮い起こされるフロンティア・スピリッツ起源。本当に行き詰まった時は、もうこれ一択?

  • 問題は第五の立場で「精神が肉体を捨て駒として使う」場合。例えば自ら殺人の禁忌を犯す勇気までは持てなかったルソーは「誰かが自らの手を血に染めるべきだ」と散々プロパガンダを続けた末に外国へと逃げて自らはその生涯を平穏の内に全うした。その一方で迂闊にもその呼び掛けに応じてジャコバン派独裁の主導者として自民族の大量虐殺に手を染めたロベスピエールテルミドール反動(1799年)によってその全責任を負わされ「ルソーの汚れた手」として今日なお忌み嫌われ続けている訳である。

問題は最後のケース。果たしてこの場合、精神は一方的に悪役と一概に言えるのだろうか?

 

船戸与一蝦夷地別件(1995年)」エピローグ「風の譜」より

林子平の「海国兵談(1787年~1791年)」は紛う事なき名著でしたが(「寛政の改革(1787年~1793年)」を遂行した)松平定信がこれを「人心を惑わす悪魔の書」として禁書にした理由はただ一つしか考えられません。それを著したのが仙台の無録の住人ではいけなかったのです。彼にとって国の防備は幕府の専決事項でならねばならなかった、ただそれだけの事なんです。

その証拠に松平定信は内憂外患の時代に敢えて水戸学の中興の祖といわれる藤田幽谷を抜擢して「日本という国家はどうあるべきか」について論述させ、自ら国防にかんする議論を盛り上げました。黒船来航(1853年)以降幕閣のみならず武門の間で取り沙汰されたのも藤田幽谷の弟子筋に当たる会沢正志斎の「新論(1825年)」らしい。これは林子平「海国兵談」の内容をさらに発展させ、紅毛人に対する警戒をさらに強い口調で呼び掛けた檄文です。この時以来水戸学は日本の国防理念の基礎となりました。

松平定信と藤田幽谷は水戸学を国家の礎とする事で、それまで江戸幕藩体制があえて有耶無耶にしてきた日本の国体ともいうべき規定を明らかにしたのです。

 礎の一つは体制委任論で、これは将軍家が代々天応から日本国統治を委任されてきた状況の表明です。尊号事件(1788年~1791年)に見られる様に実際は徳川幕府が朝廷を牛耳っていたにもかかわらず、それによって当然ながら代々の将軍家は天皇の下に組み込まれてしまう事を認めた形ですが、松平定信は、それによって将軍家による日本統治に正統性を与え、日本において列強諸国を巻き込んだ大規模な内乱が起こる事を予防する内的仕組みの樹立を目指したのだと考えられています。

もう一つの礎は鎖国論で、この呼び方自体を考案したのは阿蘭陀(オランダ)人です。松平定信が長州や薩摩の様な遠隔藩が異国との密貿易によって財を蓄えるべく切支丹禁止令や海外渡航禁止令などの諸々をまとめ「妄りに異国と交わらず」と再表明する事で日本が清国の様に紅毛人の手で食い荒らされるのを予防しようとした動き全体を指す言葉ですが、結局幕府はこうした祖法を守り切れず黒船の求めに屈する形で国を開かざるを得なくなりました。その結果「祖法を保てない幕府には、もはや天皇からの大政委任を受け続ける資格がない」とする尊皇攘夷運動を台頭させてしまうのです。

江戸幕藩体制側だけでなく幕末尊皇攘夷の志士達もその理念的基盤は水戸学でした。松平定信は江戸幕藩体制存続の為に国体の礎を明らかにし始めたのですが、それが皮肉にも討幕運動の口実に使われる事態となったのです。

 この物語では誰もが人を利用し尽くして生き延びようとする。ポーランド人貴族のマホウスキはアイヌ人に反乱を起こさせてロシアの目を祖国から逸らそうとするし、幕府は松前藩から北海道を取り上げ直轄領にする機会を狙っている。無論、アイヌ人だけが一方的被害者という訳でもない…そして気付くと利用してるつもりが利用されたりしている。

船戸与一「蝦夷地別件(1995年)」読後感想より(96.2.27読了作品)

「あの救いのないラストはないよなあ」と思いましたが「このミス」を開くと「賛否が分かれるところだろう」「ラストとそれまでのストーリーが分離してしまった印象がある」とあり、Yさんの感想でも「ただ、「風の譜」は少し余計だったかな?という気もしています。」…うーむ、みんなそう感じていたか。あの章(風の譜)で一番救われないのは(徳川幕府が北海道を松前藩から取り上げて直轄領とする口実使われたアイヌ人蜂起の主導者)ツキノエでしょうね、彼(「これからアイヌ人は倭人との共存を視野に置く」と断言した後継者)だけはツキノエの考えや行動を理解しなければならない立場だったはずだし、アイヌの未来だけを考え、未来を託そうとした相手にああいうことを言われてしまったら…実に残酷すぎるラストだったと思います。

私は小説を読む時「ラストに向かって突き進むパワー」というものを求めているところがあって、そういう意味で、ラストが気に入らないと、その小説自体の評価も下げてしまうことがあるのですが、にもかかわらずこの作品はやはり凄いと思います。アイヌポーランド、ロシア、幕府、松前藩のそれぞれの思考と謀略のすさまじい絡み合いを、ここまでリアリティあるストーリーに組み上げたのは超人的です。

世界各地で民族紛争が勃発している昨今、日本が民族紛争から無関係でいられるのも、アイヌ人が好戦的で過激な思想をもっていないからなわけで、それを幸運だと思って、民族的な差別や迫害を完全になくしていかなきゃいけない、と考えていました。が、実際はアイヌの歴史がこういう迫害と搾取の歴史だと知り、実は幕府がうまくやって牙を抜くのに成功した結果だったのか、と思うようになりました。アイヌの人たちがこの作品をどう読むのか、興味のあるところです。

やはり原則論的には「誰だって復讐せずにはいられない。それが人間として自然な姿」という結論に至ってしまうんですかねぇ…

こう考えてみると「資本主義を絶対悪と考える人々が、自らが憎みながら依存する若者を捨て駒にしてサバイバルを図る戦略」が必ずしも誤っているとは限らない?

さて、私たちはいったいどちらに向けて漂流しているのでしょうか…